神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

白と黒のブーツ② フォーマルでアンチヒロインな黒ブーツ

 街を闊歩する女性たちの足下を彩るロング(ニーハイ)ブーツは、大抵黒と相場が決まっているようである。先日のブログにも書いたが、白の方は寧ろ清純なイメージが強いのにもかかわらず、数は極めて少なく、逆に“大胆”なイメージを与える。まあ、白を“大胆”と感じるのは、あくまでその数の問題であって、それでも黒が白を凌駕するのは、やはりそれが膨張色ではないからだろうし、黒のロングブーツで足回りを覆ったらよりスリムに見えるはず、という女性側の心理も、数に影響しているであろう。実際、今年のニーハイブーツの流行を予見している記事にも、それはミニスカートの流行に伴って、露出する足を少しでもカヴァーしようとの心理が働いての事らしい。だからより足を覆えるニーハイブーツの需要が高まるのだそうだ。

 そんな“数”の論理に左右されてか、黒のロングブーツの方がフォーマルなイメージを纏っている。(マルイの白いブーツのCMにおける)黒谷友香ならともかく、やはりフォーマルな衣装やOLのリクルートスーツには黒がお似合いと、我々はすっかり刷り込まれている感がある。しかし、仮に全身を、例えば黒いコートに黒スカートで包み、黒いグローブをはめて、黒のサングラスでもかけて、「黒」で統一したならば、黒いロングブーツは俄然アンチヒロインのマストアイテムに変貌する。これがコートではなくキャットスーツだったりすると、「女捜査官」「女スパイ」といった体制側の諜報員然となってしまうが、上記の出で立ちならば『Saki 鮮血のアーティスト』における国分佐智子や『女殺し屋牝犬』における江波杏子といった“アンチヒロイン”の雰囲気を醸し出してくれる。

 

 

 数年前に、日本映画専門チャンネルの「蔵出し名画座」の枠で初めて大映映画『女殺し屋牝犬』を観た時の衝撃っていったらなかった。とにかくクールでかっこいい。アサシンを演じる江波杏子がただただ素敵で、ぐいぐい引き込まれる。暗殺に使う道具が指環に仕込んだ針ってのも女アサシンの武器としては説得力があっていい。そして何といっても最後の最後できちんと落とし前をつけて、且つ主人公が健在なまま終わるっていうハッピーエンドも好きだ。

 


 しかし、難点もあった。一つはクライマックスで黒幕を主人公が仕留めた際、既に事切れているはずの黒幕の役者が不用意に瞬きをしてしまう(死んでないじゃん!)こと。しかもどアップのカットで。一番大事なカットなのになぜ撮り直してくれなかったんだろうって思った。もう一つは全身レザー系の黒い衣装で統一していたにもかかわらず、足下がブーツではなかったこと。まあ制作がロングブーツ大流行の70年代に少し足りない1969年だったからかもしれないが、これは物足りなさを感じてしまった。

 


 そんなわけで、まだDVD等のソフト化に至らず、その時に放映以外に見る機会がない本作を、観られなかった方に紹介するために本気でインディーズの枠でリメイクしてやろうとか、その折りには、「クライマックスでターゲットに瞬きさせない!」「主人公は全身黒づくめでロングブーツ着用させる」を実現させようなんてことを考えたりもした。もっとも“完パケ”なんてとても無理なんで、その雰囲気を味わってもらえるような内容のオリジナル作品に是非チャレンジしたい。

 タイトルも考えている。題して『黒の牝蜂』。大映のシリーズの定番『黒』に、かの元東映社長・岡田茂御大お気に入りの『牝蜂』を加えた、いかにも昭和なタイトルだ。“牝蜂”の名に恥じず、主人公は仕込み針で密かにターゲットの息の根を奪う。ここまでは『牝犬』まんまの設定だが、このアサシンの特徴は体の至る所(思いがけない所からも)針が出てくる、という漫画にでも出てくるような能力を持っている。だから仮に敵に拉致監禁されても難なく逃れることが可能だ。そして彼女はハイヒールの黒いロングブーツを履いている。暗殺に支障を来す際は足音一つも立てないが、逆にターゲットを追い詰めるときには、敢えてヒールの音を響かせる。暗い路上に廊下に、延々響き続けるコツコツというヒールの音。おびえて逃げ回るターゲット。ようやく逃げおおせたと思っても、ヒールの音はどこまでもついてくる……

 

 

