神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

無敵のハンディキャップ!

 『座頭市』シリーズの市はとにかく無茶苦茶強い!! まさに敵に対しては“非情なる殺戮マシーン”! 香取慎吾版は未見だけど、おそらく彼にそこまで“非情”な演技をさせるとは思えないので、一応勝新とたけしのそれと限定するけれど(;^_^A

 でもここまで漫画チックというか“SF”のような完全無欠・無敵のヒーローって、逆に説得力にかけてしまうものだ。こんなに強かったら興ざめしてしまうし、そもそもそんな圧倒的強者なんて、感情移入が困難である。逆に引いてしまうだろう。しかし、そんな市は、盲目であるという、敵と戦う者としては決定的なハンディキャップを抱えている。そもそも居合い切りを得意とする彼にとって、相手との間合いが目測で測れないのは致命傷に近い。しかし……否、だからこそ彼は“完全無欠なヒーロー”たり得たのではなかろうか。いわば決定的なハンディキャップなればこそ、彼は圧倒的強者であることを「許された」のではなかろうか、っていう考え方だ。

 思えば、こと時代劇の世界においても、往年の名キャラクター「丹下左膳」(隻眼隻腕)を筆頭に、前述の「座頭市」をはじめ、「ボンカレー松山容子主演の女版“座頭市”「め●らのお市」、そのリメイク版とも言える綾瀬はるかの「IHCI」、また悪漢の罠によって半身不随となってしまった元鬼与力神谷右京が、妻・はな(ジュディ・オング)の押す手押し車に乗って悪を懲らす「おしどり右京捕物車」などなど、様々なハンディキャップを背負いながら、それ故超人的なヒーロー・ヒロインとして活躍を許されるキャラクターが数多くいる。“時代劇完全無欠ヒーロー”の極北といえる映画版『子連れ狼』にしても、ヒーロー・拝一刀(若山富三郎)は幼い大五郎をいつも抱えいなければならない、というある種のハンディキャップを背負ってはいる(もっともこの大五郎も、時として父・一刀の強力な協力者となることもあるが……)。

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 こう考えると、ハンディキャップという“免罪符”によって無敵の力を許された、そして観る側も彼ら彼女らの活躍を、何のわだかまりもなく楽しみ、そして応援することが出来る、ってのが、これらのドラマ・映画の特徴だったんだと思う。

 そう考えると、ことアクションに関して言えば「戦闘能力・体力・瞬発力においてどうしても男性に劣る」という“生理学的なハンディキャップ”を有する女性が、圧倒的な強さで敵を殲滅する(もしくは懲らす)“ヒロインアクション”もまた、同様にその存在を“許される”ジャンルといえるのではかなろうか?!