神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『深川通り魔殺人事件 昭和56年初夏 この恐るべき惨劇はなぜ…』

 昨日は朝から家族を行楽地に連れて行ったものの、午後の照りつける熱波によってすっかりダウン。気持ち悪い汗は頭の先からダラダラ流れ続けるわ、足下はふらつくわ、オマケに偏頭痛までし始めると、最悪のコンディションに陥ってしまった。おそらく軽い熱中症だったと思うんだけど、情けないのは家族の中でそんなになったのは私だけ……嗚呼、寄る年波には勝てないものだ……ヾ(--;)

 そんな日の深夜、CSのNECOで放映されたのは『深川通り魔殺人事件 昭和56年初夏 この恐るべき惨劇はなぜ…』。80年代初頭に起こった、タイトル通りの事件を、忠実にドラマ化したモノだ。元々今は亡き「土曜ワイド劇場」(テレ朝)の枠で放映されたもので、この番組のことは当時から知っていた。しかし実際にこのドラマを観た記憶がなく、ただ主演の大地康雄という無名に近い俳優が、まさに事件の犯人である通り魔の「川俣軍司を演じるために生まれたような俳優」と呼ばれたことや、芸人のビートたけしが「軍司のパンツはグンゼのパンツ」(犯行後警察に取り押さえられた際、何故か川俣軍司の下半身が ブリーフ一丁だったことに由来する)という、今考えたら遺族の感情を逆撫でしてよく発禁にならなかったなぁ、とも思えるギャグを連発したことは覚えている。そんなわけで、放映から実に37年ぶりに、このドラマを初見することとなった。

 物語は、犯人をモデルにした「川村軍平」なる主人公の中学時代からスタートする。当時集団就職で千葉(実際は茨城)から上京した軍平は、求人難から“金の卵”と呼ばれた世代の一人ながら、住み込みで就職した寿司屋で板前修業をするも、元来無口で人間関係が築けない性格災いしてか長続きせず、職を転々。その間、何度も実家の銚子に舞い戻るも、再び上京。職が立ちゆかないストレスからか、次第に自暴自棄になり、器物損壊・障害・暴行・飲酒運転・恐喝といったつまらない事件で、“塀”の中と外を何度も往来し破滅的な人生を歩んでいく。一時は改心して実家の蜆漁の手伝いをするものの、結局はそれも捨てて上京。再び寿司職人として就職を目指すも、粋がって入れた入れ墨と前科が災いして再就職の希望は叶わず。そしてついにかの凶行に及ぶのであった。

 今回のドラマを観て驚いたのは、実際の川俣軍司の境遇をかなり細かいところまで忠実に再現しているところである。中でも劇中、横内正が経営する寿司屋に転がり込んだ軍平が、そこで出会った先輩の寿司職人(小林稔侍)を“アニキ”と慕い、そのアニキの背に入れ墨が彫ってあったことから自分も入れ墨を彫るという、すっかりフィクションだと思っていたシーンさえ、実際に川俣軍司も行っていたことを知り、その忠実さに驚いてしまった。大地康雄演じる軍平は、無口で小心者で不器用で本来ならば愛すべき存在のはずなのに、その不器用さが理不尽に扱われる徒弟制度の世界に身を置いたために、結局は虚勢と暴力によってしかそのナイーブな心を守る事が出来なかったあたりが余りにも哀れで、でもどうしても感情移入できないキャラクターとして描かれている。そんなわけで、彼が凶行に及んだ初夏のうだるような暑さと彼のアゴからしたたり落ちる汗を観るにつけ、これはある種、和製『フォーリングダウン』の様相も呈しているかな、と日中すっかり暑さにやられた身としては感じたりもしたのだったが、それでも軍平の行為は一点の同情の余地もないと思ったね。ドラマラストのナレーション(江守徹!)にも、精神薄弱にによる無差別殺人・障害も、決まって被害者は女子供・老人といった自分より弱者がターゲットになっていると指摘していたし。

 軍平を演じた大地康雄の演技も鬼気迫っていた。今では人情味溢れる刑事辺りの役どころが似合う映画・ドラマ界の重鎮となっているが、本作では悶々且つ鬱屈した感情を徐々に暴発させていく主人公の破滅する様を、まるで川俣軍司が乗り移ったかの様な挙動不審ぶりで見事に演じ切っている。中でもいきなり奇声を上げて蛮行に及ぶ軍平の予測不能な行動、眼の奥に狂気を感じさせる表情など、枚挙に暇がない。ラスト前の実地検分シーンで、被害者役として制服の上にカーディガンを羽織った婦人警官を軍平が引き寄せ、竹光の短刀で何度も腹を突く場面&、演技を超えた婦警役の女優の恐怖すら感じさせる。これは『TATTOO<刺青>あり』で銀行強盗犯・梅川昭美を演じた宇崎竜堂に匹敵する……否それを遙かに超えた“怪演”だった。

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「刑事・鬼貫八郎」の大地康雄を知っていても、このドラマの狂気の彼の表情はトラウマ必至!

 真夏の夜に観るにはいささか暑くて、そして苦しいドラマだった。ただ絶対観るべきドラマと思ったね。