神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

僅か数週間で……

 あれは3月最終週、異動に備えての打ち合わせで、旧職場から新職場に車で移動する際の出来事。

 

 もともと普段置きなれない場所に車を停めて、そこから移動したんだけれど、うっかり前方にやや段のある側溝に気付かず、思い切り乗り上げてしまった。でも何とか乗り越えたので、そのまま一路新職場に向かったんだけれど、どうも車が左に傾いて仕方がない。その傾斜はどんどんひどくなっていき、幾分乗り心地の悪ささえ感じられた。 


 そして、新職場にあと一キロ弱に迫った時、ついに前輪がガタガタ揺れだした。そして悟った、「ああ、パンクしちゃった」と。そこから慌てててガソリンスタンドを探し、目的地の少し前でそれを発見。何とか滑りこんだ。 


 車から降りると、案の定、本の数週間前に車検で買えたばかりのタイヤが、ものの見事にボロボロになっている。おそらく側溝に乗り上げた際、どこから割れてしまっていたのだろう。転勤に向けて何とも痛い“代償”となってしまった。流石に家族には言い出せなくて、未だ内緒にしてはいるが(;^_^A 


 そんなわけで、昨日は「タイヤの日」だったんだそうだヾ(- -;)ヾ(- -;)

佐清の足

 こういう“小ネタ”は大好きだ(;^_^A 

 いよいよ、ていうか、今年度のNPBペナントレースが、年度替わり前の3月よりスタートした。まだ人数制限下の開催ながら、昨年のことを考えたら隔世の感だ。もっとも、昨年の今頃と比べて新型コロナ禍の状況が好転しているわけでもなく、まるで「東京“利権"五輪」をゴリ押しするために、いかにも“状況が好転した感"を醸し出す一翼を担っているように思うのは私だけか? まあ、それでもプロ野球が観戦できるのは正直うれしいけどね(;^_^A 

 本来ならば、ここで試合「結果」についても語りたいところだが、決まって“舌禍”を繰り返すので、今回は当たり障りのないネタとして目につき、思わず話題にしてしまったのが、下のニュースだ。

「珍プレー確定」「犬神家」 楽天・鈴木大、ベンチに飛び込む“ど根性美技”が話題
https://news.yahoo.co.jp/articles/4938ba58a88d10faa9610ec03f82b8e6bf0c8a0d

 


 これは、ゴールデンイーグルス鈴木大地が、ファールフライを自軍ベンチに飛び込んでまでして捕球した、そのファインプレーについての記事なんだけど、その際の捨て身のプレイとその直後の彼の姿を「犬神家」と称したコメントがあまりにも秀逸だったので、つい話題にしてしまった(;^_^A 

 この姿に「犬神家」の文字が脳裏に浮かんだ人がどれくらいいるだろうか? 横溝正史原作による、そしてかの角川映画第一弾となった、オリジナルの『犬神家の一族』が公開されたのが1976年。本作は猟奇殺人に端を発した遺産相続を巡る連続殺人事件に名探偵・金田一耕助が挑む本格的推理サスペンスを中心にしながらも、白いゴムマスクで顔を包んだ犬神佐清(その実態は「青沼、静馬さ!」)の不気味な容姿と、彼(その実態は……以後省略)が殺害された後、湖に逆さに沈められ、水面に両足を木のように突き出したビジュアルが、本作のイメージを決定づけたといってもいい。実際映画のポスターデザインにも、“佐清の足”が中心に据えられていた。 

 

 

 今回の鈴木大地の姿を、“佐清の足”になぞらえたのが今回の記事だった。私はこの手の小ネタが大好きで、「犬神家」というたとえを目にしただけでもう「おなかいっぱい」なんだけど、この小ネタで笑えるのは、昭和世代の「針の先」のような層になるんだろうな(;^_^A 

 奇しくも、今回の渦中のプレーヤーである「鈴木大地」の名も、ソウル五輪水泳金メダリストをどうしても連想してしまう。思えば、ソウル五輪は1988年の開催、つまりギリギリ“昭和”だった…………(;^_^A 

まさに「この世の春」

 例年ならば、今の時期は桜のピークが過ぎた直後くらいで、未だ山間部では満開の桜が見られたものだったが、今年は暖冬のせいか、桜の開花は例年になく早かった。それにしても、広島が“桜前線”のトップを飾るなんて、いったい何事だったんだろう……?