 当方の“広島発ヒロインアクションムービー”シリーズは、常に勧善懲悪・笑えるくらいの予定調和といった明朗さを売りにしてきたが、昨今、ブラックなオチの『THE 争奪戦っ!』やズベ公映画を意識して撮った『YOSHIKOを探せ!!』といった“番外編”とも云うべき作品も制作している。それ故、この企画のように、“虫も殺さない”同シリーズと比べたら異質の、それこそ稲葉司監督の『アイドルスナイパー』『アイドルスナイパーNEO』の世界観に近い作品もアリかもしれない(あくまで“世界観”で、技術的にはまだまだです(;^_^A )。とはいうものの、やはりコアな“昭和”テイストだし、やっぱり幾ばくかの“大真面目故の笑い”の要素は入ってくるだろう。またアサシンものに欠かせない「ガンアクション」に不可欠な弾着やCG合成の技術は持ち合わせていないが、このキャラクターの技ならば映像化は可能だし、元来必殺シリーズでも「仕込み針」とか「関節破壊」とか「心臓掴み」といった殺し方の方が、正統派の居合抜きよりも好きだったので、この線で行きたい。

 今まで書いてきたように、このアンチヒロインのキャラクター自体は大分固まってきているが、対する相手(ターゲット)の存在やその背景に関してはまだまだ未知数だし、今までとは異なるダークなヒロインなんで、人選でいろいろと思案しそうである。まあ『スケバン刑事』の斉藤由貴ではないが、思いっきり真逆のパーソナリティを持った子を抜擢するって手もあるけどね(;^_^A 

 先日は白ブーツの荒唐無稽な(SFチックな)ヒロイン活劇を描きたいと書いたが、今日はその真逆のようなヒロインの物語の話題。ただ現実的には、ある程度世界観が固まっている分、こちらの方が実現しやすい内容かも知れないな(;^_^A

白と黒のブーツ① SFヒロインと白ブーツとの親和性

 昨年末、最近ニーハイブーツが流行している、との情報を得て、拙ブログでも「22年は『ブーツの年』」なんて調子こいた記事を書いたりしたが(;^_^A、実際街でブーツ姿の女性を見かけることがここ最近では多くなってきたような気がする。先日など、カップルの女性が白いロングブーツを履いている姿を目撃した。白いブーツといえば、10数年前にマルイのCMで、黒谷友香がフォーマルな装いに白いブーツを履いて、周りから羨望のまなざしで見つめられる、ってのがあったのを思い出した。その時は白ブーツそのものがある種大胆なイメージとして演出されていたが、それをさりげなく着こなし(履きこなし?)ている姿を見て、むしろカッコよさを感じたね(;^_^A

 

 

 ところで、昨年来よりお題目を唱えるかの如く「ロング(ニーハイ)ブーツ履いたヒロインの活劇を撮りたい」って願望を書き続けてきたが、今回そんな“妄想”をハリウッド映画『白と黒のナイフ』のタイトルよろしく“白と黒のブーツ”と称して集中連載したい(;^_^A

 

 ヒロイン活劇的に、昨年後半の衝撃的な出来事は『魔法美少女戦士フォンテーヌ』のWEB配信だった。何が衝撃だったかというと、あのAVレーベルであるGIGAが、自社のキャラクターを使って本気で非アダルトの本格的かつ健全なヒロイン活劇を撮った点である。結果出来上がった作品は、『美少女仮面ポワトリン』などを制作した“本家”東映特撮ドラマに匹敵するクオリティーだった。“ヒロピン動画”界の雄・GIGAの『ダイナウーマン』『セーラーアクオス』『ワンダーレディ』『スパンぺクサー』『ミスインフィニティ―』やZENの『レオーナ』を筆頭に、数多の“擬似70~80年代特撮ヒロイン”が名を連ねる中で、個人的に見た目で一番魅力的なキャラが、この『フォンテーヌ』だった。何といっても出で立ちが可愛らしい。そしてその中に健全なお色気が垣間見られるのもいい。お嬢言葉を巧みに使う設定もコミカルでよい。それ故、GIGAのAVキャラであることが何とも惜しいと心を傷めてきた。そのためGIGAにせよZENにせよ、「ここまでクオリティーの高い作品が撮れるのならば、もう非アダルト非加虐の純粋なヒロイン活劇を撮ってよ」って見果てぬ夢を抱いたり、逆に「だったら俺が撮ってやるよ」なんて、これまた“妄想”を抱いたりした(出来はともかく、なまじ今まで「ヒロイン活劇」を撮れてきたりしたので、こんな“妄想”も抱けるのです(;^_^A) だから、今回GIGAの『フォンテーヌ』には、制作会社及びスタッフの心意気に感謝すると共に、一抹の嫉妬心も感じてしまったのである(;^_^A 「あ~あ、先を越されちゃったなぁ……」って感慨だ(;^_^A

 

 

 そんなわけで、出遅れた感があるが、もともと『フォンテーヌ』のようなSFチックな荒唐無稽なヒロインの作品も撮りたいってかねてから思っていたので、遅まきながら、出来ればこの思いを実現したい。本来ならば、『フォンテーヌ』っていうか、本家の『ポワトリン』や『パンジャーヌ』、もっと言えば実写版『美少女戦士セーラームーン』のようなヒロインを登場させたい思いはあるし、あの手のコスチュームを再現したいとの願望もあるが、流石にあそこまで凝った衣装を準備するのは難しいし、そんな衣装のヒロインの必然となるSF設定やそれに伴う合成・特撮(CG)を実現するのは技術的に不可能に近い。だから、せめて変身前の戦隊ヒロインのような出で立ちで、しかも技術的に自分の手の届く範囲での荒唐無稽な物語を撮ることが精一杯だろう。

