神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『スケバン刑事』に憧れた1987年に密かに撮られたもう一つの“スケバン刑事”

 先日「スケバン刑事」と「フィルム映像」に関わることについてしたためたが、それにまつわるネタをもう一つ。

 

 ここ最近の部屋整理の過程で、うんと以前に使っていたDVテープが大量に見つかった。見れば10数年前に撮影・録画したものもある。しかしながら、最近はすっかりミラーレス一眼レフを使って、PC自体もSDカードしか対応していないから、DVテープ対応デジタルビデオカメラの小さな画面でしか確認ができない。

 

 そこで、今はネットにつながなくなって久しい「WindowsXP」のPCにキャプチャーボードがあることを思い出し、室内のコード類を片っ端から漁って、ようやく「IEEE1394コード」を発見。何とかPCとデジタルビデオカメラを繋いで、何とかDVの映像をHDDにキャプチャーすることが可能になった。

 

 そうやって観賞可能になったDVテープの中で、まず手を付けたのが、1987年に8ミリフィルムで撮影し、編集は済ませたものの、アフレコしないまま今日まで“未完の作品”となっている『スケバン刑事広島版 狙われた生徒会長』を“簡易テレシネ”したものだった。“簡易テレシネ”とは業者に出さずに、自前の映写機で上映しているものをデジタルビデオカメラで直接撮影する、文字通りの“簡易”なテレシネだ。でもキャプチャー後観直してみると、思ったよりはクリアな映像になっていて、「これは8ミリフィルムのテレシネだから」って大目に見てもらえたら、これを素材に何とか作品として作れなくもない状態だった。

 

 ちなみの、本作の物語は以下の通り。

 

 私立美鈴が丘女子高校で生徒会長・桜井真理亜(堀川ひとみ)が生徒会費を横領した現場を宿直の警備員に目撃され、退学処分を受ける。しかしこの事件に不信感を抱いた“当局”は、配下の神恭一郎に命じて、“スケバン刑事”こと麻宮サキ(山本恵巳子)を転学と称して私立美鈴が丘女子高校へ潜入させる。

 

この子が本作における「スケバン刑事」こと麻宮サキ(山本恵巳子)

 

神恭一郎?(;^_^A

 

 サキは早速内偵を開始し、真理亜の同級生だった成瀬小夜子(菅真由美)から、あれだけ学校に献身的だった真理亜の横領が未だ信じられないことと、彼女ら2年B組の担任である村松先生(岩本桂)が今回の一件で一番心を痛めていることなどを聞き出す。翌日サキは、学校の外から校舎を愛おしそうに見つめる真理亜を見つけ、声をかける。最初は頑なな態度をとる真理亜だったが、先の口から村松の名が出ると敏感に反応し、次第にサキと打ち解けて行く。真理亜の弁によると、横領があったとされるあの日は、かねてから生徒会費の不正が行われているとの噂を確認するため、夜まで残って地帳簿を調査して、ようやくその証拠をつかんだものの、帰宅直前に何者かに殴打されて気絶、しかもあろうことか気が付いたときには生徒会の封筒に包まれた現金を持たされていたといのだ。その現金が決め手となって彼女が横領の犯人であると決めつけられ、村松の必死の弁明も空しく、真理亜は退学処分を受けることになってしまった。しかし彼女は、殴られて記憶を失う直前に、逃走中の犯人が右手にしていた軍手と手にしたスパナをしっかりと記憶していた。

 

悲劇の生徒会長・桜井真理亜(堀川ひとみ)

 

 真犯人は学校内部の人間であるとにらんだサキは、学校に潜入する。そこで彼女は行方不明にあったはずの、横領の証拠がある生徒会帳簿を目撃する。時同じくして、真理亜は学校関係者から呼び出しを受けて、とある雑居ビルの屋上に向かう……

 

 果たしてサキは真犯人を捕らえることが出来るのか? サキと真理亜の運命やいかに……?!