 

 

 そんなわけで、既に巷の桜はすっかり散ってしまった。写真は3月下旬の前職場で咲いていたソメイヨシノだ。

 

 それにしても、昨年と同様、今年も新型コロナ禍で、花見の光景はすっかり鳴りを潜めてしまった。もっとも、自然界にとっては鬱陶しい人類が閉じこもってくれているので、まさに今「この世の春」を謳歌してるんだろうな(;^_^A

春眠

 新年度が始まって、個人的には6年ぶりに新たな生活がスタートして……独特の緊張感に包まれた日々を過ごしている。そのせいか、ここんところ眠くて仕方がない(;^_^A

 

 

 今まですっかり“夜型”で、それこそ日付が変わる辺りから元気になる、という困った生活が続いていた。でも不思議と日中がそんなに眠いわけでもなく、朝も普通に起きられていたから、俗にいう「年を取ると朝が早くなる」状況になってしまったか、なんて考えたりしていた。

 


 それがここ数日……っていうか10日ぐらい前から、とにかく睡魔に襲われるようになった。それこそ仕事を終えて帰宅したら、食事を済ますや否やすぐにバタンキューで、気が付けは日付が変わりそうな頃になっている、なんて生活になってしまった。確かに夜更けにごそごそはするが、それは“睡眠明け”故出来てるにすぎない。まさに”春眠”、とはいっても“暁を覚えず”ではなく”夕刻を覚えず”って言ったところだ。

 


 これが早めに入浴して、日付が変わる前に就寝できれば、いたって健康的なんだろうけど、残念ながら仮眠が深夜の“ごそごそ”を誘発し、それで夕刻にまた眠たくなって仮眠をとって……という悪循環が続いている。

 


 そんなわけで、ここ最近はまともなブログが書けなくて、お恥ずかしい限りであるm(_ _)m

 


 まあ、この週末までの期間に大きな動きがあるし、週末になったら少しは体調を整えることが出来るし、いつかは新しい生活にも慣れるだろうから、それまではご容赦を(;^_^A(;^_^A(;^_^A

準優勝校は我が母校の付属

 またもやセンバツネタで……

 

 前にも書いたが、今年のセンバツ東海大相模の優勝で終わったが、私見ながら、実はどうしてももう一方の雄、明豊に優勝してほしかった。何故なら、明豊は我が母校の付属高校だったから。

 

 九州の一角、大分に存在する我が出身大学は、全国的に見ても、規模の小さいマイナーな大学だ。もっとも、この大学の映画論を受講しなければ、現在35周年続く映画制作団体イチヱンポッポフィルム(IPF)の結成も、それ以前に私が映画制作の道を志すこともなかったわけで、わが生涯の生業を手に入れる資格を有することができただけでなく、人生にとって大きな意味を与えてくれた大学だと今も感謝している。IPFの主要メンバーには映画論のOGも名を連ねているし。

 

 

 しかしながら、上記のようになかなか全国に認知してもらえない我が母校にとって、近年甲子園で活躍してくれている明豊は、恰好の“広告塔”だった。何といっても、甲子園出場時には、胸に母校の名を大きく刻んでくれているし、肩には母校のマークも入っている。

 

 

 それ故、明豊は、我が高校の方の母校・広陵と共に、出場すれば必ず応援していた。広陵の方は既にセンバツで3度優勝し、うち二度はテレビや甲子園でリアルタイムでその瞬間を目撃しているが、それ故、今回是非明豊にも勝ってほしかった。まあ仕事の関係で、リアルタイムで観戦、って訳にはいかなかったけど……

 

 もっとも、それでも準優勝は大したことだし、センバツの最後の日程まで試合出場を果たし、その間ずっとお茶の間に我が母校の名をアピールし続けてくれたことを心から感謝したい。

 

 まだ新型コロナ禍が落ち着かず、果たして夏の全国高校野球選手権大会が開催されるか、

まだ予断を許さない状況だが、出来れば、広陵、明豊双方が甲子園に出場し、是非好成績を挙げてほしい。そしてもし両校で決勝なんて“奇跡”が起こったら、その時は甲子園で……否、どちらのアルプスを選ぶかなんてとてもできないから、その時はテレビで観戦しよう、CSのスカイAで(;^_^A

死して屍拾う者無し

 「4月4日(しがつよっか)」という日付で、何故か脳裏に浮かんだのが「死(4)して屍(《4》かばね)拾う者無し」という言葉だった。言わずもがな、かの傑作時代劇『大江戸捜査網』のクライマックスに流れる「隠密同心 心得之條」(でよかったかな?)の中に登場するセリフ(ナレーション)である。この「尚 死して屍拾う者無し 死して屍拾う者無し」と念を押すように繰り返されるところで、観る我々の期待はいやがうえにも膨れ上がり、その直後「隠密同心 十文字小弥太!」「同じく 井坂十蔵!」ときて、あのホルンが高らかに鳴り響くお馴染みのテーマ曲をバックに大立ち回りが展開していく。たまにBSや、CSの時代劇専門チャンネルでづ番組が放映されると、とにかくあの判で押したようなlクライマックスがどうしても観たくて、結局最後まで観てしまう(;^_^A 