 

 

 ところで、そんな特撮系ヒロインの必須アイテムは、やはり白いロングブーツ。『フォンテーヌ』の場合、白のニーハイブーツを織り込んで履いている姿が実に可愛らしさを強調していたが、変身前のヒロインにとっても定番の衣装である白いロングブーツは、この手の作品には欠かせないだろう。しかも上記のように、ポピュラーな黒ブーツと違って、ある種「大胆」なイメージを与えるのが白いロングブーツだから(おそらくショートブーツやブーティといったものならば白でもポピュラーなのだろうが)、浮世離れしたヒロインを演出するのには、きっと効果的なアイテムになると思う。

 

 極めて荒唐無稽な上半身の衣装に、ミニスカ白ブーツの出で立ちのヒロインが、どこからともなく颯爽と登場し、カッコいい口上を述べて、不埒な悪を圧倒的な力技で駆逐して、どこへともなく去っていく……そんな「渡り鳥」のようなカッコいい、そして謎に包まれたヒロインを、何とか撮ってみたいものだ(;^_^A

明日より短期集中記事配信!「白と黒のブーツ」

 当ブログのテーマの一つ「ヒロインとアイテム」について、次回から短期集中連載を開始します。タイトルは「白と黒のブーツ」(;^_^A

 

 実はこの連載、16日の記事の直後に始めようと思っていたのですが、暦の上であったり思いがけない出来事があったりで、それらに関する記事を続けたため、明日からの掲載になってしまいました(;^_^A

 

 

 ここでは、ヒロインとブーツとの関連性や変遷、そしてまだ構想ならぬ“妄想”の域を出ていないものの、今後当方が企画する新たなヒロイン活劇の企画についても書いていきます(尤も、実現の可能性は五分五分(;^_^A)。

 

 

 

 相変わらずコアな内容になりそうですがヾ(- -;)、同世代の方、そして同趣向の方は、宜しかったら読んでやってください(;^_^A(;^_^A(;^_^A

 

トンガ噴火が引き起こす『日本沈没第二部』の懸念

 去る15日、突如噴火したトンガ沖の海底火山。その直後は津波に関する懸念が太平洋上の各国、とりわけ11年前の東日本大震災で未曾有の津波禍に苛まれた日本の太平洋側各都市に広がったが、幸い「災害」と呼べる規模の津波が押し寄せることもなかった。

 ただ、それとは別に、爆発的噴火によって大気中に広がった大量の火山灰が新たな災厄を全地球規模に与える懸念が心配される。

 

 実は今回、噴火の模様を告げる衛星高度からの画像を見た際、1973年版の映画『日本沈没』で衛星高度から見下ろす日本列島の姿が映し出されたことを思い出した。しかし、この噴火にどこかの島(もしくは国レベル)の地盤沈下・沈没を懸念したわけではない。本作原作の続編である『日本沈没第二部』と同じシチュエーションになってしまう懸念である。

 

 

 

 

 

 もともと『日本沈没』は、原作者たる小松左京氏によれば、『日本漂流』という「日本人が国土を失い流浪の民化したらどうなるか」を描く壮大な物語の、その前提を描く序章にすぎないはずだった。しかしその“序章”に9年も費やしてしまった結果、その続きは氏が晩年になって、谷甲州氏との共著という形で33年もの時を経てようやく発表されることになった。もちろん既に日本列島が海中に没したあとの後日談なんで、地震も噴火も登場しない。そこで描かれるのは、地球規模の急激な気象変動だ。

 

 

 日本が沈没する段階で起こった列島各地での大噴火によって、おびただしい量の火山灰が成層圏にまで影響を及ぼし、太陽光線が長く遮られる結果、地球寒冷化が引き起こされる。そのため地球規模で凶作による飢饉を引き起こす、というのが『第二部』のテーマだった。現実問題、過去の火山の大噴火が火山灰が太陽光を遮った結果、飢饉を引き起こしたケースは多々ある。恐竜絶滅の仮説の一つに、地球に衝突した隕石が巻き上げた塵が地球を覆い、その寒冷化が引き金となったというものもあるくらいだ。現在地球環境の温暖化ばかり注目されているが、このように、地球が温暖化するのも寒冷化するのも、所詮地球の気まぐれに過ぎないわけだ(大噴火によって吹き出される膨大な二酸化炭素地球温暖化をさらに助長する、という説もある)。


 どうやら同じ事を考える人は世界中にいっぱいいるようで、以下のような記事も発見した。

 