 

 本作を撮影した1987年は、昭和60年代の真っただ中で、まだ『スケバン刑事』シリーズがチアルタイムで制作・放映されていた。しかも8ミリとはいえフィルムによる制作で。多分に当時の雰囲気を色濃く受け継いでいた。またちょっとドラマや映画に興味を持つにとっては男女を問わず『スケバン刑事』には興味を持っていて、この映画も、私の個人的な趣味の押し付けというよりも、みんなでワイワイ話しているうちに、自然と「自分たちで『スケバン刑事》を撮ろう」って機運になっていったのを覚えている。主演の子も自分から『スケバン刑事』約やりたい! っていってたし(;^_^A そこら辺が昨今の“広島発ヒロインアクションムービー”とは異なる現場だったといえる。まだまだ『スケバン刑事』がトレンドとして、皆の中にあった頃だった。

 

 

 

 だから、今もって見れば、演出なんて稚拙の極みなんだけどヾ(- -;)、どこか当時でしかなしえなかった“勢い”というのもが感じられる。主演の子が合気道をしていたとはいうものの、殺陣も行き当たりばったりというか、現場のノリでつけたような気がする。一応ヨーヨーは飛んでくるし、きちんと鎖は犯人の手に絡みつくし……(;^_^A

 

 

 

 果たしてこの作品が34年ぶりに日の目を見るかどうか、まだまだ道のりは険しいだろうけど、もし完成すれば、ヒロインアクションドラマが百花繚乱の如く制作された“昭和60年代”の当時の雰囲気を垣間見させてくれる“装置”になるかもしれない(;^_^A

 

 ちなみに、未完の本作の内容を換骨奪胎して撮ったのが、2008年制作の『天使諜報★神宮寺真琴~狙われた生徒会長~』である(;^_^A ご覧になった方はご承知だろうが、物語の骨子はほぼ『スケバン刑事広島版 狙われた生徒会長』のまんまであるヾ(- -;)ヾ(- -;)

『スケバン刑事』に感じる“フィルム映像”への限りなき憧憬

 日本映画専門チャンネル「プレイバック!アイドル黄金時代~80年代アイドル映画Collection~」。「80年代」「アイドル映画」という我が感性に“弩ストレート”な企画で、毎月楽しみにしていた。なんといっても最初の月から『スケバン刑事』だったもの!(;^_^A  そんな「プレイバック!アイドル黄金時代」も今年に入って「PART2」が始まり、しかも菊池桃子の『パンツの穴』やセイントフォーの『ザ・オーディション』、そしてパンジーの『夏の秘密』といった、私にとっては待望の作品群が並ぶ。それこそ、後は『パンツの穴花柄畑でインプット』『クララ白書』『生徒諸君』『彼のオートバイ彼女の島』辺りが放映されたらもう思い残すことはないだろうな(;^_^A

 

 さて、この「PART2」の第一弾が『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』。今までDVDを持っていながら何故か未見のままだった作品で、今回が初観賞の機会となった。もっとも、まだ冒頭のシーンを観ただけなんだけど、その冒頭に初代と2代目の“麻宮サキ”が登場する。勿論イメージカットの過ぎないんだけれど、何か“スケバン刑事サーガ”を感じさせるカットだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、そのシーンを観て感じたのは”フィルムの質感”だった。過去のライブフィルムが、それも16ミリから35ミリにブローアップされたせいか、フィルム独特の粗さが逆にフィルム独特の質感をいやがうえにも感じさせてくれて、観ていてワクワクしてしまった。思えば、この“スケバン刑事”シリーズをはじめとする“昭和60年代ヒロインアクションドラマ”は、皆フィルムで撮影されていた。そんな中、『セーラー服反逆同盟』『こんな学園みたことない!』『禁じられたマリコ』といった作品と比べても、『スケバン刑事』三部作や『少女コマンドーIZUMI』といった東映制作の作品群の方が、フィルムの質感が強かったような気がする。最近のクリアなデジタル映像になれた人から見れば雑味に感じるかもしれないので、あくまで個人の好みに委ねなければならないんだろうけど、あのザラリとしたフィルムの質感は「これは虚構の世界なんだ」って感じさせるのに十分な“アイテム”だといえる。

 

 まだ8ミリフィルムで映画を撮っていた頃は、そのザラついたフィルムの質感によって、いやが上にも映画の“虚構性”か醸し出されていたので、それ故、撮影媒体を8ミリからデジタルフィルムに移行する際は、自分の中でかなりの抵抗があった。これじゃ、クリア過ぎて、映画のつもりが「ホームビデオごっこ」になってしまうのではないか、って心配したのである。卑近な例を挙げると、フィルム(16ミリ)で撮られていた時代劇がデジタルビデオになった途端に“アラ”が目立ち始めたように感じた感覚に似ている。まあ、何とかその部分は自分なりにクリアできて、近年の“広島発ヒロインアクションムービー”もすべてデジタルで制作している。

