超大作のケレン味
最近、角川映画の『復活の日』をホント久しぶりにTV観賞したんだけれど、やっぱ半端ない超スペクタクル映画だった。まさに日本映画史においても、同じ小松左京原作の映画『日本沈没』(もちろん1973年版のオリジナル)に匹敵する無二のパニック超大作だったと改めて感じたね……(;^_^A
一時期、世紀末のSF小説にハマっていた頃があって、この作品は当時の自分にとって恰好のテーマだったんだけど、まだ中学生だったんで、原作を読んだときには「MM-88病原菌」に関するくどいまでの説明に参ってしまい、あまり印象に残っていない。その分、映画観賞は新鮮だったと覚えている。

でも、生物兵器として病原菌が開発される過程や、その奪われた病原菌が飛行機事故によって飛散するサスペンス、そしてパニックに陥りやがて一部を残して滅亡する人類の姿を描き出す人間ドラマとスペクタクル……そこら辺りで十分なのに、更に第二部として唯一生き残った南極の人々が、アメリカ大陸直下の大地震で作動する全面核戦争の脅威にさらされ、その阻止のため主人公たちが決死のワシントン潜入を試みる、という小松左京御大独特の過剰なるサービス精神もあって、もうお腹いっぱいの内容だ。
この作品で 起こりうる事態は、「僅か1年ちょっとで日本列島が水没する」という『日本沈没』の荒唐無稽さから考えたらまだ可能性は感じるが、それでも非現実的なドラマと言わざるを得ない。でもこんな“あり得ない”両作品を、それでも「もしかしたら」と思わせてしまう、森谷司郎(『日本沈没』)・深作欣二(『復活の日』)両監督のハッタリというかケレン味溢れる演出には舌を巻く。
一度映画を鑑賞し始めたら、その時間だけは一切の邪念を払って作品世界に没頭する。決して映画を“斜に構えて”観てはいけない。でもこんなハッタリスペクタクルの場合、少しでも映画が隙を見せると、いくら“映画の作法”に則って観賞している観客であっても流石にさめてしまう。だからこそ、映画制作者はいい意味で“詐欺師”となって、ケレン味溢れる大風呂敷を広げて、観客を気持ちよく欺いてくれなくてはならない。
そんな“欺かれ方”は大歓迎だから(;^_^A