神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

当世日米ゴジラ比較論②「『拝米主義』を吹き飛ばす放射能熱線」

 先日はギャレス・エドワーズ版『GODZILLA』から、アメリカ人の本音に見え隠れする"都合のいい属国ニッポン"像について書いたので、今日はそれに対を成す庵野秀明版『シン・ゴジラ』について考察したい。

 本作も含め、過去日本で制作された計29本(『怪獣王ゴジラ』『ゴジラ電撃大作戦』を除く)の「ゴジラ映画」の中で、米軍を含む米軍が登場したのは、確か本作が初めてだったはずだ。確かに『モスラ対ゴジラ』の海外版には在日米軍の艦艇が海岸を闊歩するゴジラに艦砲射撃を行うシーンがあったし、『ゴジラ』(1984)では、ソ連(当時)が東京に放った核ミサイルを、沖縄・嘉手納基地のABMが宇宙空間上で撃ち落とす、というシーンもあったりはしたが、直接的に米軍の兵器がゴジラを攻撃した国内のゴジラ映画は今までなかった。あれだけ在日米軍が集中した沖縄でメカゴジラが暴れ回った『ゴジラ対メカゴジラ』でさえ、米軍の姿は一切なかったことを考えると、この点は興味深い。

 しかも、ゴジラはそんな米軍機の登場に初めて放射能熱線を吐き出し、有人の米軍戦闘機を完膚無きまでに叩き落とし、米兵乗組員を文字通り殺戮する。それは、多摩川河川敷に展開した自衛隊との一大攻防の際に、ゴジラは目一杯自衛隊の火器を喰らうが、悠然と受け流し、決して自ら攻撃を仕掛けることがなかったのと明らかに対照的だ(確かに斉藤工演じる戦車長が乗った戦車は鉄橋の下敷きと果てるが、これもゴジラの攻撃だと言い切れるかというと、何とも疑わしい)。

 また、日本人サイドで明らかにゴジラ放射能熱線攻撃されたのが、政府首脳陣を載せたヘリだが、この虚構の世界で描かれている内閣は、結構現内閣をイメージして撮られているみたいなんで、そう思うと、まさに拝米主義といおうか、変に米国に"忖度"を繰り返す内閣に、米軍同様ゴジラの怒りの矛先が向いたのではないか、と考えるのは、いささかか発想が飛躍し過ぎだろうか……?

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 そう言えば、クライマックスで米軍の無人攻撃機は、ゴジラ攻撃といっても、日本の首都にバンバンミサイルを投下するし、ゴジラの動きを封じるために周りのビルを破壊するミサイルは、何故か自衛隊ではな在日米軍イージス艦だったりする。これが、ゴジラ攻撃にかこつけて日本を破壊しているように見えてすっきりしなかった。それに先日も書いたが、ゴジラは"日本に帰属するカイジュウ"である。そんなわけで、劇中に展開する米軍はある種頼もしくもあるが、何とも嫌らしく見えてしまう。

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 結局、米軍の攻撃は"後方支援"にはなったものの、最終的にゴジラの動きを封じたのは日本人の叡智である、ってのも象徴的だ。とどのつまり、『シン・ゴジラ』に於けるゴジラは、『GODZILLA』に対するアンチテーゼとでも言っていい、「アメリカにとっても都合の悪い、コントロールできない、ニッポンのカイジュウ」として描かれていたように思えてならない。

 庵野秀明監督は、かの"拝米改憲論者"である為政者と同郷でのあるので、ここまであからさまな批判精神に則って本作を企画したとは思いにくいが、図らずも、この作品ににじみ出る米国への反骨心は、『GODZILLA』か醸し出す「ニッポン像」と見事に対を成していると感じられる。既に続編の『Godzilla King of Monster』の撮影も終わったレジェンダリー版と、おそらく次の『ゴジラ』も任されるであろう庵野秀明東宝)版の、それぞれの続編で、この日米に潜む思想が童謡に醸し出され展開していくか、そんな「社会学的」なゴジラ映画鑑賞も、また今後楽しみである(;^_^A