 

 ただそんな過程があったがために、今でのフィルムの質感に憧れるし、実際フィルムの方が後発のビデオ映像に比べて遙かに劣化が少ない。80年代後半からフィルムに取って代わって制作されたビデオ映像のドラマが、現在再放送で観るといかに劣化しているかをみれは一目瞭然だ。幸い、現行のデジタル映像ではそんな劣化はないみたいだけど………。

 

 “昭和60年代ヒロインアクションドラマ”に対する憧憬は、そのまま「フィルムドラマ」に対する郷愁も持ち合させているのかもしれない。

日活無国籍アクションの流れもくむ『女子高生戦士☆英あいり』

 先週、“飛鳥五郎の命日”にかこつけて、『快傑ズバット』と日活「渡り鳥」シリーズとの親和性について言及したが、実は現時点では拙作最後の長編となっている『女子高生戦士☆英あいり』も、その「渡り鳥」シリーズのフォーマットを拝借している。

 

 

 主人公の英あいり(ILOVEU@あいり)は、現役女子高生にして多くのファンに支持されるアイドルとしても活動している。そんな彼女が、イベントの些細な出来事からとあるツンデレアイドル・因幡珠美(小竹彩花)に逆恨みされ、珠美に泣きつかれたタニマチの鴨池社長(須﨑幸彦)は、入魂の間柄である大蔵組のチンピラたちを使って、あいりのコンサートを再三にわたって妨害する。そんなあいりの窮地を救ったのが、彼女の熱狂的ファンの親友である滝伸次 (田所敏弘)。元警視庁SAT教官だった彼の指導によって戦闘能力を身につけたあいりは、見事チンピラたちを一蹴し、珠美や鴨池の野望を粉砕する。

 

 

 こちらは2018年公開時の予告編。現時点では再上映の予定はありませんm(_ _)m

 

 「渡り鳥」シリーズでは、風来坊の主人公・小林旭がぶらりと立ち寄る街には、必ず浅丘ルリ子がいて、彼女の家は決まって何かしらの利権がらみで、土地悪徳やくざの嫌がらせを受けている。そんなルリ子の窮地をマイトガイが救って、悪を蹴散らし大団円という、何とも分かり易くて痛快な物語がフォーマットになっていた。『女子高生戦士☆英あいり』でも、鴨池社長の命を受けたチンピラたちが執拗にあいりのコンサートをぶち壊し、ファンを蹴散らし、彼女を追い詰める。嫌がらせの目的があいりに恥をかかせる点にあることとか、実際に悪党を蹴散らすのがあいり自身であるなど、ヒロインアクション故「渡り鳥」シリーズと異なるところもあるが、彼女にアクションの手ほどきをする「滝伸次」の名自体が、「渡り鳥」におけるマイトガイの役名と一緒であるなど、明らかに日活無国籍アクションを意識したつくりになっている。

 

 登場人物名も、あいり側のキャラクターに関しては、「滝伸次」をはじめ男性は皆日活アクションにおけるマイトガイの役名をそのまま拝借しているし、女性は「日活パールライン」の吉永小百合・笹森玲子・芦川いづみ浅丘ルリ子をモジった役名にしている。一方ヒール側は、鴨池安兵衛・因幡珠美・可部・六階・須田といった、未だ究明されていない「森友学園」事件等で暗躍した輩を、これもモジって命名した。その点は、敬愛する故・鈴木則文監督のポリシーにオマージュを捧げる、ブラックな“裏設定”にしたつもりだ。

 

 ただし、物語は予定調和・単純明快にして勧善懲悪。ノンストレスで楽しめる作品に仕上がっている。新型コロナ禍による上映会自粛の流れの中で、なかなか上映の機会に恵まれない作品ではあるが、一応個人視聴用のDVD・ブルーレイは準備している。もし興味を抱いていただけたならば、下に当映画制作団体イチヱンポッポフィルムのメールアドレスを記しますので、そちらの方へ問い合わせのほどよろしくお願いいたします。

 

 

 

『女子高生戦士☆英あいり』公式サイトはこちら

https://ichienpoppo.wixsite.com/hanabusaairi

鶏は「チキン」か「恐竜の子孫」か?

