神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『夏への扉』 ~タイムトラベルネタは万能だけどズルい(;^_^A~

 ハリウッドが生んだ生粋のヒロインアクションムービー『ブラック・ウイドゥ』が封切られて最初の週末、件の新型コロナ禍によって散々待たされた上での公開ゆえ、万難を排して、最近とみにお世話になっているイオンシネマ広島西風新都に来場。道路が混雑していたのと駐車に戸惑ったこともあって、来場したのは上映5分前。慌てて発券売り場に向かい、上映3分前までは、確かに『ブラック・ウイドゥ』を観る気満々だったのに、不人気のはずの字幕上映会場はほぼ満員状態。そこから急遽鑑賞作品を『ブラック・ウイドゥ』から『夏への扉-君のいる未来へ-』に変更。あたかも1980年代に『ET』の会場が満員で入れなかった客が別の階の『食人族』に流れたかのように(;^_^A

 

 そんなわけで、元々いつかは観賞しようとは思っていたものの、すっかり“ブラック・ウイドゥ脳”になった状態での『夏への扉』観賞は、その冒頭では流石にいささか戸惑ってしまった(;^_^A

 

 

 さて『夏への扉』である。我々の世代ならば、勢い松田聖子の「夏の扉」を連想しそうだが(;^_^A、本作の原作はかのロバート・A・ハインライン。彼の書いた「宇宙の戦士」がハリウッド映画『スターシップ・トゥルーパーズ』の原作になったのはとても有名な話だが、そんなハインラインが、この手のファンタジー作品を手掛けているとは思いもよらなかった。もっとも原作は核戦争後の1970年代(?!)が舞台の話らしいから、流石右翼系SF作家ハインラインの面目躍如かヾ(- -;) ちなみにこの原作はハヤカワ文庫刊で、翻訳が昭和SF界の巨星・福島正実氏ってのも時代を感じさせる。

 

 本作は本来ならば1年前に公開されているはずで、その時期に観賞しようと思っていた作品だ(結局それが叶わず、昨年6月は急遽『エジソンズ・ゲーム』を観賞)。それ故本作は本作で待ちに待った作品だったんだけれど、少なくとも前半は、カタルシスなき展開に、何とも煮え切らないままやきもきしてしまった。

 

 山崎賢人演じる主人公の宗一郎は、天涯孤独の身ながら、父親や養父の遺志を継いでロボット工学にたぐいまれなる才能を発揮している科学者であり、今は亡き養父の娘である女子高生の璃子(清原果耶)の密かな恋情を感じつつ、研究に没頭している。しかし彼が技術を提供していた企業と、その企業で働く彼の婚約者の鈴(夏菜)の罠に嵌って、研究成果他全てを失い、挙句は(この作品世界の1995年は、既に冷凍冬眠が主流)鈴の関連の企業で強制的に冷凍冬眠させられ、いきなり30年後の2025年に送り込まれてしまう。ここまでの過程は、観ていて何とももぞかしく。「才能はあるが世間知らず、人の心知らずで、自信がなくて優柔不断、それ故すべての行動が見事なまでに裏目裏目」という、まさに広島東洋カープ現監督佐々岡の迷采配を彷彿させるようなじれったく情けないシーンが延々と続く。

 

 しかし全てを奪われ、未来に“追放”されて路頭に迷う宗一郎が、そこで彼の日常生活をサポートするために就いたヒューマノイド・ピート(藤木直人)によって、2025年の価値様式をマスターし、1990年代からタイムマシン開発に没頭していた遠井博士(田口トモロヲ)の助けを借りて、未来と過去を股に掛けた大復讐劇を繰り広げるあたりから、物語は俄然(ようやく?)面白くなっていく。そして、もともと伏線は張り巡らしていたものの、前半の重苦しさを払しょくするような、何とも予定調和なストーリーが後半に展開する。まさに前半で悪党どもの不埒な悪行を散々見せつけた先に、その悪党を闇の処刑人が暗殺することでカタルシスが倍増する、かの『必殺』シリーズの王道テンプレートのように。

 

 2025年の未来で宗一郎をサポートし、果ては彼と一緒に過去にタイムスリップするアンドロイド・ピートが実に良い味を出していて、後半の血沸き肉躍る展開に実に貢献してた。ピートを演じる藤木直人の演技も素敵だった。今までならばこの手の役は、メイドっぽい若い女性の独壇場だったと思うが、今回敢えて中壮年といっていいベテラン俳優・藤木直人を配したおかげで、実に暖かい作りになっている。彼を配した辺り、テレビドラマ『私の家政婦ナギサさん』辺りの影響があったのかもしれない。

 

 それにしても、今回改めて思ったのは。「タイムトラベル」という設定は、実にズルいっていうことだった。過去に遡る能力さえあれば、MCU『アベンジャーズ・エンドゲーム』の例を挙げるまでもなく、どんな物語もできる。何でも出来る。そう考えると、物語の構成上、タイムマシンほど都合のいい機械は他にない。

 

 これはネタバレになるので記述は控えるが、璃子の自分に対する恋慕の念を十分理解しながら、タイムマシンによって1995年に戻った宗一郎が、パラドックスを起こさないように、璃子との再度の別れを決意した上で再び冷凍冬眠をし、改めて2025年に今の年齢のままで甦るんだけれど、そのラストに、涙を禁じ得ない思いがけない“謎”が隠されている。そのシーンを観るだけでも本作を観る価値はあるかな(;^_^A

 

 それにしても、出演シーンは少ないものの、璃子役の清原果耶の存在感は半端なかった。彼女は先に鑑賞した『砕け散るところをみせてあげる』にも、松井愛莉と姉妹設定というルックス上完璧な役柄を演じていたのが印象的だったが、まだ実年齢が本作のキャラクターと同様18歳ながら、その“危っかしい妖艶さ”が秀逸な女優だ。前半のじれったい物語展開の中、唯一の清涼剤といえるのが彼女の活躍だった。1995年という時代を反映してか、ルーズソックスを履いてはいたけれど、セーラー服姿は眩しいくらいだった。普通、そんな彼女に言い寄られて、“2度もふる”(詳しくは劇場で(;^_^A)宗一郎もどうかと思うが、彼をストイックにさせるその年齢差を、清原果耶演じる璃子がいかにして克服するかは、これもまた、ネタバレできない本作の肝といっていいシチュエーションである(;^_^A

 

 

 “エンジンがかかる”までモタモタしてやるせないが、後半の急転直下の展開は、前半のモゾかしさを一気に吹き飛ばす爽快感に包まれておる。原作が原作だけに、時代懸かったオーソドックスな内容ながら、安心して楽しめる作品だったと思うよ(;^_^A