神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

歴代“怖いゴジラ”は?

 きっと総監督の庵野秀明氏氏が意図したところなんだけれど、今回の“シン・ゴジラ”は全く人間とコミュニケーションを断ち切ったような不気味な表情をしている。それは既に「善」「悪」の領域を超越した“無意識の脅威”という点で、生物と言うよりは自然災害に近い。これも前作『ゴジラファイナルウォ-ズ』から今回の『シン・ゴジラ』に至る間の12年間に、かの東日本大震災を日本人が体験してしまったからに他ならない。このような表現は不謹慎かもしれないけれど、地震津波という破壊力と共に、原発人災による大量の放射能被曝という事態も発生し、まさに「実際ゴジラが上陸して猛威を奮ったらこうなるだろう」と空想した事態が現実になったのだから……

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 そう考えると、今回の『シン・ゴジラ』同様、ゴジラを生物を超えた存在として描いたのは、1954年の初代『ゴジラ』しかないのではなかろうか。初代ゴジラの、確かに白目も瞳もあるが、どこを観ているのかわからない視線の曖昧さや、意識を感じさせない行動など、怪獣=生き物としての存在を超越した“何”かを感じさせる。だが、初のVSモノとなった『ゴジラの逆襲』以降、ゴジラは相手怪獣を倒す、という明確な自我を持ち、初代の持つ不気味さ、といったものはなりを潜めてしまう。おそらくモスラの説得でラドンと共にキングギドラから地球を守る決心をした『三大怪獣地球最大の決戦』辺りがターニングポイントとなって、ゴジラは人類の脅威から、いつも何か大映ガメラ同様外的からの地球の守り神となっていく。だから昭和後期の対戦怪獣は宇宙や地底の人類の及ばないところから飛来するものばかりになってしまった。

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 1984年にゴジラが15年ぶりに復活する際も、「ゴジラを再び人類の脅威に」という意見が多く出されたが、これも要は人類に対する悪役の怖いゴジラを求めたのに過ぎない。だがら平成ゴジラシリーズもゴジラは人類の足りえても、“不気味さ”という点は描かれてこなかった。これは『ゴジラ2000』以降のシリーズにほほぼ継承されていく。

 そんな初代以降の中で、唯一と言っていい、ゴジラが不気味な存在だったのは『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』に於ける“白眼ゴジラ”だった。ストーリーそのものは、ゴジラを戦争被害者の怨霊という設定にしたため、むしろより“意識する”ゴジラになってしまっているんだけれど、あの邪悪なゴジラは絶対的な強さと共に「何を考えているのか意思の疎通の図りようがない」不気味さを逆に醸し出していた。全く人類(日本人?)を意識する気がないようなあの挙動を見るにつけ、ある種初代や後の“シン・ゴジラ”に通ずる、生き物を超えた存在を感じる。

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 思えば歴代のゴジラの中で、ことさら「悪役」と言われた“モスゴジ”でも、その行為そのものは悪意に満ちて、ラストのモスラ幼虫によって撃退される姿に観客は拍手喝采したが、あの“モスゴジ”でさえ、感情移入は可能だった。「悪役」というキャラまで与えられていたんだから………

 本当に怖いのは、こちらをギロリと睨み付けられることより、無意識に迫ってきて踏まれそうになることの方に違いない。だから“シン・ゴジラ”は第二形態の頃から既に怖い………