 「鶏」といえば、申し訳ないが専ら食べる方、要は「チキン」という認識の方が強い。唐揚げや水炊きは言うに及ばず、部位に関してもヤゲン軟骨や砂ズリ、レバーにいたるまで焼いてよし揚げてよし炊いてよしと、実に重宝する“食材”だ。

 

 しかし、そんな人間の「家畜」として生命を真っとすることが多い鶏も、一たび野生化すると、きちんと飛ぶようになるし、意外と獰猛な鳥類として、他の小動物を捕食しながら、割と生態系の上の方に君臨するんじゃないかな。鶏を含む鳥類は、かつて地球上をわがもの顔で闊歩していた恐竜の末裔なんだから。

 

 もし仮にティラノザウルスやヴェロキラプトルに人間並みの知性と情緒があったとして、現世にタイムスリップしたならば、自分たちの餌に過ぎない小型の哺乳類に、自分たちの子孫が飼育され食用にされている事実を知って、たけり狂うだろうな(;^_^A

 

 

 それこそ、かのハリーハウゼン御大のダイナメーションが光る『SF巨大生物の島』に出てくる“ニワトリ系”巨鳥みたいな活躍をしてみろって、叱咤激励しそうだ(;^_^A もっともあの映画の巨鳥も、結局人間たちの“糧”になってしまうんだけどね(;^_^A、

 

 というわけで、今日は「にわとりの日」(;^_^A

『おかあさんの被爆ピアノ』~タイトルに偽りなし!~

 もう数年前の話なんだけれど、部でドキュメントを撮ることになって、その題材として「被爆ピアノ」を選んだことがある。これはメンバーにピアノに精通している子がいて、その子のピアノの先生が毎年平和公園被爆ピアノのコンサートを開いていることがきっかけで、その先生を通して、被爆ピアノを取り扱っている「矢川ピアノ工房」の矢川光則さんに紹介の労をとってもらった。そしてその年の8月6日、朝から広島市安佐南区にある「矢川ピアノ工房」で取材をさせてもらい、平和公園に届ける被爆ピアノの積み込みからトラックの出発まで撮影させてもらって、それから一路我々も平和公園に向かい、先生の演奏シーンを撮影して、その日の取材を終えた。しかしながら、その後諸事情あって(制作のタイミングを逸して)、結局そのドキュメントは未完のままに終わってしまった。我が指導力のなさを嘆くしかなかったり、関係者に対して非常に申し訳ない思いを抱くと共に、これだけの貴重な映像や取材データがあっただけに、今思っても残念な気持ちがする。

 

取材の際に頂いた矢川さんの名刺

 

 そんないきさつもあって、「被爆ピアノ」にはそれ相応の思い入れがあったりするんだけど、その矢川光則さんと被爆ピアノをテーマにした映画『おかあさんの被爆ピアノ』は、その封切時に観賞のタイミングを失って、ずっと未見のままだった。それが、先月イオンシネマ西風新都で再公開を一日一回やっていることを知り、この作品を、三年目に突入する“月に一度は劇場で映画観”2021年の第一弾(1月分)に選んだ。

 

 

 この作品の主人公は矢川光則さんその人であり、演者は佐野史郎だが、役名も「矢川」で(企画時は別名)、登場する被爆ピアノも運搬用のトラックも、会社である「矢川ピアノ工房」も、そのままが使用されている。そこに被爆ピアノを巡る架空のストーリーが絡むといった、現実と虚構が幾重にも重なりあって物語は進行していく。

 

 佐野史郎演じるピアノ調律士の矢川は、爆心地の半径3キロ以内で被爆した当時のピアノ、通称「被爆ピアノ」の管理・修繕を一手に引き受け、それを用いてのコンサートを開くために全国を奔走している。そんな矢川のもとに、また一台の被爆ピアノが寄贈された。母の死をきっかけに、東京在住の江口久美子(森口瑤子)が、広島の実家に残された母の形見のピアノを提供したのである。しかし、現在大学で幼児教育を専攻している娘の菜々子(武藤十夢)は自分に何も言わずピアノを寄贈した久美子に不満を持つ。

 