 

 でも、実際には、仲間の死には「死して屍」を拾ってたらしいけどね(;^_^A

 

 

 そういえば、同番組はもともと「大江戸アンタッチャブル」というタイトルで包囲されていた時期がある。それは「捜査網」に「アンタッチャブル」のルビがふってあったわけだが、勿論英語のアンタッチャブルに「捜査網」の意味はない。おそらく、後にデパルマにリメイクされた、アル・カポネを追う連邦捜査官の活躍を描いた米ドラマ『アンタッチャブル』からの引用だろう。

 

 

 でも、辻褄が合わないとは知っていても、やはり“昭和世代”には『大江戸捜査網アンタッチャブル)』のタイトルの方がしっくりくるなぁ(;^_^A

『ウルトラマン80』と第52回センバツと

 早いもので、今年は無事開催された選抜高校野球大会も、あれよあれよという間に日程が進行し、年度代わりの去る4月1日に、東海大相模の優勝で幕を閉じた。

 

 そんな今年の「センバツ」に関して、これから極めてパーソナルなことを書かせてもらいたい(;^_^A

 

 CSのファミリー劇場で、このセンバツの時期に足並みをそろえたかのように、『ウルトラマン80』のデジタルリマスター版放映が始まった。この『ウルトラマン80』は、75年3月の『ウルトラマンレオ』終了以来、5年間のブランクの果てにようやく制作された“実写版”のウルトラシリーズだったので、当時既に高1だった私も、大いにその放映を期待していたものだった。

 

 

 しかしながら、その『ウルトラマン80』を初めて観たのは、何故か第2話の「先生の秘密」から。あれだけ期待していたのに、栄えある第1話「ウルトラマン先生」は高3の頃に再放送されるまで観賞することは叶わなかった。それというのも、第1話放映日の1980年4月2日、私は広島をはるか離れ、甲子園球場のアルプススタンドでトランペットを吹いていたのだった………?

 

 奇しくも1980年の第52回選抜高校野球大会に10年ぶりに出場を果たした母校の野球部は、3月27日の開幕3戦目に東海大四高をサヨナラ勝ちで下し、その結果2回戦を件の4月2日に九州学院を相手に戦うことになったのである。当時吹奏楽部員だった私も、当然応援に駆り出され、残念ながら『ウルトラマン80』の第1話放映に立ち会えなかった、というわけである。

 

 

 赤い矢印が当時の私(;^_^A

 

 このことは、ずっと頭の片隅にあったことだが、この度絶妙のタイミングで『ウルトラマン80』が今年のセンバツとシンクロするように、しかも第1話がオンエア時と一日違いの4月1日に放映されたので、思わず我がことながら綴ってしまった次第である(;^_^A でもあれから既に40年以上経過してしまったんだなぁ……

忙中に“忙”あり?

 何か、年度が替わってから、仕事の忙しさが半端なくなってきた。勿論異動のせいでもあるが、今は自分のスキルを上げるのが精一杯で、帰宅して食事を摂ったら“バタンキュー”の状態が続いている(;^_^A  その前に過剰なアルコール摂取が伴うから、不健康なことこの上ない。ただ睡眠量は幾分多くなったかな?

 

  そんなわけで、今までなら夜半PC(スマホじゃないんですよね(;^_^A)に向かってのんびりブログを書くのは日課だったけれど、最近どうもそんな時間も取れない。実はいっぱい書きたいネタはある。映画の方も、『デコトラの鷲』以降、『花束みたいな恋をした』『ミッドナイトスワン』『奥様は取り扱い注意』と立て続けに、イオンシネマ西風新都の“年齢割引”で観賞した。どれも大変興味深い作品で、それこそそのネタで6回分はブログが書けそうなんだけど、そういう落ち着いた気分になれないのが遺憾ともしがたいヾ(- -;)

 
 このままでは、数年来ほぼほぼ毎日更新を続けてきた当ブログも、しばらくお休みをいただくことになるかもしれない。毎日アクセス確認をしているが、意外と過去の記事を観てくださる方が多いのが、毎日更新が滞る事態になっても、少しは救われるのだが………はてさて今後どうなることやら……ヾ(- -;)

