神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『地獄でなぜ悪い』感想~ストーリー編~※ネタバレ注意!

 というわけで、実は観ましたよ、園子温監督の『地獄でなぜ悪い』!! いやはや、ヘトヘトになるぐらい楽しませてもらったよ(;^_^A(;^_^A とにかくねじれた映画愛にもみくちゃにされたような、それでいて愛くるしい映画だった(^^)

イメージ 1

 このストーリーは、簡単に言えば「映画バカ(撮る方)がヤクザのリアルな“出入り”の修羅場をそのままロケしちゃった」っていう、ハチャメチャな内容だ。

 超有名子役スターを娘に持つ暴力団の組長が、敵対する組から命を狙われ、そのヒットマン数名が自宅に乱入したところ、たまたまそこに居合わせた組長の妻(つまり子役スターの母親)と激しいバトルを展開し、生き残った一人を除いて悉く“返り討ち”に遭うが、妻も過剰防衛のため10年の懲役を食らってしまうことになる。

 当然、この一大スキャンダルによって、娘も芸能界から追放の憂き目となるが、10年後、成長した彼女は、組長のゴリ押しもあって、一本の映画へ出演することに恵まれる。しかし持ち前の気まぐれさが災いして、「主役じゃないからイヤ」と一方的にスタジオから逃走、その役さえ降ろされる羽目となる。奇しくもちょうど、組長の妻の“年期”が明ける時期。それまで散々妻に「娘は復活して映画に出る」と期待させた手前、引っ込みがつかなくなった組長は、行きずりの青年と逃避行中の娘を発見し、青年共々連れ戻すと、彼女の機転で「映画監督」だと嘘八百を並べて命乞いをする青年に、「今から娘主演の映画を撮れ! 撮らなければ殺す! 完成させなかったら殺す!」と凄んでみせる。あれよあれよと一流の映画機材が組事務所に並べられ、しかもリクエストは敵対する組への殴り込みのリアルな映画化。いたたまれなくなった青年は逃亡するも即座に組の追っ手に捕まってしまう。しかし偶然にも“願掛けの木箱”に「映画が撮れますように」と書かれたメモと、携帯番号を発見し、藁にもすがる思いで、娘共々その願掛けの主とのコンタクトを試みる。
 
 願掛けの主の男は、10年前より2人の仲間と8ミリカメラ片手に「いつかは劇場公開映画を撮りたい!」との“映画命”を引っさげて、市井のどんなシチュエーションでもお構いなく、図々しく撮って回っていた、自称「ファック・ボンバーズ」のリーダー格だった。やがて学生同士の抗争を勝手に撮っている時に知り合った、喧嘩っ早い高校生と意気投合し、次代のアクションスターとして迎え入れた総勢4名の「ファック・ボンバーズ」は、その後も一世一代の映画を撮り上げることを目標に悪戦苦闘を続けるが、一向にうだつが上がらず、ついにはアクションスターから見限られそうだったそのタイミングに、青年から連絡をもらい、8ミリやビデオではない“35ミリ”の機材が使えることや、ヤクザの本物の抗争を映画にするという企画を聞いても臆するどころか狂喜乱舞する。そして「ファック・ボンバーズ」のメンバーと共に青年と娘の映画に加勢した映画バカの彼は、あろう事か敵対する組の面々とも直談判し、遂に本物の殺し合いを演出することとなる。

 こうやって、本作はいよいよクライマックスを迎えるんだけれど、ここで映画バカの「カット割り」に忠実に従いながら双方の組員が殺し合うという、ありえないシーンが全くリアリティーのないまま展開していく。しかも漫画のように血しぶきがほとばしり、腕が脚が、ポンポン斬り落とされて宙に舞う。このシーンは『キルビル』というかトミー版“子連れ狼”の『子連れ狼 死に風に向う乳母車』を彷彿させる凄まじく馬鹿馬鹿しい修羅場と化していて、しかも驚くことに皆嬉々として殺し合いをしていて、悲壮感が全く感じられない。それも憎い相手を倒すカタルシスというよりも、「演じている」ことに快感を覚えているように見えて仕方がなかった。

 ここで件の「ファック・ボンバーズ」の面々も、この大殺戮を、初めて手にした35ミリカメラが嬉しくて仕方がない、といった雰囲気で縦横無尽に撮りまくる。時にはいつの間にか手にしたマシンガンを片手にぶっ放しながら。元子役スターである組長の娘も黙っていない。刀を手にしたその姿も凛々しく、敵を相手に大見得切ってバッサバッサと切り捨てる。皆がある種“トリップ”する中で唯一このシチュエーションに怯えていた青年も、前に組員から預けさせられていたヘロインの缶をひっくり返しぶちまけたことがきっかけですっかりラリッてしまい、刀片手に参戦する。この祭りのような修羅場の中で、組長も、10年前襲撃したヒットマンの中での唯一の生き残りで、あの現場で子役時代の娘と出会ってからずっと彼女にぞっこんだった敵の組長もあえなく死亡。何故かこの乱闘にヌンチャク片手に乱入したアクションスターや2人のカメラマンもいつの間にか死亡。青年も片手を吹き飛ばされた上に脳天唐竹割を喰らって、頭に刀を差したまま「悲惨なユニコーン」と化して息絶える。更に組長の娘さえ大方の予想に反して死んでしまい………とどのつまり、この大殺戮の止めを刺すかのようにやってきた機動隊の銃弾によって、民間人も含む全ての“スタッフキャスト”が、一名を除き、殴り込みの生き残りも含めて皆殺害される。その最後の修羅場を、映画バカの彼だけが、自らも銃弾を浴びながら、それでも映画人の本能と根性で全ての撮影素材を銃弾が飛び交う中をかいくぐってかき集め、狂喜(狂気?)のような奇声を上げながら立ち去っていくことで映画は終わりを告げる。

 爽快感は何もない。後味はすんごく悪い。でも泣ける。胸に迫る。そんな映画だった。今まで園子温監督の作品は、そのあらすじを読んだり予告編を見たりしても、言葉は悪いがどれも「胸くそ悪く」感じられて、なかなか食指が動かなかった。しかし本作を観て、私の印象はその大部分が思いこみと偏見に満ちていたのではないか、との思いに駆られた。この凄惨極まる修羅場に咲いた、言いしれぬ“愛”。あたかも韓流映画の突き放したような愛情表現にも似た雰囲気を感じさせる。これならば、「最後のミニチュア特撮怪獣映画」と言われる、監督の『ラブ&ピース』も観ることが出来そうだ(;^_^A