 この寄贈がきっかけで、菜々子は、たまたま関東へコンサート用のピアノを運搬してきた矢川のものを訪れる。その際は簡単な挨拶で終わったものの、それをきっかけに、菜々子は祖母や母の故郷である広島や被爆ピアノについて考えるようになる。しかし母の久美子はそんな菜々子の行動を疎ましく思うのであった。

 

 そんなある日、再び関東に訪れた矢川のもとを訪ねた菜々子は、このトラックに載せて自分を広島に連れて行ってほしいと懇願する。困惑し、一度はトラックに乗せたものの、やはり彼女を家に連れて帰ろうと、母の久美子に連絡を取る矢川だったが、その時の「娘に広島を関わらせたくない」との久美子の言葉に思うところがあった矢川は、結局そのまま菜々子を広島まで連れていくことを決意する。

 

 広島にたどり着いた菜々子は、早速今は無人となった祖母の実家にやってくる。その頃、矢川の行動に不信感を募らせる久美子は、改めて夫の公平(宮川一朗太)に、菜々子を広島に関わらせたくない旨を語る。しかし、そんな広島出身の久美子の思いも一緒に共有したいと語る公平に、久美子は広島の、被爆者である母や被爆二世である自分がどのような思いで生きてきたかを言って聞かせるのであった。

 

 これといった目的もなく広島にやってきた菜々子だったが、矢川に誘われるままに、元安川の河岸で行われる被爆ピアノを使った朗読劇を観賞したり、老人から被爆体験を聞いたりしながら、この町で何が起こったのか、母や祖母が抱える闇は何なのか、について改めて思いを巡らせていく。そして矢川からは、今年の8月6日に、被爆ピアノを弾いてみないか、と誘われる。

 

 翌朝、祖母の家で寝ていた菜々子は、部屋のカセットデッキから流れるベートーヴェンの「悲愴」のピアノの調べに思わず起き上がる。するとそこには久美子の姿が。そこで久美子は亡き母(菜々子の祖母)からピアノのレッスンを受けていたこと、そして今流れている「悲愴」は自分の中学時代の演奏だと言って聞かせる。

 

 その後、二人は「矢川ピアノ工房」を訪れる。そこで矢川は久美子に託された被爆ピアノを調整していたが、長年弾いていなかったことが災いして、きちんと演奏できるかわからない状態であるという。そこで菜々子は、8月6日に被爆ピアノを弾くことを決意し、その際に何とか祖母の被爆ピアノが弾きたいと矢川に懇願する。

 

 東京に帰ってから、菜々子は大学の親友に、「悲愴」が弾けるようになりたいとレッスンを志願する。難しい曲故、最初はその実現を危ぶむ親友だったが、菜々子の、何かに取り憑かれたかのような鬼気迫る練習ぶりで、不可能と思われた「悲愴」をそれなりに奏でることが出来るようになった。

 

 そして迎えた8月6日の夕刻。原爆ドームの前に設置された被爆ピアノの前で、ピアノコンサートが始まる。同じピアノに奏者が次々と交代しながら曲を奏でてゆく。そして菜々子に順番が回ってきた。祖母の形見の譜面を広げ、静かに「悲愴」を奏でてゆく。しかし、極度の緊張感からか、演奏が途中で止まってしまう。途方に暮れる菜々子。その窮地に、急遽久美子がピアノに向かい、菜々子と連弾の形で、「悲愴」を最後まで奏で上げる。その時、ピアノの前の菜々子の目には、観客の隅に祖母の姿が見えた………

 

 本作品のタイトルは、前述のとおり『おかあさんの被爆ピアノ』である。しかし実際には主人公・菜々子の「おばあちゃんの被爆ピアノ」である。正直なところ、「さて、タイトルは『おかあさんの』だったかのぉ? 『おばあちゃんの』だったかのぉ?」なんて観賞中に迷ったりもした。そんな物語展開だった。また、クライマックスの連弾のシーンも、実際は殆ど久美子の演奏で、肝心の菜々子は何もできないまま佇んでいる、っていった感じだった。本来ならば、どんな形であれ、彼女が演奏しきれないと何の映画的カタルシスもない。制作サイド(監督)は、なんでこんなクライマックスを用意しただろう、って首をかしげてしまった。だがそれは後に理解できた。そうだ、この映画のタイトルは『“おかあさん”の被爆ピアノ』だった。つまり、菜々子の“おかあさん”である久美子にとって、この被爆ピアノは“おかあさん”のピアノである。だから、この物語は、実は被爆二世である母の久美子の物語だったんだ、って考えると、クライマックスの演出も理解できる。本作のテーマを「原爆」とするならば、まったく無知だった祖母や母、そして自分のルーツである広島について、深く考えだす菜々子の成長よりも、被爆2世である自分の出自に対する不安から、家族にさえ広島を“封印”してきた久美子が、娘や矢川を通して、改めて広島と向き合っていこうとする姿こそ、本作のとても重要なテーマであるはずだ。あのクライマックスで、敢えて久美子に“花を持たせる”演出は、「原爆」というテーマをより鮮明に描きだすための、そして“再生”の物語に繋げてゆく、そんな意味合いを持っていたのかもしれない。

