『さびしんぼう』に思いを馳せて
22日22:00からの「大林宣彦×岩井俊二×常盤貴子」トークスペシャルから始まった、日本映画専門チャンネルの「24時間丸ごと 映像の魔術師・大林宣彦」は昨晩の『さびしんぼう』放映をて終了した。思えば放映一週間前から、このブログを使っての、このイベントに対する思い入れや『さびしんぼう』に特化したレビューなどの喧噪の果てに今日を迎えたんだけど、上映作品の多くは都合もあってまだレコーダーに録画されたままだったりするけど、また年末年始を利用して、じっくり観賞し直したいと考えている。
さて、今回のイベントの“トリ”を飾った、言わずと知れたファンタジー傑作『さびしんぼう』 なんだけど、今思うと、今回のようにじっくりと観たのは、かれこれ25年ぶりだったも知れない。当時は何十回も観まくっていたのに……。
大学時代、尾道出身で、しかも西願寺(『さびしんぼう』の舞台になったお寺)が菩提寺で、ヒロキと百合子が運命的な出会いをする祠のすぐ下に実家があり、さらには百合子が通う明海女子高のロケ地である日比崎中学校に通っていたという友人から、帰省時に、最近大林監督の映画のロケがあったみたいで、夕方小林聡美が大声で話しながら西願寺から降りてきた所を家族が目撃した旨を教えてくれて、何はともあれ大林監督の尾道での最新作が撮られていることを知った。それから、その作品のタイトルが『さびしんぼう』で、その試写会があると聞いて、丁度九州の大学から帰省している時期だからと応募したら運良く当選し、勇んで試写会に足を運んだ。そこで何故か丸坊主の尾美としのり、富田靖子、大林宣彦監督の挨拶を見聞(当然写真も撮ったけど、どこにいったことやら……)し、いよいよ映画鑑賞。全くといっていいほど、見事に予備知識なく本作を観たんだけれど、正直泣けた、泣いてしまった。上映が終わり、周りが明るくなった時、泣いている事実を人に知られるのが恥ずかしくて、しばらく椅子に座ったままだったことを覚えている。
当時、帰省前に翌年度の講義の選択を行った際、別の同級生から、美学科の映画論を一緒に聴講しないか、と誘われて、半信半疑のまま受講を決めた。その位あまり乗り気じゃなかった受講だったんだけど、帰省時に『さびしんぼう』を観て、「映画を撮りたい」熱が一気に盛り上がった。その思いがその年に一本の8ミリによる処女作を撮る原動力となった。
九州に戻って、件の尾道の同級生と九州の映画館で4月に『さびしんぼう』を一緒に観賞。それからゴールデンウィークの帰省時にまた広島東映で観賞。当時は入れ替え制でなかったから、一日中映画館に居座って、『さびしんぼう』を3回観るために、『カリブ愛のシンフォニー』を二度観た(;^_^A それから再び九州に戻って、また映画館で観た(;^_^A
その年は最終学年で6月には教育実習でまた帰省。さすがにその頃は既に『さびしんぼう』の上映は終わっていたけど、丁度ビデオが発売されると聞いて、\14,000もしたベータマックスのビデオソフトを、ダイイチ本店で購入し、毎晩観た。実習中は教案作りなどで寝る間も惜しいくらい忙しかったが、それでも実家にしかビデオデッキがなかったから、ほぼ徹夜になりながらも何度も観た(;^_^A
自分なりに『さびしんぼう』が撮りたくて、実習から帰った後台本を書き始め、藤子F不二雄氏の短編を参考に『新人代謝』なるSFファンタジーの企画を立ち上げ、『さびしんぼう』封切と同じ1985年に8ミリで撮り終え、翌86年1月初旬に学内で上映会を行った。この企画は1996年に再度広島の地でリメイクしている。
卒業、帰省、そして就職後も、機会があれば『さびしんぼう』を観続け、観た回数を試写会からカウントし続けていたが、確か30回以降は記録していなかったかも知れない。まだビデオの「ながら観」という感覚がなかった頃だったから、こんなに真剣に何度も観続けた映画は過去にも未来にもないのではなんて思ってしまう。それくらい大切な映画だった。
今回、ホント久しぶりに観賞してみて、やはり長いブランクの中、思い違えていたり忘れていたりしたシーンも数多くあったが、台詞の殆どは諳んじる位覚えていて、時折場面に先駈けて諳んじ観たりすると、一緒に観ていた小学生の娘は、あれって驚いていたよ(;^_^A
四半世紀ぶりの観賞での感想は、っていうことになるんだろうけど、今はじっくりかみしめていたい気持ちでいっぱいだ。心が震えていてしかたがないけど、少なくとも“原点回帰”にななったかな、なんて思っている。
それにしても、今回の放映においてエンディングのシーンががオリジナルのままで良かった……! 日本映画専門チャンネルも、変に大林監督に“忖度”しなくて良かったよ!!