ケレン味溢れる「ゴジラ」はどっち?
ギャレス版『GODZILLA』とその2年後に公開された『シン・ゴジラ』の日米組み合わせは、同様のエメリッヒ版『GODZILLA』&『ゴジラ2000』のそれと比べたら、実に幸福な評価を受けたと思う。実際“ギャレスゴジ”と“シン・ゴジラ”は、今まで不完全燃焼気味だった「ゴジラ・マニア」たちの心を燃え上がらせてくれるのに十分な作品だったから。
しかしながら、そんなレジェンダリーと東宝との蜜月に水を差すようで恐縮ながら、今更ながら思うと、この2作品は、リアルさを追求したが故に大切な何かを喪失しているように思えてきた。それは言うなればエンターティナー、“ケレン味”という視点だ。
“単なる巨大イグアナがNYを闊歩する”とまで揶揄されたエメリッヒ版とギャレス版を比較してもなかなかエメリッヒ版に軍配を上げることは出来ないが、それでも肝心のハワイでの初戦をTV画面でお茶を濁したり、クライマックスのロスでの死闘もやたら薄暗く動きは激しく見辛かったりしたギャレス版と比べて、米軍とゴジラとの激しい死闘やゴジラがサブキャラの男を跨いでいくダイナミックなシーン、“子ゴジラ”大活躍のマジソンスクエアガーデンのシーンなど、エメリッヒ版には意外に魅せ場が多いことに気付く。またウダウダ感で当時映画館でガッカリした『ゴジラ2000』も、ダイナミックだがどこか突き放した感のある『シン・ゴジラ』と比べてもしっかり「ゴジラ映画」していた、と思ったそんなところにも映画的ケレン味をどちらが持っているか、という視点でこの両作品群を判断する必要もあるのではないか。
実は大分前に、ギャレスエドワーズ監督の怪獣特撮ものである『モンスターズ/新種襲来』を観たが、地球外生命体脅威にさらされた地球が舞台ながら、物語世界そのものは、その巨大な生命体を背景にしながらも、中東での米軍と現地の武装勢力との戦闘を淡々と描いただけの、拍子抜けの作品だった。どうも監督は、「現実に怪獣がいる世界の中で、人々はどう生きていくのか」をカタルシスなしの“疑似ドキュメント”として描こうと考えたらしい。そういえば『シン・ゴジラ』も「本当に今の日本に“ゴジラ”が出現したらどうなるか?」を描いた“疑似ドキュメント”の性質を兼ね備えていた。つまり『モンスターズ』の監督が撮った『GODZILLA』にしても『シン・ゴジラ』にしても、『クローバーフィールド』の世界観も踏襲しているといえる。
着ぐるみミニチュア特撮と違い、CG技術によってあたかもそこに本物がいるようなシーンが撮れるようになった昨今、この“疑似ドキュメント”的趣向で撮りたい人情も分からないわけではない。ただその線で行くとどうしても引きの映像が多くなり、映画的ケレン味が消え失せてしまうような気がしてならない。やはり“ハリボテ”感を残してでも、怪獣が見得を切るぐらいのエンターティナーぶりを、次のゴジラくんには期待したいものだ(^^)