神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

“35年ぶり”のシリウズ流星群 ~『星空のむこうの国』~

 “只の”4連休初日の22日、広島バルト11にて『星空のむこうの国』を観賞。我々の世代、そして自主映画人にとって、1986年公開の“オリジナル”版『星空のむこうの国』は衝撃的だった。確か16mmフィルムで撮られていたと記憶しているが、1980年代に大林宣彦監督の「尾道ファンタジー三部作」に触発されて自主映画の世界に足を踏み入れた、私のような人間にとっては、大林監督は「夢」であっても、その世界観を自主映画的規模で描いた小中和哉監督は「目標」となった。それくらいこの86年版『星空のむこうの国』は、我々がやりたかったことを見事にやり遂げた、とても素敵なファンタジーとして強く印象に残った。何といっても噂を聞きつけ、何とか観賞しようと、デッキもないのに高価なレーザーディスク(当時)を購入したくらいだ。

 

 

コバルト文庫版の原作本も持っていた(;^_^A

 

 それ故、本作が同じ小中監督によってセルフリメイクされたことを、バルトのチラシコーナーで知った時は、ホントびっくりしたものだった。その衝撃は、その時に当ブログにもしたためている。
 

 

 そんなわけで、今回満を持して観賞。正直に書くと、当時あれだけ熱狂した作品なのに、四半世紀を超える時間の経過と共に、主演の有森也実の瑞々しさ以外、殆ど作品の記憶が失われていた。しかし、作品を観ているうちに、徐々に当時の記憶が断片的に甦ってきた。

 

 

 本作は「パラレルワールド」という、前回観た『夏への扉』の「タイムスリップ」と共に、70~80年代ジュブナイル系ファンタジーのマストアイテムをテーマにした作品である。同じ交通事故に遭遇しながら、片やかすり傷ですみ、片や命を失うという、全く異なる2つの運命を多元世界で背負った主人公・昭雄が、彼の死を受け入れられない美少女・理沙の強い思念によって、自分が死んだことになっている世界に呼び寄せられる、というのが物語の本筋で、異世界に引きずり込まれた昭雄が、その世界にも存在する親友・尾崎の手助けによって、理沙と共に、死んだこの世界の昭雄と彼女が約束した、「33年ぶりに飛来するシリウス流星群を秘密の場所で一緒に観る」の実現のため“約束の地”に向かう、という展開である。しかし理沙は、自分の体内で血液を生成できないという、先天性の不治の病によって、余命いくばくもない、という“十字架”を背負っていて、それがある種のサスペンスとして、彼らの逃避行をさらに悲劇的な方向に誘っていく。

 

 観ながら、「オリジナル版の尾崎の方がインテリ風だったよな」とか、「昭雄を慕う後輩の2人組は相変わらずいい味出してるよな」とか、「昭雄が初めて理沙と遭遇するシーンは、今回は並走するバスの車窓からだったけど、オリジナルは並走。交差する国鉄(現JR)車輛だったよな」とか、「今回『ネクサス』の主人公だった俳優が演じてる理沙の主治医役は、オリジナル版ではもっと芝居がかった演技をする俳優だったよな」とか、「遠距離で電話をしている昭雄と尾崎が、観念的演出で同一画面でクロスオーバーする演技はオリジナルにもあったよな」とか、35年前の記憶がいくつも脳裏に浮かんできた。なんだか今回の観賞は、オリジナル版の追体験的な側面もあったような気がする。

 

 それにしても驚いたのは、(おそらく)現代世界を舞台にしながら、全編を包む雰囲気や空気感が、まるでオリジナルの80年代を彷彿させていたことだ。それは演技にも演出にもにじみ出ていたような気がする。それこそ、劇中登場するスマホだけが異質な存在であるかのように。でもそれが観ていて実に心地よかった。奇しくもその直前に、当団体の上映会で80年代ファンタジー系8mmフィルム映画を観たばかりで。その感性を思い出したばかりの時に観賞したのが功を奏したのかもしれない。これはセルフリメイクを試みた小中監督自身の狙いだったのかもしれないけど、上映中、まるで身も心も80年代に“タイムスリップ”したかのような、郷愁溢れる素敵な気分を満喫することができた。半面、今の若い世代の層に受け入れられたかどうかはわからないけど……(;^_^A

 

 それと、作曲がオリジナルと同じ木住野佳子で、オリジナルで流れていた懐かしい曲が、劇中何度もの流れていたのはグッと来たなぁ(;^_^A

最近のリメイクものではやたら主題歌を差し替えるなど、残念なことが多いが、楽曲が作品世界を左右するだけの、こうやってオリジナル曲を尊重する姿勢はとても好感を覚える。

 

 主演の秋田汐梨は、まだ拙い演技ながら、それが一途な理沙の雰囲気を上手く醸し出していた。彼女とは一昨年、来広しての娘とのツーショット撮影の折「出会って」いるがヾ(- -;)、意外と映画ではその時のイメージとは違っていたなぁ(;^_^A  主人公・昭雄(このネーミングは「実相寺昭雄」監督からの引用か?)役を演じた鈴鹿央士は、これまた娘が欠かさず観ていた『ドラゴン桜』で、嫌味な優等生(後に改心)役で出ていたのでよく覚えたいたが、やはりオリジナルと比べて、やや“スレた雰囲気”だったかな。そして何といっても、オリジナルで理沙を演じた有森也実が、本作でその母親役を演じる、というキャスティングの妙には感動を覚えた。病弱な理沙を何とか守ろうとしながら、彼女の危険な行動を、主治医とは裏腹にどこか容認しているような微妙な演技は、彼女がかつてその一途で無軌道な行動をとった理沙を演じた当人であることを思うと、何とも象徴的だ。

 

 

 

 私も8mmのアマチュア映画ながら、1985年制作の処女作である『新人代謝』という作品を、その11年後の96年にリメイクして公開したことがある。そうやってセルフリメイクするものの心理として、どうしてもオリジナルとの“差別化”を図ろうとするものである。しかし小中監督は今回のリメイクに際し、実にオリジナルに忠実な(かといって市川崑監督のように全く同じ台本で撮るわけではない)、それでいて86年当時では技術や予算の面で不可能だった部分にうんと力を入れた作品作りをしていたように思える。何とも古くて新しい、そんな形容が似合う作品だったと思う。

 

 

上が1985年版、下が1996年版『新人代謝』のヒロイン。

 

 それにしても、奇しくもオリジナルの公開が当映画制作団体イチヱンポッポフィルムの結成年と一緒なだけに、今回のセルフリメイクの歴史は、そのまま当団体の歴史とカブることとなったよ……それって、私もそろそろ元来の「ファンタジー路線」に回帰せよ、ということなのだろう(;^_^A

 

 

 ※ちなみに本作で看護師・松戸瞳を演じた高橋真悠の、パンフレットにおける紹介記事の中に「~震災復興プロジェクト「3.10~その日、あなたは何をしていましたか~(21/稲葉司)では、地元・塩竃の高校生役を演じた~」と記載されていた。何と、ここで。来る8月28日(土)公開の上映イベント「広島発ヒロインアクションチャンピオンまつり」に『アイドルスナイパー』『ストロベリークライム』両作品を提供してくれる、ヒロインアクションムービーの盟友・稲葉司監督の名を目にするとは!!!!!(゚Д゚;)

 

  そういう訳で、「広島発ヒロインアクションチャンピオンまつり」の最新情報は下のリンクでご確認ください(;^_^A