 寒冷化だろうが温暖化だろうが、人類のみならず地球生物の生存環境に限りない負荷を与えてしまう。今回の大噴火が温暖化・寒冷化どちらの“引き鉄”にもなり得る可能性を秘めている以上、我々地球上生物は地球の”気まぐれ”に右往左往するしか術はないし、それが地球の“意志”ならば、あらがうことも出来ないであろう。ただ出来るとしたら、そんな気まぐれな地球を怒らせないように、自然と共生できる、せめて地球にとっての“癌”から“良性腫瘍”ぐらいにはなれるよう、努力するしかないんじゃないかな。

小説を朗読劇で映像化する可能性

 先日、西区民文化センターでReadingNotteの「朗読夜会第八夜 季節のない街朗読公演上映会」を観賞(観劇?)。これは、拙作に役者やナレーターとして何度も参加いただいてきた日高さんのお誘いによるものだったが、この舞台撮影にはIPFのメンバーも深く関わっている(私は運搬係(;^_^A)こともあり、非常に親近感を持って参加させていただいた。

 


 さて、上記にもある通り、今回は舞台ではなく、その様子を撮影し編集を加えた“上映会”。今なお猛威を振るう新型コロナ禍によって公演中止の憂き目に遭ったこの舞台を、実際に演じたものを撮影した映像によって公開する、という画期的な取り組みだ。題材は山本周五郎の『季節のない街』。このタイトルを見て映画好きの私がピンとくるのは、何といっても黒澤明御大の『どですかでん』。実際、伴淳三郎三波伸介三谷昇平幹二郎と並ぶ往年の広島《東部》高校演劇出身俳優!!)で映像化されたエピソードが朗読劇として描かれていたのは、実に興味深かった。

 

 

 


 全編を通じて(そして原作そのものがそうなんだろうけど)、優しさに包まれた主人公の報われない愛情・行為が主題になっている。その対極にあるのは、そんな主人公の優しさや配慮に気づかない、それくらい“純”な身内の存在である。こちらが観ていてもぞかしい位自己主張が下手な主人公たちの堪える姿に、胸が痛む。中には声なき声によって自らの思いを吐露する主人公もいれば、最後まで徹頭徹尾耐え忍んだまま死んでいく主人公もいる。しかし、皆に共通するのは、その無自覚な身内に対する限りなき無償の愛(アガペの愛)だ。それが切々と感じられるのは、登場人物(演者)のストイックな演技だ。しかも、朗読劇故、そのうちに秘めた思いをストレートに吐露する2面性が描かれる点も特筆べきところかもしれない。特に『嵐を呼ぶ男』の石原裕次郎の役柄のように、どうしても自分の誠意を理解せず狡猾な兄の肩を持つ母に絶望する弟の役や、自由奔放な妻にいくら踏みにじられても顔色一つ変えない夫の役、そして無責任で夢想家な乞食の父を立て必死に生活を支えた挙句に、父の間違った認識を否定できなかったため病死する息子など、観ていてとてもやるせなかった。しかしその弟が夫が息子が、それでも献身的に務める姿に、どこか韓流映画の奥深さ(必ずといっていいほどハッピーエンドは望めないが、その先にもっと違った価値観・愛が存在するような)を感じずにはいられなかった。それもこれも、今回演じた役者陣の迫真の演技があればこそのことだと思う。

 ところで、一応今回の舞台撮影の舞台裏は知っていたものの、正式な形で朗読劇を観賞するのは初めてだったと思う。それで感じたストレートな感想は、「小説を原作にした場合、こちらの手段の方がより効果的ではないか」との感慨だった。現在、小説を原作にした映画・ドラマが量産されているが、小説でいう所の心理描写を若干のモノローグ以外、表情や演技で魅せることになる映画・ドラマと比べ、その内心を朗読という形でストレートに伝えることの出来る朗読劇の方が、より「小説的」のように思えた。勿論我々映画作家(私はアマチュアですが(;^_^A)は、その言葉で説明されたものをいかに映像や演出によって表現することに腐心し、それが映像の醍醐味だったりするんだけれど、同時に無類の本好き(読書家)としては、小説により忠実で小説を読むが如く観賞できる朗読劇(そして朗読劇映像)にも大いに惹かれた。しかも演者が皆衣装を着、そしてセットの中で、内心も吐露しながら演じるわけだから、これは非常に面白いことに気づいた。しかも今回は映像だったから猶更だ。

 今後、今回のような朗読舞台の映像が、新たな「小説の映像化」のジャンルに加わってもいいんじゃないか、って素直に思ってしまった。

嗚呼、水島新司氏……野球の「ヒロイン」を初めて描いてくれた功労者でした……

 ピンクレディーの名曲「サウスボー」。この歌詞は、「魔球ハリケーン」を引っ提げた女性投手(歌詞の「女にはそんなことは出来やしない~♪」から容易に想像)が、NPBで活躍する(歌詞の「背番号1の凄い奴が相手」「フラミンゴみたいちょいと一本足で」から、彼女の対戦相手が当時のNPB選手・王貞治であることは明白)姿を描いたものである。wiki辺りでは、以前当ブログでも紹介した“元広島”の永射投手がサウスボーのアンダースローで、しかもオールスターで件の王と対戦したことが、作詞家・阿久悠にインスピレーションを与えたそうだが、それと共に、かの名作『野球狂の唄』に登場する、「日本初のプロ野球女性選手」にして、サウスボーのアンダースロー投手だった水原勇気の存在も影響を与えていたのではないか。