 

 実際の矢川さんはあんなぶっきらぼうな人ではなかったが(;^_^A、佐野史郎の演技もなかなか情熱的で味わい深かった。でも佐野史郎もあんな渋い役が板につく俳優になってきたんだなぁ(;^_^A  それにしても、今回の映画は、とあるドキュメント(取材・インタビュー)がきっかけとなって企画されたんだそうだ。でも決してドキュメントタッチで描かず、実在する(しかも“現役”の)人物を絡めた虚構の物語ってのがいい。しかもそれが広島の地を舞台に描かれる。何とも素晴らしいことだ。この“ドキュメント風劇映画”に適した題材は、この広島にもいくつも転がっている。また、そんな映画を観てみたいものだ。

「最多勝」と思い出のサイン色紙

 まだ中学生だった頃、広島市北部の可部という町に住んでいて、ある時家の近くの、それも表通りに面していないこじんまりとした店で、急遽広島東洋カープの高橋里志投手と水沼四郎捕手のサイン会が開催された。しかも、別に何か購入が条件の“ひも付き”ではなく、純粋にサイン会だった。どうもその店の店主と水沼捕手が友人で、そのつてで実現したサイン会らしかった。

 

 私がプロ野球に目覚めたのは、1975年の広島東洋カープ初優勝の時、そして転居で可部の町を去ったのが1978年だったことを考えると、どうもこのサイン会は1977年のシーズンオフらしい。となると、件の高橋投手は、シーズン20勝を挙げてセントラルの最多勝投手になった年だ。そんなメモリアルな年に、地方都市である可部町の、それも大型スーパーでもない一店舗にサイン会をしてくれるなんて、今考えてもびっくりするような話だ。

 

 ただ、その後高橋里志投手がカープのエースとして君臨したかと思うと、そうではなく、その後も活躍を続けたもののこの年の成績を上回ることはなく、しかも日ハム・近鉄と球団を転々として、1986年に18年間のプロ野球生活にピリオドを打ったのだそうだ。

 

 最近になって、部屋の整理中に、そのサイン色紙が水沼捕手のものと一緒に段ボール箱の底から出てきた。かの「江夏の21球」を“演出”した捕手としてその知名度も高く、今も広島で居酒屋「しろう」を経営し、インディーズムービーにも出演している水沼氏と比べて、高橋投手は残念ながらカープでもつかの間の輝きしかなかった選手である。しかし私の中では、あの20勝の印象が鮮明で、歴史の中に埋もれさせてはならない選手だったと今も思っている。何といっても、色紙に並んでしっかり書いてある「広島東洋カープ」の文字にグッと来てしまう(だから今は、きちんと額縁に入れて大事にしまっている)。

 

 

 そんな高橋里志氏に、こんな形で改めて思いを馳せることになろうとは……時間は残酷である。今回の訃報に際し、改めて氏の功績をネットなどで調べたが、意外にも武骨で様々な武勇伝を持っていた選手だと知った。南海監督時代のノムさんからの鉄拳制裁事件や、江夏との“仁義なき確執”などなど、あの柔和な表情から想像もつかない気性の荒さを持った、文字通りの「闘将(ファイター)だったようだ。でもそんな出来事を知るにつけ、かの“キックの宮”こと宮本幸信投手と同様、逆に親近感が湧いてくる。それにしても、「広島市内の病院で死去」って、今も広島で暮らしていたのか……それに72歳って、まだまだこれから一花二花咲かせてもおかしくない年齢じゃないか。折角だからもっと広島のローカル番組で野球談議に花を咲かせてほしかったなぁ……合掌

