アダルティーなホラーとしての『美女と液体人間』
文月に突入して、東宝特撮王国のラインナップも『美女と液体人間』『ガス人間第一号』と“変身人間シリーズ”に様変わりした。それで、3日は前ラインナップ『妖星ゴラス』『キングコングの逆襲』に続けて“美女液”が放映と、何とも豪華な往年東宝特撮映画3本連続放映と相成った。
この『美女と液体人間』は確か早逝した東宝の大部屋俳優・故海上日出男氏のアイディアに基づいた企画だが、前出の東宝特撮映画“変身人間シリーズ”の第一作(1954年公開の『透明人間』もカウントすると第二作)ということもあって、様々な試行錯誤が繰り上げされたようだ(技術面から設定まで)。
一見、大蔵貢社長時代の新東宝や大蔵映画を彷彿させる扇情的なタイトルといい、ギャング映画の様相を呈しているところといい、ヒロインがキャバレーの歌姫且つヤクザの情婦という設定といい、SF特撮映画というよりも、アダルティーなホラー(怪談?)映画と位置づけるべきなのかもしれない(とても「子供向け」とはいえない)。液体人間の神出鬼没な描写や、犠牲者のおぞましさなども、怪談チックだ。
佐原健二演じる主人公の学者や警察サイドが(“常識”を巡って反目もするが)あまりにも清廉潔白なだけに、このおどろおどろしさや荒んだ雰囲気は、いやが上にも強調されていく。それ故、主人公佐原と歌姫役の白川由美のほのかに感じさせる愛も、白川のメイクや衣裳が「ヤクザの情婦」という設定故、若干ケバケバしく感じられるため、その2ショットもどことなく違和感を覚えてしまう。
尤も、白川由美のキャラは、その派手な容姿とは裏腹に、意外に純な女性の一面も垣間見させてくれていて、そのギャップについつい惹かれてしまう(;^_^A まるで少女に厚化粧をさせたような“ぎこちない可憐さ”が、本作における彼女の魅力であり、数多くの東宝特撮映画出演を誇る彼女のフィルモグラフィーの中でも、出色の好演だったように思う。
いかんせん、当時の特殊効果技術の限界に挑んだような見事な「液体人間」の描写も、実体が液体故、設定上今ひとつ分かりづらく、クライマックスの殲滅作戦も、暗い画面の中バタバタと進行していく感があり、且つ「液体人間には人間であった頃の記憶がかすかに残っている」という設定の割には、あっさり退治されてしまうので、カタルシスにやや欠ける作品だったかな、とも感じた。
そんな若干の不満もあるものの、放射能の恐ろしさを最も“エグイ”形で表現してくれた点や、この作品のダークで不条理な雰囲気が、後の円谷プロ「怪奇大作戦」第8話「光る通り魔」で忠実に再現された点などを考えると、本作の意義は大きかったと思う。
それにしても、アナログ技術ながら、有機ガラスを用いた液体人間の特撮は、おそらくCGを使っても上手く表現出来ないであろう、質感に溢れている。こういう描写を観るにつけ、CGは所詮バーチャルな“コンピューター”グラフィックであって、“実物”の質感には叶わないんだなあ、って改めて思ったよ。当時のアナログ特撮を侮ることなかれ!!
※おっと、白川由美嬢のことばかりで、本作における“捕食ヒロイン”園田あゆみ嬢について言及出来なかったよ。という訳で、園田嬢に関しては、以前書いたこちらのブログ(「捕食されるヒロイン」https://blogs.yahoo.co.jp/jinguji_ipf_s1986/24426938.html)の方で(;^_^A