神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『大怪獣のあとしまつ』~悪評も評(判)なり~

 昨日は朝から映画を観ることに決めていたが、この時期なかなか食指が動く映画がない。そんなわけで“消去法”から2本に絞ったんだけれど、「ハッピー55割引きが利くイオンシネマで観賞できる」という理由で選んだのが『大怪獣のあとしまつ』だった。本作に関していえば、封切以降様々な批判にさらされている映画である。通常はそんな“数の暴力”で烙印が押される作品には、反骨心もあって俄然支持するもんだが(『惑星大戦争』『さよならジュピター』他)、本作に限ってはその批判の内容がどれも的を射ているようだったんで、特撮(それも怪獣SF特撮)ファン故、今回ばっかりはビデオスルーにしようと考えていた。しかし昨日に限っては、どうしても映画館に行きたい衝動を抑えられず、観賞後に食べようと思っていた「香龍」のラーメンのことも考えて、イオンシネマ西風新都に向かった。ちなみに、本作はその批判記事を読んでいるうちに、俗にいう「ネタバレ」状態で観る羽目になったんだけど、それって、19年4月から始めた「月に一度は劇場で映画観賞」以降でいえば、映画情報を少し得ようとして見たwikiに結末(「アイアンマン」が死んでしまう等)まで書いてあった『アベンジャーズ:エンド・ゲーム』や、観賞前にyoutubeで予告編を観るつもりが、うっかりUPされていたラストの映像(ご丁寧にメカゴジラの首をコングが引きちぎるシーンまであった)を観てしまった『ゴジラvsコング』、に続き3本目だった。いずれにしても、「悪法も法なり」(byソクラテス)ならぬ「悪評も評(判)なり」なんで、今回限りは、別の意味で「怖いもの見たさ」の感覚で劇場に足を運んだ次第だ。

 

 

 さて、ストーリーはともかく、本作を観て鼻についたのは、やはり「無駄なギャグ台詞が多すぎる」という点だ。とにかく、説明口調のくだらないギャグが物語の流れを遮ってしまう。物語展開とは全く関係ない次元のギャグを無理矢理突っ込むから、どうしても説明口調になる。それがくどくて、イラっとする。これが漫才ならば、物語冒頭で「よしなさい」「なんでやねん」「ええ加減にせい」と「うなづきトリオ」よろしくツッコミが入ってもおかしくないが、誰も突っ込まない……っていうか、全くの垂れ流しでだらだら続くのである。「どですかでん?」のギャグなんてよほど黒澤明の映画に傾倒しているマニアしか理解できないギャグだし、当然そんな人はしょうもなさ過ぎて絶対に笑わないだろう。そのくだらなさが一番ひどいのは一連の閣議室のシーンで、両サイドにスクリーンを設置した、何故か机もなく簡易的な椅子だけの部屋で、閣僚たちが滑るギャグを言いたい邦題、そして勝手に歩き回り暴れまわっている。それを長回しで撮っている。そこで感じたのは「ああ、そうか、この閣議室を小劇場の舞台に見立てて、監督もキャストもナンセンス芝居を嬉々として演じているんだ」って感想。そりゃみんな、楽しかったろうよ、くだらない怪獣映画をほっぽって自分らで“舞台”を楽しんでるんだから……ホント、彼らにとっては、怪獣特撮なんて関係ない……否、こんな子供だましの映画に出てるんだから、少しくらいは俺たちも楽しませてくれよ、なんて思いだったんじゃないかって、変に勘ぐってしまいたくなるシーンだった。環境大臣役のふせえりに関しては、竹中直人の「恋のバカンス」以来贔屓にしていたコメディエンヌ(『スーパー戦闘純烈ジャー』にも出てた)だが、本作に関しては全くのミスキャストだった。岩松了も六角精児もバカはしゃぎ過ぎ、笹野高史も意味不明、嶋田久作に至っては「こんなことがしたかったのか?」って逆に突っ込みたくなる(そういえば懐かしのMEGUMIもいたって、エンドクレジット見て気づいた(;^_^A)。この中では西田敏行が一番マトモに見えてくるんだから……。しかもその閣議シーンが政治批判になってるかっていったら、そんな思想は微塵も感じられない。ただただバカバカしい芝居をしたいだけ。小ネタにすらなっていない。はっきり言って、この閣議室のシーンは全部カットした方がすっきりする。物語展開にとっても不必要なんで。

 