 

 

 私が『野球狂の唄』に興味を持ったのは、この水原勇気東京メッツ入団辺りからだった。それまで、週刊少年チャンピオンで『ドカベン』を読んでいたし、『あぶさん』も叔父からコミックスをごっそりもらって読んでいた。特に1975年の近鉄バファローズ初優勝(後期優勝)以来パリーグに興味を持っていたから、『あぶさん』は当時フジの「プロ野球ニュース」ぐらいしか情報源のなかったパリーグのことを詳しく知ることのできる唯一の存在だったんで大いに役立っていた。

 

 しかし、当時「月刊」から「週刊」の少年マガジンに移行する、そ“売り”として「プロ野球初の女性選手」を登場させた『野球狂の唄』の存在を知ってから、以降のコミックズは全巻揃えるくらい、この漫画にのめり込んでしまった。その後アニメにもなったが、「水原勇気のテーマ」の「戦いの広場に~男の広場に~咲いた可憐な花一つ~♪」という歌詞が、”紅一点”“ヒロインアクション”という、まさに私が心惹かれるシチュエーションであり、そのことを思うと、もう小中時代から、我が「ヒロインアクション魂」は醸成されていたようだ(;^_^A

 

 かの初代「スケバン刑事」の斉藤由貴が、その直前「月曜ドラマランド」の枠で、この水原勇気を演じていたのは有名な話だ。また、映画化当時は、“ロマンポルノ”の日活制作だったため、非ポルノの作品でありながら躊躇するうちに観賞の機会を逃し、後に民放での放映でやっと観賞が叶った実写版映画『野球狂の唄』で、水原勇気を演じた木之内みどりも実に可憐で役柄にマッチしていたと思う(同様に、小池朝雄御大の岩田鉄五郎役も完璧だった(;^_^A)。

 

 

 

 実は、野球漫画のパイオニアにして唯一無二の象徴的な存在だった、本作の原作者でもある水島新司氏の漫画には大変お世話になった。『男ドアホウ甲子園』は藤村甲子園タイガース入団後の単行本は揃えていたし、上記の作品以外もアニメを拝見して大いに楽しませてもらった。水原勇気が恋しくて、連載終了後、一度で復活した回のマガジンは購入したし、その後メッツが北海道に身売りされたり、火浦が大阪アパッチの監督に収まる後日談が収録されたコミックスも探して読んだりした。件の水原勇気は、最後は我らが広島東洋カープに入団してたんだね(゚Д゚;)(゚Д゚;)

 

 

 

 「パリーグの功労者」という位置づけも含め、実は水島新司氏に対する思いは尽きない。『銭ゲバ』のような鮮烈的な作品もあるものの、氏の描く漫画のキャラクターこそ、日本野球漫画のプロトタイプといっても過言でなくくらい、読者に定着していたと思う。そんな氏の野球漫画の新作は、もう永久に読むことが出来なくなってしまったのである。

 

 ただ、氏が残した、水原勇気の『野球狂の唄』をはじめとする一連の作品は、氏が死して尚、永久に我々を楽しませてくれることだろう……合掌

 

 

”1.17”の歴史を繋いでいくもの

 今日で27回目の「阪神淡路大震災」発生日、1月17日を迎えた。今思えば、地震当時はまだ子供はおろか結婚もする前の独身・アパート暮らしの頃で、あの早朝の揺れは、自分の地元が震源地だと思い込むくらい激しかった。電信柱の電柱は大波を打って揺れていたし。しかし、その瞬間、あまりにも多くの人命が失われていたなんて、その時は思いもよらなかったが……

 

 

 そんなことに心底思いを馳せられたのは、昨年9月に、プロデューサーでmixi時代からのつながりのある川本じゅんき氏のお誘いで、横川シネマ!にて『れいこいるか』(いまおかしんじ監督)を観賞してからかもしれない。冒頭に登場する、あの愛くるしい「れいこ」が、家屋の下敷きであっけなく命を落とす(それも直接的描写はなく、周りの俳優の演技やセリフによって表現される)展開には胸が痛んだ。

 

 

 そんな『れいこいるか』だが、一昨年の2020年には映画芸術の「「2020年日本映画ベストテン1位」を受賞したり、半ばあきらめていたDVD化も、既に今月の7日にリリースされたり、と内外で大きな評価を得ていることは非常に喜ばしい。是非DVDで再見したいものだ(以前のブログでは「DVD化はわからないから、今劇場(横シネ)で観賞してほしい」云々なんて書いたりしたが、本当に失礼な話だったm(_ _)m)。

