神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

“成長”の葛藤よりも完全無欠な“成熟”を望む

 今日CSで『イコライザー』を放映してたけど、この作品は、主人公デンゼル・ワシントンの圧倒的な強さが印象的な痛快ハリウッド大作だったよ(;^_^A

 ところで、本作に限らず、主人公は下手な葛藤に悩むより圧倒的な力でどんどん敵をなぎ倒していく、そんな作品の方が、断然好きだ。シュワルツェネッガーの一連のアクション馬鹿巨編や、若山富三郎版(映画版)『子連れ狼』や勝新・たけしの『座頭市』等々……。『蘇る金狼』も大好きな作品だが、それはダークな主人公の優作が、圧倒的に強く且つ最高にペテンが切れるからだ(;^_^A

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 だから主人公が劣勢に立たされてそれを克服するとか、最初は馬鹿にされ蔑まれながら最後に一発逆転でヒーローになるとか、『必殺』などでいえば復讐劇の前に悪党の卑劣な行為が延々と繰り広げられるとか、そんな物語はまどろっこしかったり、見るに堪えなかったりで、なかなか載れなかったりする。例えそれが“昭和ガメラシリーズ”(カメラと敵怪獣との死闘は毎回3ラウンドで、最初敗退・途中辛勝・ラスト完勝という展開)であっても………

 よく「物語には登場人物の成長が不可欠」なんてまことしやかに語られることが多いが、勿論そんな物語も大いに必要とは思うものの、そんなのばっかりじゃつまらない。時として印籠(権力)を振りかざして悪を断罪する「水戸黄門」的勧善懲悪の物語も大切だと思う。

 もっともそんな物語の主人公には、強さという“完全無欠さ”と共に、精神面においても、例えば「巨悪を憎み弱い者いじめが許せない」といった精神面での成熟にも“完全無欠さ”も必要である。だって今のアメリカを見ても日本を見ても、権力を笠に着た輩が人民を苦しめているばかりだからだ。むしろ映画の世界ではそんな輩に正義の鉄槌を下すヒーロー・ヒロインの登場が渇望されてならない。

 今時そんな物語ははやらない、とメジャーは高をくくっているかもしれないけど、こんな閉塞的な世界だからこそ、単純にスカッと出来る物語・映画が必要なのだと思う。意外とそんな映画に人は集うんじゃないかな?

 勿論そんな映画が逆に政治利用されないよう、目は常に光らせておかないといけないけど………