 


広島OB高橋里志さん死去 72歳、肺がん 77年に最多勝
https://news.livedoor.com/article/detail/19636702/

モスラの歌

 ここではもう何度も触れてきたと思いますが、我が家には双子の娘がいます。だから家族の話題の時にはつい「娘たち」と書いてしまいます。

 

 そんな双子の親父は、ヒロインアクションバカと共に、特撮マニアでもあります。それもCGを駆使したハリウッドのSFXよりも、往年の東宝特撮のようなミニチュアワークの方に強く惹かれます。

 

 そんな親父なんで、双子の娘が誕生した時に、とある野望を抱きました。それは「双子の娘に『モスラの歌』を歌わせる、というものでした(;^_^A

 

 

 

 

 

 小さい頃は、娘たちもそれなりになついてくれて、テレビ(CS)を一緒に観ながら、『宇宙大戦争』クライマックスの宇宙船同士のドッグファイトでは、地球軍の戦闘機を手に汗握って応援したり、「ここで風呂に入ってる女はいっつも死ぬんよね」(←この2時間ドラマわかります?)なんていったり、『フラバラ』のバラゴンを大好きなスティッチに見立てたり、「パパの好きな『波バシャーン』」(←これも分かります?(;^_^A)って映画の冒頭観ていったり、youtubuの映像と一緒に「電人ザボーガー」の歌を歌ったりと、すっかり親父の趣味に振り回されていましたが、今ではすっかり”親離れ”して、一緒のテレビを観ることもありませんし、歌うのも「あいみょん」とか「ヨルシカ」とか今はやりのアーティストばかりになりました。そんな中にとても「モスラの歌」は割って入れそうもありません(;^_^A  まあ、唯一残された道は、こんな親父にでも“忖度”してくれて、歌って機嫌をとってくれることくらいでしょうか( ノД`)( ノД`)

 

 そんな娘たちも、未だ“カラオケデビュー”していません。「そろそろかな」って思った矢先に新型コロナウイルス禍でその予定も頓挫……果たしていつになることやら……もっとも、その時が来るのに備えて、“忖度”してもらえるよう、せっせと娘たちに“媚び”を振っておきましょうかヾ(- -;)ヾ(- -;)ヾ(- -;)

 

というわけで、今日は「ふたごの日」(;^_^A

銀閣寺は何処に……

 我が人生において、金閣寺には2度行ったことがある。最初は中学校の修学旅行。もう一つはそれからウン十年後に、家内と二人でいった京都旅行の際に足を運んだ。あの、人工の極致とでもいうべき金箔に包まれた寺が、自然の中にポツンと“鎮座”している姿には、いつ見ても圧倒される。まさに非現実の世界を垣間見ているかのような錯覚に包まれる。

 

 そんな金閣寺と共に「銀閣寺」が存在することも昔から知っていた。しかしながら金閣寺が、あんな非現実的な雰囲気を醸し出しながらも、きちんと“金”閣寺しているのに対し、銀閣寺の方は、銀色に輝いている訳でもない。だから、というわけでもないが、未だ銀閣寺を間近で見たことはない。まあ、金閣寺同様、もし銀閣寺が全面“銀箔”「に包まれていたならな、もしかしたら金閣寺より煌びやかになるかもしれない。

 

 

 ちなみに、今日は「銀閣寺の日」だそうだ。銀といえば、かつて映画制作の元になっていたフィルムの制作・現像には、銀が欠かせなかったりする(;^_^A

 

 

デジタル社会の中の「手紙」という“実体”

 手紙なんて、最近は年賀状ぐらいしか出したことがない。まあ、それは手紙というよりは葉書なんだけどね(;^_^A

 

 

 ただ、まだメールなんて便利なものがなかったころは、専ら電話か手紙で県外のひととやり取りをしていた。また身近な人でも込み入った話になると、お互いが結構手紙をしたためたものだった。

 

 ここんところ、引っ越し以来といっていい大幅な部屋の整理を始めているだけれど、その過程で多くの手紙を発見した。そのほとんどは結婚前の者なので、既に四半世紀以上も前のものばかりだし、皆映画関係の人のものだったんだけど、最近は音信不通になってしまった人のことを垣間見る機会になった。ホント当時の人々は、今どうしてるんだろう……

 

