神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

ゴジラ墜つ!

 “オリンピック世代”の自分にとって、物心ついた頃から、すっと「その人」のことを見続けていた。しかし、すっと「その人」を見たことがなかった……

 昔放映されていた『それは秘密です』という番組。毎回いろんな特技や境遇を持った人が登場し、回答者がその登場人物の“秘密”を探る、っていう内容だったけど、ある回、一人の小柄な(という印象がある)男が登場した。そしてその男の“秘密"は「怪獣の中身」だった。初代ゴジラから『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』に至るまで、20年近くの長きにわたって、映画・TVに登場する怪獣たちに"袖を通し"、且つ演じ続けてきた、中島春雄氏である。思えば、今まで数え切れない位ずっと見続けてきた氏の本当の姿を拝見したのは、その時が初めてだった。時に昭和47年。

 元々は“顔出し”の大部屋俳優だったが、軍隊で鍛えた体力を見込まれて『ゴジラ』で"主人公"ゴジラの中身を演じ、以後ゴジラ映画には……否、日本における怪獣特撮には欠かせない"着ぐるみ俳優"となった。「ウルトラマン」を演じた古谷敏も頭が上がらなかったとか、『フランケンシュタイン対地底怪獣』では、素人で不慣れな「フランケンシュタイン」役の古畑弘二を手取り足取り"指導"したとか、ほほえましいエピソードも事欠かない。

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 晩年、確か「季刊宇宙船」の企画だったと思うが、『ゴジラガイガン』以来久々に(アトラクション用ながら)「ゴジラ」の着ぐるみに身を委ね、破利拳竜に“着ぐるみ指導”を行なったこともあった。

 むしむし暑くてさぞや蒸れるであろう着ぐるみを長年着続けた「勲章」とも言うべき、禿げ上がった額に深い皺、それでいて常に豪快な笑みとエネルギッシュな言動で、まさに「ゴジラ俳優」だった中島春雄氏。その醸し出す雰囲気を思うと、よもや訃報を聞くことになるとは思いもよらなかったよ。

 本多猪四郎円谷英二伊福部昭志村喬平田昭彦河内桃子村上冬樹堺左千夫……1954年公開にして日本SF特撮映画の黎明ともいえる『ゴジラ』に関わったスタッフキャストは、その多くが既に鬼籍に入っている。幸いなことに、本編の主役であった宝田明氏はまだ存命ながら、今回の中島氏の逝去で、ついに初代ゴジラは、そして昭和の怪獣たちは、その使命を全うしたような気がする。それだけ大きな……あまりにも大きすぎる訃報だったといえる……合掌



中島春雄さん死去。初代ゴジラの中の人「僕のゴジラはフィルムに残っている」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/07/haruo-nakajima_n_17698728.html

 1954年に公開された特撮映画『ゴジラ』でゴジラの着ぐるみに入り、スーツアクターを担当した中島春雄さんが8月7日、肺炎のため死去した。88歳だった。共同通信など複数のメディアが報じた。

 中島さんは1929年1月1日、山形県酒田市生まれ。1954年公開の初代『ゴジラ』から1972年に公開された『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』まで、12のゴジラ作品に出演した。スーツアクターとして活躍する前は、黒澤明監督作品『七人の侍』など多数の映画作品でスタントマンとして出演も果たしている。

 架空の生物であるゴジラを演じる上で中島さんは、動物園のゾウやゴリラを観察したという。2017年5月に公開された中島さんのドキュメンタリー映像『The Man Who Was Godzillaゴジラだった男)』では、約100キロあるゴジラスーツを着用して撮影に挑んだ当時について、「額に汗流しながら、一生懸命やっていましたよ」と振り返っていた。

 近年は講演活動に積極的で、海外で開催されるイベントに招かれることも多く、世界中のゴジラファンから親しまれた。ドキュメンタリーの最後で中島さんは、ゴジラを演じたキャリアを以下のように語っている。

 「最後まで僕のゴジラっていうのは、フイルムに残っていますからね。記録に残っているからね。僕にとってはありがたいと思う」

中島春雄さんが出演したゴジラ映画作品
 『ゴジラ』1954年公開
 『ゴジラの逆襲』1955年公開
 『キングコング対ゴジラ』1962年公開
 『モスラ対ゴジラ』1964年公開
 『三大怪獣 地球最大の決戦』1964年公開
 『怪獣大戦争』1965年公開
 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』1966年公開
 『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』1967年公開
 『怪獣総進撃』1968年公開
 『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』1969年公開
 『ゴジラ対ヘドラ』1971年公開
 『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』1972年公開