 そういえば、与党内閣の話なのに、キャストの名に現与党政治家を思わせるものが殆どない(甘栗→甘利くらいか)。逆に一番目立って(馬鹿にされて)且つ名前も連呼されるのが明らかに野党・立憲民主党蓮舫元代表を揶揄している、ふせえり演じる“蓮佛”環境大臣ってのもおかしな話だ(それに蓮舫は揶揄されるような馬鹿じゃない)。そんなオバカな役をさせるのにふさわしい女性議員のネーミングなら、与党に「稲田」「高市」「野田」「橋本」「三原」「今井」をはじめ、リアルにいっぱいいるじゃないか。しかも、怪獣の件でやたら身勝手な声明を出す某国(それもかなり小馬鹿にして描かれている)が、ネトウヨの嫌いな「中国」「韓国」「北朝鮮」をない交ぜにしたようなイメージで描かれているなど、この作品の監督(プロデューサー? 制作会社?)の異常な現政権への忖度ぶりが鼻につく。あ、そうか、それでこのくだらない映画に文化庁(国家)から「補助金」という名の我々の税金が投入されているのか!(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)(# ゚Д゚)

 

 前述の閣議シーンに象徴される、無意味なギャグの数々(これで劇場の大笑いがとれると本気で信じているならば、逆にその感性を心配してしまう)を散りばめた演出、果たして脚本家のせいなのか、それとも監督のせいなのか、なんて考えたら、脚本も監督も三木聡一人でやっていたんだね。彼のフィルムグラフィーの中に、シティーボーイズの舞台を歴代演出して来た過去が記されていたが、彼の他の作品は未見ながら、不条理なギャグを積み重ねていくタイプの監督なのかもしれない。だから彼の演出が(彼にとって)一番生き生きしてるのは、件の閣議室に代表されるギャグの積み重ねであって、彼自身本作を最高のギャグ映画にしたかったに違いない。もっとも、この作品は、「怪獣の死体の後始末」という、設定自体が究極のギャグなんで、むしろ真面目に描けば描くほどギャグになるような物語である。往年の喜劇王キートンの一連の映画のように(そこのところは、パンフでも触れていた実相寺昭雄監督による『ウルトラマン』「空からの贈り物」における演出から学んでほしいものである)。そうやって大真面目なるが故の究極のギャグ映画になる可能性を秘めた今回の企画に無用な馬鹿ギャグのセリフを意味なく詰め込んだ演出は、あたかも江戸前寿司のネタの上にお好みソースを塗りたぐるようなものである。喰えたもんじゃない! もう少し、これがどんな映画だったのか考えてほしかったし、それ以前に、この監督に本作の脚本演出を依頼した制作会社(担当者)の感性こそ疑ってしまう。その責任たるや重大である。これは、『ゴジラ・ファイナルウォーズ』を北村龍平に託した当時の東宝スタッフにもいえる話だ。

 

 後の物語自体は、どなたかがSNSに書き込んでいた「『シン・ゴジラ』の後日談のようなつもりで観ていたら、結末は『シン・ウルトラマン』だった」という言葉がまさに言い得て妙である。あのラストは“禁じ手”だ。いくら随所に伏線を張っていたとしても、あの結末はそれまでの全てを無にしてしまう。この作品世界の醍醐味は、人類の英知で如何に怪獣の死骸を始末できるか(もしくはできないか)にかかっているわけで、これじゃあ「ダム破壊」や「気流を誘発してのガス抜き」などに費やされた時間(そして我々が劇場で“拘束”された時間)は何だったんだ、って言いたい。少なくとも、特撮ファン、SFファン、たとえそれが「ウルトラマン」に代表される巨大ヒーローファンだったとしても、あのラストは考えないし、考えてはいけないだろう。それをあんなに簡単にやってしまう所を見ると、三木聡には本当にこの手の怪獣特撮映画に対する思い入れが全くないのだろう。あのラストの禁じ手すら、彼にとってはギャグなのだろう。誰も笑わないだろうけど……

 

 もっとも、あのくだらない閣議シーンや、政治家たちのシーン以外、要は監督にとってどうでもいいであろう特務隊・国防軍の対怪獣シーンは意外にも演出は地に足がついてしっかりしていて、特撮もオールCGだろうが、かの特撮研究所も関わっていてなかなか楽しめた(もしやこれらのシーンって、監督とは別のスタッフ演出?!)。本作におけるジョーカーといっていい総理大臣秘書役の濱田岳の設定は、最後までよく理解できなかったけれど。そういえば、意外にも土屋太鳳は本作にしっかりマッチしていた。観賞前の先入観ではかなり“壊れた”役柄かと思っていたが、なかなかどうして、凛とした表情もカッコよく、最後まで破綻せず物語に一本の筋を通すような役柄・演技だったよ。


 それはともかく、結論として、制作サイド自らが「怪獣映画というジャンルそのものを小馬鹿にした」映画だったと感じている。ラストに続編を匂わせるカットがあったが(これすらギャグかもしれないけれど)、この手のカットを観て戦慄を覚えたのは初めてだ。ふざけるな! 絶対この監督で続編は撮るな! って心底思った。そしてこの素敵なテーマを、出来ればもっと“愛”のあるスタッフに再度映画化してほしい。『上海バンスキング』のように……

 

 パンフは1,000円と割高。その分中身はスチール多し。別に山田涼介のファンじゃないって!