 

 さて、昨年(今年度)は、その神戸を準フランチャイズに持つオリックスバファローズ日本シリーズに進出し、かの「がんばろう神戸」で前身のブルーウェーブが日本一になって以来の、神戸・ほっともっとフィールド神戸(旧グリーンスタジアム神戸)で日本シリーズを戦ったのも象徴的だった。もし、東京ドームでの第5戦に敗北していたら、この神戸での試合は開催されなかったわけだから、そこにバファローズの意地を感じたね。もっとももうブルーウェーブじゃなかったけど……

 

 

 

 「阪神淡路大震災」以降、日本各地で大きな自然災害が頻発している。中でも2011年の「東日本大震災」が鮮烈すぎて、どこかこの27年前の災厄の歴史が風化しそうな懸念もある。もっとも、「関東大震災」以来となる100万大都市での直下型大地震は、当時全世界に戦慄を与える大変な災害だったし、そこで身内や知人を失った心の傷は終生消えないだろう、『れいこいるか』のように……

 

 『れいこいるか』のDVD化とオリックスのリーグ優勝は、そんな記憶を再び思い起こさせるきっかけにもなってくれていると思う。

ヒロインコスチュームの必然

 当方のヒロインアクションネタのカテゴリーの一つ、“ヒロインとアイテム”の中でよく「セーラー服」と「ロングブーツ」について触れ、その都度(そしてその日に)アクセス数が上るので、同じ思いを持つ方々も多いとお見受けする(;^_^A そんなものだから、勇んでまた書いてしまうわけだが、女性が身につけるものに関する記述だけに、書きながらいささか気が引けているのも本心だ(;^_^A(;^_^A

 

 ではなぜ、この二つのアイテムに特にこだわりを持って、実際に拙作のヒロイン(キャスト)に着用させたりしているのか……となると、やはり古今東西のヒロインたちの影響が少なからずあるということになるだろう。

 

 セーラー服に関しては、当方の作品としては1991年制作の『シューリンクス』において初めて登場したが、本当は未完ながらその4年前に撮影した『スケバン刑事広島版~狙われた生徒会長~』の“広島版”麻宮サキが最初だった。そもそもセーラー服に関しては、元々はどこか野暮ったい制服、というイメージがあった。確か『3年B組金八先生』の一エピソードで、修学旅行で東京に訪れた東北の中学生と桜中学の生徒との交流の回があった際、セーラー服姿の修学旅行生が桜中のブレザー制服を羨望の目で見る(暗にセーラー服は時代遅れと言わんばかりな)シーンがあって、それも影響していたかもしれない。またセーラー服は詰襟と同様、着崩しや改造が容易で、正統派(?)のスケバン(当時は「ヤンキー」なんて言葉はなかったし、「ズベ公」という呼び名を知るのはもう少し後)のマストアイテムだった分、何かイヤな存在だった。しかもまだ改正風営法が施行される前だったんで、ピンクやロマンポルノでは堂々と『セーラー服〇〇』なんてタイトルが躍っていたものだから、逆にヤバさを感じる存在だった。

 

 それが一気に払しょくされたのが、今まで何度も何度も何度も何度も何度も………語りつくしてきたが(;^_^A、1985年放映の『スケバン刑事』だろう。もっとも、放映時はフジ系の番組が視聴できない場所で暮らしていたので、オンタイムで観賞できたのは1話分(「愛と憎しみのアーチェリー」)だけで、録画したその回を何度も何度も何度も……それこそベータマックスのビデオテープが擦り切れるまで観続けて、いつの間にか「学園の戦闘服」としてのセーラー服が自分の中に刷り込まれた感がある。だからセーラー服への憧憬は、飽く迄ヒロインの戦闘服としての位置づけから始まった。

 

 

 それから後付けで、セーラー服着たズベ公が登場する一連の東映プログラムピクチャーもある種ヒロイン映画じゃないか、なんて考えたり、実際その後『スケバン刑事』シリーズや『少女コマンドーいづみ』、『セーラー服反逆同盟』といった「セーラー服で戦う」「しかも可憐な」ヒロイン像が確立され、未だに『ラストブラッド』『女子高生ゾンビ』といった映画やゲームの中でも、セーラー服着たヒロインは闘い続けている。

 

 

 結局、その後セーラー服というアイテムには、「戦闘服のイメージ」と「時代を遡れる牧歌的なイメージ」の両面を併せもつものとして、一着だけあるそれが、当方の映画に“手を変え品を変え”登場することとなったが、そのルーツは上記のように戦う女性の衣装という位置づけだった。

 

 

 

