神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

王道娯楽作品としての『GMK』

 もう過日となってしまったが、毎年恒例の「『ゴジラ』第一作が封切られた11月3日に必ず『ゴジラ』映画を観る」で、今年チョイスしたのは『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃(GMK)』! 地元広島ムービーの『こいのわ婚活クルージング』と“弩ハマリ”した『リンキング・ラブ』を観賞した縁で、今年は金子修介監督の作品を観ようと考え、本作を選んだ次第(;^_^A

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 さて、自分の中では『キングコング対ゴジラ』『ゴジラvsビオランテ』と並び……というかそれら今まで大好きだった作品を凌駕するほど気に入った、今のところマイフェイバリットゴジラムービーである『GMK』なんで、当然DVDもボックスで持っていて何度も何度も何度も何度も……観続けた作品だ。それ故「今更」という思いもあったが、今回改めて観賞し、また新たな発見があったよ(;^_^A

 本作に関しては、以前のブログ記事(『ランペイジ巨獣大乱闘』~これぞリアル『大怪獣総攻撃』!~ https://blogs.yahoo.co.jp/jinguji_ipf_s1986/29629346.html)でも紹介したように、本作DVDに封入されていた解説書によると、本来ならば『ゴジラ×バラン・バラゴン・アンギラス大怪獣総攻撃』となるはずだったが、地味な四足歩行怪獣を嫌った(おそらく営業サイド)ことから、「バラン」「アンギラス」が華のある「モスラ」「キングギドラ」に差し替えられた経緯がある。そのため“灼熱怪獣”の赤いバラゴンと、“冷却怪獣”の白いアンギラスがその温度差で風を起こし、その気流にバランが乗って飛翔しゴジラに相対するというフォーメーションの設定は残念ながら実現しなかった。“灼熱怪獣”の設定は、バラゴンが「赤い怪獣」と呼ばれることで僅かながら残ってはいるが……ただし、ストーリー展開はその殆どが『G×BBA』(?)の段階で決定していたもので、それ故実際撮られた『GMK』では、モスラキングギドラの設定が今ひとつだったかも知れない(特にギドラは「らしくない」)。クライマックスよりもゴジラとバラゴンの一騎打ちの方が断然盛り上がるの、オリジナル企画を変更させられた金子監督の意地かも知れない(;^_^A

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 また、本作で自衛隊ではなく「防衛軍」という架空の日本の“軍隊”がわざわざ設定されているところで、その前の『ガメラ』3部作でタイアップの自衛隊を散々格好良く描いていたことも含め「金子監督は好戦的?」なんて勘ぐったりもしていたんだけれど、その後、氏がとてもリベラルな両親に育てられたことに起因するであろう反権力のスタンスや、「防衛軍」設定が、墜落した自衛隊機が民家に墜落するシーンに自衛隊がOKを出さなかったから変更した云々の情報を耳にするにつれて、上記の私の思いこみは誤解だったことに気付いた。そう思って今回観賞すると、ゴジラ掃討に腐心する立花准将(宇崎竜堂)や護衛艦あいづ乗組員の言動から、平和や反戦を願う思いがしっかり伝わってくる(余談ながら、金子監督が拘った護衛艦あいづ(会津)と特殊潜航艇さつま(薩摩)のネーミングなんだけど、本来なら特殊潜航艇はもっと憎み合ってた「ちょうしゅう(長州)」にしてほしかったなぁ(;^_^A)

 構成においては、クライマックスで重要な役割を果たす特殊潜航艇と推進式削岩弾D-03を冒頭でそれとなくさりげなく登場させている点など上手い伏線の張り方だと思ったし、立花准将とその娘である主人公の由里(新山千春)の親子関係をメインに据えた物語展開も、この作品を単なる“怪獣プロレス”に終わらせない心配りを感じさせる。『ガメラ』三部作(特に『レギオン襲来』)から続く、ニュース報道を効果的に絡めた演出も、この途方もない「嘘」に十二分なリアル感を与えてくれている。下衆な意味での反社会的行動をとった輩や、怪獣を嘗めた輩にはきっちり“制裁”を与える律儀な演出もGood!ヾ(--;) また、篠原ともえ演じる民宿でゴジラに襲われた際の生き残りの娘が、病院でゴジラの尾に圧殺されるシーンは、やり過ごしたと安心させておいていきなり一撃を加えられる、という“人を喰ったような”ショックシーンだったり、清水のスーパーでおばさん(水木薫)が悲鳴を上げると、それにゴジラが気付いて振り返り、そこでいきなり彼女めがけて放射能火炎を吐き出し、清水市自体を原爆直撃のような廃墟にしてしまったり、そしてゴジラが清水港に上陸する際、その煽りを喰らって吹き飛ばされ海面に叩きつけられる漁船の落下シーンで、一瞬ながら何故か老船長(中村嘉葎雄)の顔がUPで映し出されたり等々、たちの悪い(;^_^Aブラックユーモアが織り交ぜられているのもいい。そう言えば、短い出演ながら暴走族のリーダーが木下ほうかだったり、防衛軍の士官役でこれも一瞬ながら佐藤二朗が全く笑いもアドリブもなく大真面目で片言のセリフを口にしたりする場面もなぜだか笑えた(;^_^A

 そんな感じで今観ても肯定的な意見ばかり思い浮かぶ『GMK』なんだけど、今回見直して感じたのは、やはりクライマックスの戦闘シーンが今一つ整理されていなくて、何が起こっているか今ひとつ掴めなかったことへの不満である。その為にも、折角ならば初稿(『G×BBA』)にあったように、バラゴンも大涌谷で殺してしまわず、横浜決戦に参加させてほしかったな。それと、よく見ると、新山千春の演技が気になってしまった。今まではいい意味で必死さが伝わる演技として肯定的に捉えていたけれど、やはり演技、特に台詞回しが、ただ語調の激しさでしか感情を表せていないようで、そこら辺が今回は鼻についた。彼女の脇を固める役者陣がみな迫真の演技(否、宇崎竜堂だけは説明口調が気になった……)をしているのだから、独りよがりにならずもう少しナチュラルに頑張ってほしかったな(;^_^A

 兎に角本作に関しては語っても語りきれないし、今回久し振りに観賞して、その思いはまた更に強くなってしまった。また来年の11月3日にも観てしまいそうだよ(;^_^A