神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『そして、バトンは渡された』~感涙へ導く「なぜ?の嵐」~

 先々週末の『ルパンの娘劇場版』に続き、先週は同じくイオンシネマ西風新都で『そして、バトンは渡された』を観賞。今回は、本作がどうしても観たい、というよりは、折角週末に時間が取れたから映画でも観に行くか、というノリでシネコンに足を運んだ次第。「月に一度は劇場で映画観賞」を始めて3年目を迎えたが、最近はすっかりカジュアルに映画観賞が出来るようになったよ(;^_^A

 

 

 さて、上記のように「とにかく劇場で映画を観る」ありきで、そんなにこだわりもなく観た本作なんだけれど、観終わってすっかり心が洗われた、そんな映画だった。

 

※以後ネタバレもありますのでご注意を!

 

 物語は、かの『地獄の花園』以来我が心のミューズと化した永野芽郁が「継父を含めて3人の父親と、継母に翻弄される女子高生」を演じる内容である。その継母役が石原さとみ、そして3人の父親を『私の家政婦ナギサさん』の大森南朋、『ルパンの娘』にも出ていた市村正親、そして『あな番』の田中圭が演じる、という実に豪華な布陣で描かれていた。このような複雑な人間関係が絡むと、実に陰湿な“シンデレラ物語”を想像していたが、意外にも、その真逆の展開に進行していく。

 

 当初は、永野と田中との父子家族の物語と、泣き虫で「みいたん」と呼ばれる小学生(稲垣来泉)の物語が同時進行していく。この2人が、みいたんの継母(石原)が田中と再婚する時に、同一人物であることが劇中判明するが、そんなことは観客にとっては最初から既に分かり切っていたこと。常に感情を隠し作り笑いを浮かべ、逆にそれで同級生から嫌われたりする永野が、実は泣き虫だったみいたん時代に、石原からいつも笑顔でと諭されたことを守り続けてきた結果ということもこの交互の物語を観ているうちにわかってくる。

 

 継母の石原は、大森との結婚後、彼の連れ子のみいたんを疎ましく思うどころか溺愛する。そして、大森が突如ブラジル移住を言い出した時も、日本に残って連れ子との生活を選択する。その後どうも彼と離婚したらしく、続いて資産家の市村と再婚する。ここでも市村は再婚相手の連れ子であるみいたんを大切にするが、当の石原は格式ばった資産家との生活に窮屈さを覚え(とその時点では思わせて)、結局市村とも離婚。その後同窓会を通じて東大出のエリートだった田中を見初め、再再婚を果たしたものの。やがてみいたんを残したまま失踪する。前半における石原の継母の描写は実に自由奔放、悪く言えば我儘で無責任なキャラクターとして描かれる。だから、そんな継母を慕うみいたんが可哀そうに見えてくる。石原さとみがついに母親役を演じるようになったか、って思うと隔世の感があったが、あまりにもひどく描かれていたのは観ていて胸が痛んだ。もっとも意外にもそんな役が実に板についていたけれど(;^_^A

 

 みいたんの正体が永野の幼少時代とわかったところから、物語は永野中心に描かれていくんだけれど、そこから無理矢理卒業コーラスの伴奏役を押し付けられ、それをきっかけにピアノに天才的な才能を持つ同級生(岡田健史)と出会う辺りから、ラブロマンスの様相を呈していく。彼のアドバイスもあって、演奏の技術を向上させた永野は、卒業コーラスの演奏も無事終え、専門学校へ進学して料理人の道を目指す。しかしながら就職後挫折を体験し、かつてアルバイトしていた洋食屋を手伝いながら生計を立てている時、岡田と再会し、共に惹かれ結婚を決意する。そんな折、彼女の許に行方不明になっていた継母の石原から小包が届く。その中には、かつてブラジルに渡った実父の大森から当時みいたんに送られていたエアメールが入っていた(つまり石原はこの手紙を当時みいたんに隠していた)。そこから、ここまでの過程で蓄積された本作の物語における“なぜ?の嵐”が一気に解明していくのである。

 

 二人の結婚を頑なに反対する現在の父親である田中を説得するために、永野は石原から伝えられた、現在は帰国して新しい家族を持った大森の許に岡田と一緒に向かう。そこで大森から、自分も石原から小包を送られ、その中にはみいたんが大森宛てに送ったはずの手紙があったという。この手紙を送ることで大森がみいたんを連れ戻しに来ることを恐れて、石原が手紙をすべて送らず隠していたのである。それは一重に彼女がみいたんを愛していたからだった。もともと病弱で、しかも子供の埋めない体になっていた石原は、職場の同僚だった大森とみいたんとの交流を見て、みいたんの母親になりたくて大森と結婚したことも永野は知る。そして、最初の継父となった市村からも、彼との再婚を石原が決意したのは、みいたんがピアノが習いたいと言い出し、そんなお金も広い家もない石原が、みいたんの夢をかなえるために資産家である彼を再婚相手に選んだ、ということを伝えられる。最後に田中を選んだのも、彼が東大出のエリートでみいたんの教育上良いと考えてからであった。彼女のみいたんへの愛情は本物で、あの奔放に見える振る舞いも、常に連れ子である娘のことを最優先に考えたからだったのだ(そんな理由で簡単に再婚できるのは、石原の美貌によるものだったようだが)。

 

 そうなると、永野はもう一度石原に逢いたいという思いに駆られるが、そんな折、田中から、実は石原は病死したことを告げられ愕然とする。その遺体が安置された市村の豪邸に、田中や岡田と共に再び訪れる永野。そこで永野は市村や田中から、彼女の度重なる失踪や、かつてブラジル行きに反対した理由は、自分の病弱なるが故で、それもみいたんに「いつまでも元気でいる」といった手前、病に苦しむ姿を見せられなかったというのが真相だった。その知らされた事実と、もう石原に逢えないことを嘆き悲しむ永野に、2人の父親は、実は彼女の卒業式、そして卒業演奏を、車いすに乗った石原が臨席して観ていたことを告げる。確かに卒業式のシーンは石原と思しき人影が一瞬写る伏線が張られてはいたけれど、その事実がグッと観る者の涙を誘う。

 

 本作を観て非常に好感を覚えたのは、結局登場人物は全て善人だったってこと。3人の父親と継母という設定自体、本来ならば父親同士の確執や、継子苛めといった物語になってしまいがちだが、まずこの3人の父親が、スクラムを組んで永野を見守っている感が素敵だし、そもそも継母の石原が一番、最初の亭主と別の女性との間に生まれた娘を溺愛するという設定がほんわかさせられる。これは本作のタイトルにある「バトン」が永野自身であることに他ならない。だから、結婚式に参上した3人の父親のうち、新婦をエスコートする役が実父の大森に当初決まっていながら、大森、そして市村の提案で現父親の田中に変更になるのも、リレーなら最後のバトンはアンカー(ここでは田中)が務めるのが本来の形であるからに他ならない。また、3人にとっては、共通の妻である石原さえも「バトン」だったといっても過言ではない。そこには妻に対する生々しい性的な感情は感じられず、石原すら娘のように守るべき存在であるかのような思いが伝わってくる。まさに「アガペの愛」である。本作で唯一のジョーカーとなるべき、最初はとことん永野につらく当たる同級生二人も、彼女の境遇を知るや手のひらを返したように親しくなり、結婚式まで招待される間柄になるのも、演出する側が、「みんないい人の物語」にしようと考えたのだろう。

 

 全編を通じて、優しい、実に優しい物語。そんな物語に9割以上の観客が涙した、っていうことは、今のリアルな世の中が実に荒んでいることの裏返しではなかろうか……