神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

スペクタクル映画 「字幕」を採るか「大スクリーン」を採るか?

 いよいよ今日から、待ちに待ったMCUきってのヒロインアクション『ブラック・ウイドゥ』が封切られた。MCUとしては『キャプテン・マーベル』に次いで、ピンのヒロインアクションとしては2作目となるが、主人公のスカーレット・ヨハンソン演じるナターシャ・ロマノフことブラック・ウィドウは、既にMCUの数多の作品でお馴染みのキャラクターだけに、まさに待望の主演作品といえる。もっとも、彼女は既に『アベンジャーズ/エンドゲーム』において、その犠牲的精神により自らの命を絶っているので、本作はその前日壇とは言え、先にストーリーが発展していかないもの寂しさを感じる。これって、既にブルース・リーの死を知ってから、あの大傑作『燃えよドラゴン』を観る感覚に似ているかな。そういえば、この『ブラック・ウイドゥ』に先駆けて、前の作品で酷く殺されたヒロインが、後にその前日壇として登場する(それでも結局酷い目に遭わされる)、スーパーガールもどきのGIGAビデオがあるそうだけど……ヾ(- -;)

 

 それはそうと、これは本作にも、そして先週観賞の『ゴジラvsコング』にも言えることなんだけれど、最近は字幕より吹き替え版の方が、一日の上映会数も多いし、シネコンの“コヤ(劇場)”も大きなものがあてがわれているようだ。確かに最近は、予告編でもどんな声優・俳優がアフレコしたかが大々的に報じられるし、そのメンバーも実に興味を引く大物タレントだったりする。

 

 

 しかし一昔前は、それってテレビの仕事であって、『スター・ウォーズ』の初放映回に、松崎しげる渡辺徹大場久美子を配した“やっちゃった人選”もあったけれど、今の吹き替え版上映と変わらぬことをやっていたものだ。それに、各TV局がほぼ一週間を網羅して放映していた「〇〇洋画劇場」を観て育った世代にとっては、わざわざお金を払ってTV放映版のような洋画を観たくないとの思いもあって、敢えて字幕版を観るようにしている。

 

 ただ、前回の『ゴジコン』といい今回の『ブラック・ウイドゥ』といい、この手のスペクタクル映画は、やはり同じ劇場でもよりスクリーンが大きなところで、ド迫力を体験しながら観てみたいものである。はるか昔、初めてシネコンに行った時、『ゴジラ ファイナルウォーズ』をまるで試写会の会場のような狭いコヤで観賞する羽目になって、ゴジラ映画といえば、毎回今は亡き宝塚劇場内にあった広島東宝の大スクリーンで観ていた身としては、非常に残念な思いに駆られた記憶がある。

 

 幸い『ゴジコン』では、字幕でもそれなりに大きなコヤで観賞できたが、『ブラック・ウイドゥ』の字幕版は、まさに“試写会クラス”の小さなコヤだ。

 

 果たして字幕を採るべきか大スクリーンを採るべきか……(;^_^A