神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『ジョーズ』と『激突!』にみる狂気と絶望感

 昨晩久しぶりに第一作の『ジョーズ』を観た。この『ジョーズ』と、本作の監督スピルバーグの盟友ルーカスが撮った『スターウォーズ』によって空前のSF・パニックブームがハリウッドを席巻したが、結果的にそれはドライブインシアターを中心とした低予算B級映画のジャンルに大手メジャーがA級の予算と共に参入してきたことも意味し、これによってマイナーな制作会社は縮小を余儀なくされ、あのロジャー・コーマン御大ですら、その制作媒体をビデオに求めるようになってしまった。だからよく「B級映画がメジャーの映画をパクる」って言われるけど、要は先にB級映画のジャンルをパクったのはメジャーであり、二番煎じの作品を撮るのもそうやって“シマ”を荒らされたB級映画がしたたかに生き残る苦肉の手段といってもいいのだ。これを日本に例えるならば、差し詰め「ダイニチ映配」を経た大手メジャー5社の日活が「ロマンポルノ」路線で独立プロが犇めくピンク映画に飛び込んできたのと似ているかもしれない。

 

 

 さて、『ジョーズ』の話であるが、今回なんとなく「そうかなぁ」なんて思ったことがある。映画のラスト、ついに漁師クイント(ロバート・シュー)もサメの餌食になり、しかも漁船を沈められ(その時点で)孤立無援になった警察署長・ブロディ(ロイ・シャイダー)が、決死の覚悟にボンベをサメの口に放り込み、沈む漁船のマストにへばりついて、向かってくるサメの口めがけて発砲し、見事サメを爆殺するクライマックスを迎える。その際、サメを仕留めたブロディーが狂喜乱舞するんだけれど、その時の姿がまさに“狂喜”で、常軌を逸したように、且つ子供のようにはしゃぐのである。この“狂喜”の姿はあまり覚えていなかった。そしてこの姿を観て、ふと脳裏に浮かんだのが、同じスピルバーグ監督の出世作『激突!』で、主人公のデイヴィット(デニズ・ウィーバー)が捨て身の体当たりで殺人トレーラーを崖下に突き落とした際、動かなくなったトレーラーを見下ろして「やった! やった!」と狂喜する姿だ。あの時のデイヴィットも子供のようにはしゃいでいた。

 

 

 思えば、この『激突!』と『ジョーズ』、片やドライバーの姿が見えない殺人トレーラー片や殺人機械のようなホウジロザメと、共に得体のしれない巨大な敵に主人公が翻弄される物語である。そこに至るまでの過程は、さすがに『ジョーズ』の方がエンターテイメントになっているけれど、それぞれの酷似するラストの主人公の仕草も含め、作品の骨子・構成は同じような気がする。お互いの「敵」を殲滅した後も、『激突!』のデイヴィットは移動手段を失い荒野の外れでひとり途方に暮れてしまい、『ジョーズ』のブロディ署長も、海中に潜んで難を逃れた海洋学者・フーバー(リチャード・ドレイファス)と再会し、浮いていた樽に捕まって岸を目指すが、無事辿りつく描写なくエンドクレジットが流れる。よって両作品とも主人公たちの消息は、実は不明なままだ。デイヴィットは助けなく野垂れ死んでいるかもしれないし、ブロディらも岸にたどり着くことなく(結構沖に出てたんで)疲労の果てにこと切れてしまったもしれない。そう考えると両作とも決してハッピーエンドとはいえない。

  もっとも、両作とも同じスピルバーグ監督作品なだけに、構成が似ていてもおかしくないし、こんなビターなラストを用意したのも、スピルバーグ監督の“確信犯”的な演出なればこそだったのかもしれない。それにしても、今までこの2作品を関連付けて考えたことがなかったので、この度確認したブロディ署長の意外な子供じみたはしゃぎ方を観ていろいろ新しく感じたり気づくことができた。やはり過去の名作は、何度見ても新たな発見があるものである(;^_^A 

※ちなみに、ブロディ署長の方はしっかり『ジョーズ2』にも登場するので、一応無事だったということになるけれど、もともと『ジョーズ』の続編が制作時に決定していたとは思いにくく、やはり単発の映画として、意味深なラストだったと思う。