 ロングブーツに関しては、まさに幼少期からの“刷り込み”に他ならない(だから同世代には同様の思い・体験をしている人が多いと思う)。我々の世代が幼少期を過ごした1970年代は、児童向けドラマ(特撮ドラマ)やテレビマンガ(アニメ)において、ヒーロー活劇が百花繚乱の如く放映されていた。今では信じられないが、毎日午後6時台7時代は子供番組の時間枠で、“腸捻転”時代のテレ朝などは土曜午後8時代まで特撮やアニメを流していた(おそらく『全日本プロレス中継』潰しのためだと思うが)。ヒーローとくれば、当然ヒロインも登場する。そしてヒロインたちは一様にロングブーツを着用してきた。もっともヒーローの戦闘服も大抵はブーツで、そこには軍隊の長靴のイメージや、そもそも「身体をカバーする」という必然があってのことだと思われる。しかし当時は76年にピークを迎えるロングブーツ大流行の時期とも重なっていたので、ヒロインのロングブーツはどんどんスタイリッシュになっていった。

 

 

 特撮もののヒロイン、それも変身するヒロインは戦隊ヒロインからビジンダー(志穂美の悦ちゃん!)に至るまで一様にロングブーツ姿だったし、アニメにおいても、白鳥のジュン(『科学忍者隊ガッチャマン』)の当時としては珍しい白のニーハイブーツは鮮烈だった。また、最近東映チャンネルで『大鉄人17』を再見して、レッドマフラー隊の女性隊員の制服は皆ミニスカートに黒のロングブーツだったことが判明した(竹井みどりだけじゃなかった!!)(;^_^A

 

 

 

 そんなわけで、ロングブーツに対する憧憬は、まさにこのヒロイン活劇に熱中した子供時代に、意識下に刷り込まれたといっても過言がないのではなかろうか(;^_^A 「強くてカッコいいお姉さん」というイメージで。だから、きっと我々の層には潜在的にロングブーツファンが多いと思う。世の女性たち、壮年の男を誘惑するにはロングブーツ着用が効果的かもしれないよ(;^_^A(;^_^A もっとも「誘惑」っていったって、壮年の男なんて金をせびるくらいの価値しかないけどねヾ(- -;)ヾ(- -;)ヾ(- -;)

 

 当方の映画でも、ロングブーツが登場したのは“広島発ヒロインアクションムービー”シリーズ第一弾『令嬢探偵★モロボシアイ』(こちらはプロデュースのみ)から。要はヒロイン活劇が初めてだった。それから『天使諜報★神宮寺真琴』『特命探偵☆葛城アキ』と来て、対する“悪の華”としても『葛城アキ』の生駒千歳専務、『電光石火☆八城忍』の神納清美・γ団グル(尊師)がロングブーツを履いて登場した(生駒千歳や神納清美の場合は、悪の女幹部のイメージですな(;^_^A)。

 

 

 とどのつまり、「セーラー服」にしても「ロングブーツ」にしても、それらへの憧憬のルーツは、ヒロインアクションにあり! だから、タイトルにある「ヒロインコスチュームの必然」となるわけだ………って、言い訳にしか聞こえない?ヾ(- -;)ヾ(- -;)

 

 

 この種のネタでは毎回登場願っている「特命探偵☆葛城アキ」嬢(綿谷みずきさん)だが、今回は趣向を変えて、ほのぼのとしたオフショットを(;^_^A

「食わず嫌い」はいけないけど、コスチュームも大事よ……

 先日『アンストッパブル』の“激アツ”ぶりをしたためたが、同時期にこれも再観賞した『バトルシップ』も、また“激アツ”な映画だった、そのクライマックス、あれだけ大嫌いだったアメリカ退役軍人たちが、これでもか、というくらいカッコよく登場するのは、どこか“プロバガンダ”臭を感じなくもないが、とにかく観ていて熱くなる。彼らによって“展示品”と化していた第二次世界大戦の往年の巨大戦艦ミズーリが出航し海原を航行するシーンは、今観ても胸が高鳴る。しかも今回、あのミズーリ航行シーンはCGではなく、実際の戦艦ミズーリが航行していたのだと知り、驚いている。

 

 

 本作に関しては、海上自衛隊員にして護衛艦みょうこうの艦長として登場する浅野忠信が実にいい役柄で、監督・制作者の日本に対するリスペクトも感じられて、日本人にとってもいい映画だったと思う。しかし当時本作は大コケした駄作だと酷評された(実際日本ではそこそこヒットしたようだ)ため、当時予告編は何度も何度も観たものの、公開当時はおろか、DVDレンタルが始まってからも、全然食指が動かなかった。しかしCSでの放映をきっかけに本作の魅力に気づくなんて……全く以て“風評”に影響された、情けない話であるヾ(- -;)

 

 