「一人じゃないんだ、日野ファミリー」

 先日のブログに書いたように、この4月1日から“四月馬鹿”でも何でもなく、新しい職場での生活が始まった。正直なれないこともあり、肉体的にも精神的にも大変な一日だった。

 そんなわけで、始終気を使いっぱなしだった勤務時間を終え、その後、前の職場に残した荷物の回収に行った。なにぶん“断捨離”が大の苦手だったし、私的な荷物も置いていたので、残した荷物はかなりの量。それで相当な“肉体労働”の末、何とか全て車のトランクやシートに押し込むことが出来た。

 

 そんな作業の折、ふと通りかかった同僚の方から声をかけてもらった。とても職務に忠実な真面目な方で、普段プライベートな話をすることもなかったので、転勤時の手続きの不備を指摘されるのかと思ったら、思いがけない言葉をもらうことになった。

 

 その話によると、その方は以前インディーズムービーに興味があって上映会にも足繁く通っていたそうで、その折に8ミリフィルム時代の拙作をご覧いただいていたんだそうだ。そのことをなかなか話す機会がなく、この度私が異動することを知って、今回話してくれたとのこと。

 そんな“サプライズ”に、私の胸は当然いっぱいになってしまった。「あまりお金を払ってなくて貢献できなくてすみません」とまで言って頂いたが、そんなことは毛頭ございません! そうやって観ていただいただけでも感謝! 感謝です!

 

 別れ際に深々と最敬礼して、その余韻に今も浸っている。映画制作を始めて36年。広島の地でイチヱンポッポフィルムを立ち上げて35年が経過したが、そんなささやかな映画活動も、決して独りよがりの無駄な作業ではなかったと、少しでも垣間見ることが出来た、素敵なひと時だった。

 

 

 もし他の方がこんなことを書いていたら、きっとこんなコメントを書くと思う。 「一人じゃないんだ、日野ファミリー」(by「走れ!歌謡曲)って(;^_^A

激動の6年間

 例年になく暖かい気候で、既に桜も散り始めようとしている。年度代わりのこの時期は、何かと「別れ」の季節だったりする。

 

 例年ならば、取り立てて意識することもなかったりするんだけど、今年度に限っては、6年ぶりに職場環境が変わることになって、何とも言えない日々を送っている。 


 今回は6年ぶりの移動。今の職場にいた6年間を“広島発ヒロインアクションムービー”的に考察すると、前年度の『電光石火☆八城忍』クランクアップを受けて、翌2016年1月に本作を公開。それに遡ること2か月前の2015年11月には、後の「広島発ヒロインアクションまつり」のプレイベントとなる「広島発ヒロインアクションの夕べ」を横川シネマ!!で開催した。ヒロインアクションの盟友である「シネマペロ」の稲葉司監督と初めて対面したのもこの時だった。 


 2016年2月は『学園特捜☆伍代聖羅』をクランクイン&クランクアップ、3月には『八城忍』をひろしま映像ショーケーズで再映。10月には東京で開催された「新宿アクション映画祭」にて『伍代聖羅』ワールドプレミア公開、そして11月には待望の「広島発ヒロインアクションまつり2016」を横川シネマ!!で開催、満員の観客に恵まれた。 


 翌2017年2月より『女子高生戦士☆英あいり』の企画がスタート、5月クランクイン、9月クランクアップで、11月にはイオンシネマ広島で、本作を公開。奇跡のような、初のシネコン上映を果たした。翌2018年3月には、『英あいり』を交えた「広島発ヒロインアクションまつり2018」を開催、9月には、東京で共催企画「ヒロインアクションまつりin東京」も開催され、『英あいり』主演のILOVEU@あいりさんと共に東京・池袋まではせ参じた。同じ9月には、福井のHOUND PROJECT主催の「BURNING SPIRITS 2018」で『伍代聖羅』が上映された。 


 2019年には、地元の広島市青少年センターが主宰した「わかもの映画祭」の「若者が出演した映画」部門にエントリーするために、1月に『THE 争奪戦っ!』を制作。無事3月のイベントで上映された。 


 こんな形で、この6年間はかなり濃密な“映画人生”を歩ませてもらった思いがある。勿論だからと言って本務(仕事)をおろそかにしたわけではないけれど、やっぱり映画制作にも“波”みたいなものがあり、たまたまそれに乗った6年間だったのかもしれない。 


 だんだん人生のリタイア時期が近づいてくるにつれて、いつまでも今までのような生活はできないだろうし、それ以前に明日からの新しい生活・仕事がどうなるか皆目見当がつかない。でも何とか順応して、いろんな意味で“両立”出来る日々を模索してゆきたい。