神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

当世日米ゴジラ比較論①「都合のいいニッポン」

 現在アニメ版の『GOZILLA怪獣惑星』が公開されていたり、再来年にはレジェンダリーの『Godzilla King of Monster』の公開が控えていたり等々、最近再び“ゴジラ”が脚光を浴びつつあるが、そんな『Godzilla King of Monster』を含むレジェンダリーの「モンスターバース」の一連の作品群と『シン・ゴジラ』とを比較して、ふと思いついたことがある。

 今までは、当ブログにおいても『シン・ゴジラ』の“社会性”と「モンスターバース」の“娯楽性”のに部分のみ関心を持っていろいろ書いてきたが、もしギャレス版『GODZILLA』公開後に『シン・ゴジラ』の企画が持ち上がったのであれば、この2本の対比にはもっと深い“根”が潜んでいるような気がしてならない。そこで今回は、ギャレス版『GODZILLA』(以下『GODZILLA』)の我々にとって「不都合な」仮説について、言及していきたい。

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 GODZILLA』の中で象徴的だったのが、ハワイでのムトーとのファーストコンタクトを終えたゴジラが、(おそらく)本能の赴くままに、ロサンゼルスに向かう際、背ビレを浮かべたまま、米第七艦隊の原子力空母サラトガ他艦艇と併走している構図だ。これは絵的には実に魅力的なカットなんだけど、どう考えても理屈に合わない不自然な情景だったりする。だって本来制御不能なモンスターであるゴジラと至近距離で併走するなんて、常識的に考えて危険きわまりないはずなのに……あたかも「ゴジラは既に米国の仲間でコントロール可能」と強調しているかのような光景だ。言うまでもなく大戸島の伝説にも謳われている設定の、そして東宝映画のオリジナルキャラでもあるゴジラは、ストーリー的にも版権においても“日本帰属のカイジュウ”である。そこにまず引っかかる。

 さらに気になったのは、この映画での「太平洋上における核実験は、実はその存在に気づいたゴジラの㊙殲滅作戦だった」という設定。つまり核兵器ゴジラに“投下”していたという劇中の“事実”だ。他にも、日本を一切破壊しなかったこと、最初に出現し破壊した場所がハワイだったこと、更に最初は人類の驚異として捉えられていたはずのゴジラが、まるで手懐けられたかのように米艦隊と併走して太平洋を渡り、ロスに上陸した際も町の破壊は至極最小限にとどめた上で、その時のアメリカにとって脅威であったムトーを蹴散らすと、そのまま大人しく来た道を戻って再び海へ帰っていく。

 このように、「最初はハワイを急襲」「核兵器を投下される」「最初は獰猛だったが、気がつけば米に従順」「派遣されてロス(アメリカ)を守って、人知れず去って行く」などなどを考えると、『GODZILLA』におけるゴジラは、歴史的背景まで含めて、あたかもアメリカ人にとって都合のいいニッポンの姿といっても過言ではない。いわば彼らの望む「かつては敵国だったが、今やアメリカの属国としての、都合のいいニッポン」を代弁しているのが、この『GODZILLA』という映画だったんじゃないか。

 そう考えると、『GODZILLA』には、日本から貸し出されたキャラクターを使いながら、敢えてニッポンを見下そうとした、アメリカ人の“本音”の思想が見え隠れしてるんじゃないか、ってつい邪推したくなる。

 もっともこのような考えは、すでにどこかで論じられているかも知れないけど、昨今の為政者によるあからさまな拝米主義を見ていると、今またこうやって考えさせられてしまう。

 ではそれに対しての『シン・ゴジラ』からのアプローチは何か。また続けていきたい。