神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「ひろしま映像ショーケース」見聞記

 毎年広島発のインディーズムービーを率先して上映してくれる広島市映像文化ライブラリーのイベント「ひろしま映像ショーケース」。今年も広島で近年目立った活動を展開している4団体の作品が一挙上映されました。今までも紹介してきたように、当団体イチヱンポッポフィルムからは、拙作『思い出はあしたから』を出品。当日は私も会場に足を運び、自作の上映後の舞台挨拶を行うと共に、他3団体の作品を観賞してきました。そのレビューは以下の通り。

 

 

『風さそふ』
 先の集中豪雨災害に遭った人々のその惨禍からの再生の物語を、主人公の老人とその亡き妻との不思議な交流を軸にファンタジックに描いていた作品。豪雨禍の跡も生々しい現場でロケが行われ、災害直後の光景や、やがて様々な思いの詰まった地が整理されていく虚無感、それでも前を向いて生きていかなければならない被災者の姿が、決して声高にならないタッチで描かれていく。主人公の老人が生活の中でふと感じる、水害で失った妻の面影。主人公と少女の霊との交流と言えば、『十八の夏』『いつも見ていたヒロシマ』(『鉄橋の下にて』もそうじゃなかったかな?)を始め広島の自主映画界では幾度となく描かれ、俗に「広島風ファンタジー」と呼ばれ、それは広島でロケされたフランス映画『海の底からモナムール』にまで引き継がれているが、本作ではそれを老夫婦で描いている点が注目に値する。妻の霊さえ呼び戻す老人の切なさがひしひしと伝わってくる逸品。

『生きて、生きる』
 何とも思わせぶりなタイトルだが、まさにその通りの物語なのである。皆同じ白い装束に身を包んだ一行が、舟に乗って"ある地"へ向かう。その様相はある種新興宗教の信者を連想させるが、さにあらず、その先に待ち構えている彼ら彼女らの”サバイバル”が本作のテーマだ。以後、抽象的且つ観念的な世界観の中で、過酷な競争が展開していく。劇場映画と見紛う美しい映像の中、手練れの役者陣が時にはパワフルに、時には情熱的に、その不思議なキャラクターを精一杯熱く演じ、観る者を作品世界に引きずり込んでゆく。本作はその"オチ”こそ作品の肝なので、ここで触れることは出来ないが、冒頭の夕日とおぼしき白い丸がやがて大きくなっていくカット、そしてタイトルの言葉から、一行が何者であるかを想像してほしい。本作を見終えると、この世に生きとし生ける者の全てが“選ばれし者"である事を実感できる。まさにタイトルの通りの生命賛歌!

『風鈴と僕と』
 世の中に蔓延る不条理の数々。小心故社会に翻弄される気弱な青年が、ふと心の拠り所に求めたのが風鈴の音色。しかし同様に心臓病を煩い、心静かに生活する主婦(未亡人?)も風鈴の音に精神の安らぎを覚える。瀬戸内の島を舞台に展開する2つの物語が、全く思いがけない、そして極めて悲劇的な形でリンクする。青年を取り巻く痛々しいまでの社会の理不尽さには、世の中に閉塞感を覚える者であれば憤らずにはいられない展開だが、その果てに待っていたのは余りにも不条理な結末だった。当時事故によって一時的に半身不随の重傷を負った監督が、それでも動く片手にハンディのカメラを持ち、車椅子に乗って撮ったという不屈の闘志が全編ににじみ出るような、力強さ、情念をふつふつと感じさせる作品に仕上がっている。



 以上が率直な感想です。当方はあいにく今回も8ミリ時代の旧作での参加でしたが、流石に来年度こそは、是非近作で参加できれば、と願っています。もちろんその第一候補は『YOSHIKOを探せ!!』だが、もしかしたらもっと別の”隠し球”で臨むかもしれない(;^_^A

 それにしても、誰か拙作の感想書いてくれないかなぁ(;^_^A   もっとも今の心境は「これがことを聞かばやと思ふに、そしられたらば聞かじ(by『枕草子』)」なんだよなぁ(;^_^A (;^_^A

※写真はIPFのHPより。