神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

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『ゴジラvsビオランテ』感動のラストに別の可能性があった!

 現在、日本映画専門チャンネルの「ゴジラ4K」企画で、大森一樹監督の『ゴジラvsビオランテ』が放映されている。今まで何度も書いたが、私は昭和から平成、そしてレジェンダリー版も入れたら令和に至るまで連綿と続くゴジラ映画シリーズの中でも、本作が3本の指に入るくらい好きだ。

 

 その中でも最も好きなシーンは、実はラスト(エンディング)で、『メカゴジラの逆襲』以来となる、海へ帰るゴジラの俯瞰映像も去る事ながら、サラジアのヒットマンに暗殺された白神博士が陸自の設営したテントに安置されるカットに、ビオランテと化して天に召された英理加(沢口靖子)のナレーションがかぶさるカットは、バックに流れる、通称「SUPERX2」と名付けられた壮大な曲と相まって、今見ても鳥肌が立つくらい胸が熱くなるシーンだ(;^_^A

 

 

 ところで、今回そのことを話題にしようと、今から20年以上前に一時期定期購読していた「月刊シナリオ」誌の1990年2月号に掲載されていた『ゴジラvsビオランテ』のシナリオを読み直してみると、意外なことに気づいた。

 

 

 実はここに掲載されていたシナリオは決定稿ではなく、脚本を執筆した大森監督の希望で、第3稿が掲載されたんだそうで、その稿では、前記した私が感激したラストのナレーションが、英理加ではなく、死んだ白神博士(高橋幸治)自身のものだった。しかもその内容を比較すると、

 

〇決定稿
英理加の声「いつから私たちは、こんな時代に生きるようになったのでしょう……。神に向かって一歩、歩み出した日から、それは始まったのかも知れません……。思い出してください、もう一度……」

 

〇第3稿
白神の声「神への道を歩みはじめたと思った時から、我々のまちがいが始まったようだ……。神から見れば、我々のやっていることなど、子供の積木遊びのようなものかもしれない……」

 

 これを読むと、決定稿のセリフがいかに抽象的な表現だったかがうかがい知れる。もっとも、第3稿のセリフも、白神博士だから成立するセリフであって、これを英理加に言わせても興ざめするばかりである。そうなると、要は英理加と白神博士のどちらが言うのがふさわしいか、ということになるが、やはり「バイオの犠牲者」たる英理加こそ、それにふさわしいわけで、そうなると、決定稿をやはり支持したくなる(;^_^A

 

 本作に関しては、デューテリオスが登場する小林晉一郎氏(『帰ってきたウルトラマン』「許されざるいのち」原作者)の第2稿も含め熟読し、この作品のすべてを知っているつもりでいたが、まだまだ気づいていないことも多いようである。でもそんな“余地”が残されている方が、探求心をさらに喚起させてくれるので素直に嬉しい。まだまだ『ゴジラvsビオランテ』は奥が深い(;^_^A