 手紙はある種、片道通行の「タイムマシン」のようなものであり、過去への郷愁ばかりしか伝えてくれない。しかしデジタル信号と違って、そこにそのものがしっかり存在するのが大きな特徴である。昨今、映画や写真もフィルムからデジタルとなり、ビデオもDVDを経てネット配信になり、貨幣ですら紙幣・硬貨から電子パルスになっていき、世の中からどんどん「実体」がなくなっていく中、電子メールに取って代わられそうな手紙だが、そんな時節故「実体」のもつ存在感や温かみといった要素を、我々はもっと大切にしていかなければならないだろう。

飛鳥五郎と『快傑ズバット』の運命と

 東映特撮ドラマ『快傑ズバット』の第一話「さすらいは爆破のあとで」において、主人公・早川健宮内洋)の大親友・飛鳥五郎(岡崎二朗)が、悪の組織ダッカーの魔の手によって殺害される姿が最初に放映されたのは、今を去ること24年前の1977年2月2日。その劇中、冒頭より早川と飛鳥の再会→飛鳥の妹・みどりが務める幼稚園のバスに仕掛けられた爆弾から園児を守ろうとした飛鳥が重傷を負う→彼が担ぎ込まれた病院に潜入したダッカーの刺客によって射殺される、というように、その日のうちの飛明日五朗は“リアルタイム”で命を失ってしまう。つまり本作が放映された2月2日が、文字通り飛鳥五朗の命日なのである。まさに現実の時間とドラマ世界とがリンクする、非常に珍しい展開だった。しかもご丁寧に、毎回早川健は悪の幹部を前に「2月2日、飛鳥五郎という男を殺したのは貴様だな!」と恫喝する。実に遊び心に充ちた設定だ(;^_^A

 

 

 

 ところで、このドラマの根幹をなすキャラクターである飛鳥五郎の登場シーンは、実は第一話の、しかもCM前の前半のみ。もっとも先に「最初に」とことわったのは、その後も主題歌のバックで、このシーンが早川健の悲痛な叫び「飛鳥~ァ!!」と共に“怨霊”のように毎回流れ続けていたからだ。だからこの曲をカラオケで歌うと、決まってこの場面とシンクロする「復讐の~風ェ~♪」のところで、決まって誰かの「飛鳥~ァ!!」って“合いの手”がはいるものだった(;^_^A

 

 当たり前かもしれないけど、第一話のOPで既に飛鳥五郎が殺害されるシーンが流れていたんだね……(;^_^A

 

 さて、本作の世界観は、東映製作でありながらまさに日活無国籍アクションの『渡り鳥シリーズ:』を踏襲している。特に第二話「炎の中の渡り鳥」に至っては、そのサブタイトルと共に、西部劇風の雰囲気の中、やくざの地上げが絡に、そこにギターをかけた風来坊の早川健がやってくる、という、まんま『渡り鳥』のフォーマットで撮られている。それ故、東映育ちの宮内洋に対して、「ダイニチ映配」時代を含むロマンポルノ前夜の日活を知る岡崎二朗を重要な役で配したのは、それがたとえ短い出演だったとしても、大きな意味があったと思う。

 

 そういえば、本作は高視聴率に恵まれながら、その内容から視聴者の年齢が高かったため、売り上げに直結しなかった玩具メーカー(タカトク)が下りたため、3クールにも満たない32話で打ち切りの憂き目にあってしまう。それは致しなかったこととは思うが、今考えても惜しい話だ。もっとも、このドラマはむしろ後半にズバットが登場することに違和感を覚えるくらい、普通の大人向けアクションドラマでも通用する物語だったと思っている(といっても「ズバット参上」を否定するわけではない。それはそれで実に面白かったし……)。『渡り鳥』シリーズの中でも、どの作品だったか、天井から、船のシートの下から、いきなり何の前振りもなく小林旭が飛び出して悪党を蹴散らす、なんてのがあったけど、そんな感じでいきなり早川健が登場して生身で戦っても十分行ける作品だった。実際、打ち切り後も一度は一時間枠での再開も画策されたそうである。

 

 いずれにしても、制作サイド・スポンサー・そして視聴者の思惑が一致しないと、なかなかうまくいかない、そんな典型的なドラマが『快傑ズバット』だったのかもしれない。というわけで、2月2日は今年もやはり“ズバットネタ”ということで(;^_^A