神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

生きものの記録

 私が黒澤明の映画に求めるものは、ダイナミックな活劇や手に汗握る展開といった、まさに“エンターティメント”“スペクタクル”だったりする。そんなわけで、どうしても『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『用心棒』『椿三十郎』『影武者』といった作品にばかり食指が動いてしまう。『天国と地獄』もビデオ鑑賞では決まって後半の特急こだまのシーンからばかり再生してしまう。

 そんなわけで、それ以外の作品は『羅生門』『赤ひげ』『デルスウザーラ』『夢』以外の作品は、殆ど初見の1回しか観賞していない。『生きものの記録』もそんな作品群の一本だった。

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 それが今晩(昨日?)、図らずもCS観賞。この作品のテーマ自体は非常に興味深く大切であると理解してはいるものの、全編重苦しくやるせないだけの映画だと、初見以来20年以上経過していたのでそう思う込んでいたのだが、実際再見してみると、ぐいぐい引き込まれるパワーを感じさせる作品だった。

 でもそれはテーマの大切さ、というよりも、演出のダイナミックさ・緻密さによるものが大きかった。たとえば、家族の中で孤立する主人公(三船敏郎)の悲哀よりも、彼を取り巻く家族のキャラクター設定の巧みさの方が際だっているし、ある種ユーモラスだ。また所々に張り巡らされた伏線が実に効果的で、ある程度ストーリーを知った上で観ると、さりげない一言の中にちりばめられた数多の伏線に思わずニヤリとさせられてしまった。そして、こんな映画だから絶対なかったと決め込んでいた“カタルシス”という部分に於いても、中島鉄工所(工場)の火事・消失シーンで大いに味あわせてもらった。あのシーンは、悲惨と言うより、主人公の立場からすれば、溜飲を下げる実に爽快な場面だったよ。ラストの“地球消失”(?!)の場面も、主人公の執念が成就したようで、実に微笑ましい。これはまさに、黒澤明に“無意識のエンターティナー性”が染みついているからに他ならないと思う。

 とはいうものの、本作のテーマは実に重い。私も遙か昔、それこそ中学生ぐらいの頃だったか、何故か“核による世界破滅”を意識し、その種の小説(『レベル7』や『地球0年』等々)を読みあさった時期があった。広島人であるせいか、核戦争後の世界なんて想像も出来なかった(つまり全滅)ので、何かの弾みで核戦争が勃発したら、と本気で思ったこともあった。まあ幸せなことに、今日に至るまで核戦争は起こっていない。もしこの映画が実話だとしたら、今から約60年前に、工場を燃やして財産を消失してまでも一家のブラジル移住を目指した主人公の思惑は完全に的外れだった、ということになるが、思えば今日まで核戦争が怒らなかったこと自体が“綱渡り”のような偶然の産物だったのかも知れない。そう考えると、いつかは起こりうるかも知れない核戦争の恐怖に震えることを「杞憂」と笑い飛ばせるだろうか? ラストの精神科医村上冬樹)のいう、「核戦争を本気で恐れることが精神異常なのか……むしろ、こんな世の中で平気でいられる我々の方が精神異常なのかも知れない」という台詞は胸に重くのしかかる。

 一旦核兵器が使用されたら、もう人類レベルの問題では済まされない、まさに「生きもの」全般の生態系に多大のダメージを与えてしまう。核戦争以前に、戦争自体への感覚が麻痺しつつある我々にとって、この作品は我々が思い出し意識しなければならないことを、今も発進し続けているように思う。