 さて、その風評というか“烙印”によって、もしかしたら見誤っているのではないか、と思う作品に、実写版の『ガッチャマン』がある。当時はそんなに劇場で映画を観る習慣がなかったとはいえ、子供の頃は必死になってアニメ(当時のテレビまんが)を観ていた本作の実写映画化なのに、映画館でもDVDでも観ることはなかった。そしてCSで放映された時も、後半から観て、地球滅亡のカウントダウンが始まった緊急事態の中、それでも“恋のさや当て”を繰り広げる科学忍者隊の面々の行動に辟易して、一方的に“駄作”の烙印を押してしまった。また当時の風評も概ね同じようなものだった。

 

 しかし、過去ブログの記事「剛力彩芽と“白鳥のジュン”」を読み直した際、当時の科学忍者隊の配役を見て、思わずうなってしまった。超一流というか、適材適所というか、オリジナルアニメと比べてその風貌に若干の違和感はあるものの、これだけ理にかなったキャスティグは他に考えられなかったのではないか、って感慨だ。松坂桃李綾野剛鈴木亮平は言うに及ばず、剛力彩芽もそのスレンダーなボディーは白鳥のジュン(本作では大月ジュン)にマッチしているし、後に『ウルトラマンジード』で主演する甚平役の濱田龍臣も、こしゃまっくれた“若い青年”役としては当時ベストの配役だったと思う。

 

 

 

 そう思うと、無性にこの実写版『ガッチャマン』が再観賞したくなったよ。この週末にTSUTAYA辺りで「旧作110円(税込)」だったら、借りてみようかしら(;^_^A

 

 もっとも、それでも不満がないわけではない。どうしても納得いかないのは、剛力彩芽演じるG3のコスチュームだ。どうして彼女だけ、オリジナルのアニメとは似ても似つかないあんな紫のコスチュームになったのだろう。あのコスチュームを正当化するために、名前を「白鳥」から「大月」に改名したならば愚の骨頂だ。往年のファンは当然、白を基調にし、露出度の高い白のワンピースに、白のニーハイブーツを身に纏った剛力彩芽の姿を期待していたにといないから。そういう外連味が制作サイドにあったならなぁ……

 

 

 往年のファンは、剛力彩芽にこんなコスチュームで登場してほしかったに違いない、こういうコスチュームで……(;^_^A

 

 

 

 

激アツ!『アンストッパブル』~ハッピーエンドなる「プロジェクトX」~

 先日、CSのWOWOWプラスで『アンストッパブル』を再観賞。それというのも、今から7年前に、その感想をブログにしたためたことがあったからだ。

 

 しかし当時は、途中からの観賞で、全貌はネットの情報頼りだったけど、今回は放映の情報を掴んで録画し、フルで観賞できたんで、改めて初見当時のレビューにいくつかの“思い込み”があったことに気づいた。

 

 本作は2001年に実際に起きた列車暴走事件を、ある種忠実に再現した映画だった。機関士の初歩的なミスで機関車が暴走する点も、溶融フェノールという毒性の高い揮発性の液体を大量に積載していた点も、人口密集地に急激なカーブがあり、そこに高速で突っ込んだら大惨事になる点も、力行しているのにも関わらず低速で走行していると勘違いして、引き込み線に誘導するのをミスした点も、本当に別の機関車を追走させて暴走列車との連結による減速低停車を試みた点も、更には主人公の機関士が追走中に家族に「愛している」と連絡を送った点まで、現実の忠実な再現だったようだ。まさにハリウッド版「プロジェクトX」といっても過言ではないくらいの内容である。

 

 

 それにしても、中盤以降の手に汗握る展開と言ったらなかったね! 今回も録画後2回連続して観賞して、その都度前のめりになって観たもの。そこにはニュース報道を多用した現実感や、それゆえ主人公たちの決死の行動が、テレビカメラを通じて常に報道され人々に周知される点なども影響しいているかもしれない。とにかく臨場感にあふれていて、観ている我々も劇中テレビの前で釘付けになっている聴衆と一緒になって一連の出来事を固唾をのんで見守っているような錯覚すら覚えた。まさにこれもまた映画世界に溶け込んでいくような「バーチャルリアリティ」感覚といえるかもしれない。

 

 主人公2人、機関誌フランク(デンゼル・ワシントン)・車掌ウィル(クリス・パイン)の超人的な活躍で事件(事故)が解決した後、きちんと彼らの功績が認められて終わる爽快感や、上司と対立してまで彼らを常に後方支援し続けた“漢気溢れる”(といっても女性の)操車場長コニー(何と『デスプルーフ』のロザリオ・ドーソン!!)が出世し、会社の利益を優先して悉くフランクらやコニーの努力を踏みにじりつけたカルビン運行部長が逆に解雇されるという、絵にかいたような「勧善懲悪」ぶりには、本当にスカッとさせられる。

 

 「プロジェクトX」といえば、『黒部の太陽』『栄光への5000キロ』『富士山頂』といった一連の石原プロ作品が「映画版『プロジェクトX』」の様相を呈していたけれど、もっと現在の邦画の世界でも、こういう成功の物語を、是非もっともっと映画化してほしい。もちろんその際のキーワードは「ハッピーエンド」だ!(;^_^A