神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『ドクター・ストレンジ』 ~サイケでカオスで予定調和で~

 恥ずかしながら、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)作品群の中でも、この『ドクター・ストレンジ』は全くのノーマークだった。何故ならタイトルに「ドクター(医者)」の冠があり、そのイメージからとても「アイアンマン」や「ハルク」や「キャプテン・アメリカ」といった(『マイティソー』はこの時点では未見)マーベルヒーローの荒唐無稽な活躍は期待できなかったからだ。ただそれは私の勝手な“妄想”であり、先に借りて観た『アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー』におけるドクター・ストレンジの冒頭からの八面六臂の活躍を観て、「これはとんだ見当違いだ」と思い直し、ここに来て勇んで本作を借りて観た次第だ。

 物語は、古色蒼然としたドクター・ストレンジの容姿(および世界観)とは裏腹に、現代社会からスタートする。天才的な才能を誇りながら、『アイアンマン』のスターク同様に傲慢且つ自己中心的な性格の医師であるスティーブン・ストレンジ(ベネティクト・カンバーバッチ)は、不慮の交通事故で医師の生命線とも言える両手の神経に致命的な損傷を負ってしまう。手術を繰り返しても懸命なリハビリを続けても、一向に両手の機能は回復しない。彼の専門分野である西洋医学では埒があかないと悟ったスティーブンは、東洋医学にその活路を求めるべく、単身ネパール・カトマンズに向かい、そこで後の師匠となる魔術師エンシェント・ワンと出会うことになる。最初は傲慢な性格からか極めて唯物的だったスティーブンも、ワンによって物理の法則を超越した観念世界を垣間見させられたことによって、徐々にワンの指導を受け入れていく。しかし修行の果てにスティーブンが手にしたものは、回復した両手ではなく、それを遙かに超える超魔術と、侵略者から地球を守る思い責務であった。

 スティーブンがワンによってイメージさせられる観念世界のカオスぶりには圧倒されると共に、そこまでイマジネーションを膨らませ具現化することに成功したスタッフには心底感心させられる。それは冒頭のワンと、彼(彼女?)の元弟子で、本作のヴィランとなるカエシリウスとの抗争のシーンでも生かされていて、ビルが道路が、それこそ引力や物質の概念に逆らうかの如く、粘土のようにそれでも規則的にうねり変化し、且つ天地がめまぐるしく入れ替わる。まさにトリップしたようなサイケな世界が画面を包む。おそらく劇場で観たら、まして3Dで観てたら悪酔いしそうな迫力だ。これらのイメージは、本作のテーマでもある「超魔術」という代物を、これでもかと納得させるに余りある映像“マジック”だったといえる。

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 古風な設定、物語と反比例するかのような最新の技術によるCGトリックがあたかもそれ自体魔術のように観る者に迫ってきて、それは同様に劇中のスティーブンにも降り注いでいく。それもあってか、やがて自らの使命を悟り、ひょんなことから『アラジン』の「空飛ぶ絨毯」の如く、意思を持っているかのようにスティーブンにまとわりつく擬人化された空飛ぶマントを仲間に、ドクター・ストレンジとなった彼は、その過程で師匠のワンを喪うものの、宿敵・カエシリウスの野望から人類を、地球を救うべく、その魔力を駆使して、最後の決戦地である香港で彼らに闘いを挑む。ここでは、時間を効果的に使ったストレンジの技が光り、時間を逆戻りさせて破壊された香港の街を元に戻したり、カエリシウスを闇で操る暗黒次元の巨大な支配者・ドルマムゥとの最終決戦では、これまた時間をコントロールしてドルマムゥに何度叩き殺されても無限に生き返り、ついにはドルマムゥに根を上げさせるに至る。

 『~インフィニティ・ウォー』の方が初見だっただけに、物語が展開するに従って、スティーブンが徐々に私の知っている「ドクター・ストレンジ」に近づいていく(当然といえば当然なんだか(;^_^A)過程が、何とも面白く且つ興味深かったよ(;^_^A

 ところで、これは他のMCU作品にもいえるんだけど、どれも(一部協力者が死に直面する場合もあるが)概ねハッピーエンドに終わるのは、観ていて安心する。そして本作の唯一の被害者たるエンシェント・ワンだって、MCU集大成の『アベンジャーズ/エンド・ゲーム』では………いやいやまだ書くまい(;^_^A とにかく『~インフィニティー・ウォー』を除き、今のところ、観てきた作品は全てノンストレスで楽しませてもらっている(^^) そしてこの流れで、次は『アントマン』辺りを観ることにしようか(;^_^A


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