神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「死亡遊戯」的呉爾羅

 1968年の『怪獣総進撃』が、実はゴジラ映画のラストになる予定だったことは、あらゆる書物などで語られていることだ。結局予想外の興行収益を上げたことで、ゴジラ映画はその後『メカゴジラの逆襲』に至るまで6本も制作されることになるのだが。
 
 だが、そこに至るまでに、スタッフの中に「本当にゴジラ映画を作り続ける意義があるのだろうか」との葛藤が芽生えることもあったのではないか………過日放送された『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』を観ると、ふとそんな思いに駆られた。この映画はある種『オール怪獣大進撃』を上回るくらい、荒っぽい作り方が目立つ作品だった。
 
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 何と言っても、ライブシーンが多すぎる。特にキングギドラゴジラの件は、『三大怪獣地球最大の決戦』『怪獣大戦争』シーンのオンパレード。その度にゴジラの顔はカット毎に変わる始末。更にキングギドラガイガンによる都市破壊のシーンなどにも如実な、同じ夜半に揃ってのシーンのはずが、何故かガイガンは夜・ギドラは昼の破壊というチープさ(エドウッドの『プラン9』もかくや、という演出)。前半の自衛隊(防衛隊)によるアンギラス攻撃シーンも、カット毎に『サンダ対ガイラ』『モスラ対ゴジラ』『怪獣総進撃』『地球防衛軍』『空の大怪獣ラドン』等のオンパレード。ある種“芸術的”なパッチワークだ 。
 
 また、老朽化したキングギドラの着ぐるみや、かつては精緻を極めたメーサー殺獣光線車を惜しげもなく壊す・焼く・振り回す等々の“公開処分”状態。まさに過去の怪獣映画の遺産(スタッフにとってはガラクタ?)を食いつぶしているかのようなやるせなさを感じてしまった。それは伊福部“怪獣特撮”音楽を使い回している点にも感じられる(それはそれで興味深かったが……)
 
 有名なゴジラアンギラス吹き出し会話という、チープさを飛び越えた稚拙な演出や、それでいて子供向けと開き直れないストーリー展開(むしろ大映“昭和ガメラ”の方がその点潔い)など、何とも中途半端。まるで、敢えてゴジラファンの怒りを増長させ、「こんなんじゃゴジラ映画終了もやむなし」と思わせているかのようだ。
 
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 ガイガンという“サイボーグ怪獣”のデザインは極めて魅力的だし、かの菱見百合子嬢が唯一出演している(しかも強いお姉さん)ゴジラ映画だし、何と言っても個人的には大好きな“東宝特撮随一の噛ませ犬怪獣”アンギラスがワンシーンとはいえピンで活躍する等、素晴らしい素材を有しながら、この展開・この演出・この特撮。
 
 ライブフィルム一つを取っても、まるでブルースリーの死後、それでもパッチワークと代役によって無理矢理作った『死亡遊戯』を彷彿させる。ゴジラが死んだわけではないが、「ゴジラが出演を渋ったから、過去の作品をつなぎ合わせて、とりあえず1本撮り上げましたが、これからは知りませんよ」と今にもスタッフが言ってきそうな、そんな作品に見えた。
 
 この手法、『オール怪獣~』は夢オチだから許された。しかしこの作品の展開では如何なものか……