棟居刑事と健さん 『君よ憤怒の河を渡れ』
角川映画の歴史と裏側を綴った著「いつかギラギラする日」の中に、『人間の証明』に関わる記述があった。その中で、主演の棟居刑事役に、高倉健が非常に乗り気であって、且つ自分が演じられるものと確信していたのに、プロデューサーの角川春樹が未完の『オディプスの刃』に主演予定だった松田優作を抜擢し、健さんは酷く落ち込んだ旨が書かれていて、その縁で彼は次回作の『野生の証明』に主演することになったそうだ。劇中の棟居刑事は、幼少だった敗戦直後、米兵にリンチされ死に至らしめられる父親を目撃する、というシチュエーションがあるが、今思うと終戦時15歳だった高倉健の方が、戦後生まれの優作よりもよっぽど説得力があった訳なんだけれど、優作版を観てしまった身としては、あの役を健さんが演じるにはやや躍動感に欠けるかな、なんて思ってしまったものだ。
この映画は1976年公開ながら、丁度『野生の証明』が公開された時期にTV放映されて、丁度、高倉健・中野良子の主演コンビが『野生の証明』のそれと一緒だったので、“角川映画かぶれ”の私としては、大いなる共感を持って当時観賞したものだった。
原作が『犬笛』『黄金の犬』の西村寿行故、主人公が徒に権力に翻弄される展開で、その権力批判がストレートすぎてやや食傷気味の映画ではあったが、今回改めて観賞して、後半のクライマックスからラストに至る展開がいかにも無茶ぶりなくらい荒唐無稽で、思わずほくそ笑んでしまったよ(;^_^A
敵に拉致され(というかこれも主人公の巧妙な策略)、人間の意思を奪い“ロボット”化する新薬AXを投与され(と思わせて)、敵の意のままにビルの屋上から投身自殺させられようとする健さんが、いきなり踵を返し、実はそんな薬呑んでいなかったよ、と言わんばかりに悪党共を、タイミング良く訪れた原田芳雄をはじめとする刑事たちと共にめった打ちし、返す刀で諸悪の根源である右翼の黒幕・西村晃の事務所に殴り込み、うそぶく西村を、正当防衛と称して弾が尽きるまで撃ちまくって惨殺する(この役は原田が……)。しかもこの一方的な制裁は「正当防衛」と処理される爽快さ! 今時、どんな悪党でもここまで法律度外視で完膚無きまでに撃ち殺すなんて映画はとても撮れないだろう! ダーティーハリーを超えて、スタローンの「コブラ」もかくや、というべきスカッとする結末である(;^_^A
この映画が中国で大ヒットしたってのも、主人公の抑圧された設定に共感したと共に、日本の極右の悪党が徹底的に叩き殺される爽快さもあったんではないかと思う。何しろこの輩、学生運動家を「サヨクだからAXで洗脳しちまえ」なんて平気で宣うのだから……
ちなみに、本当は本作は「きみよふんぬのかわをわたれ」が正しい読みなのに、何故がテロップのルビは「きみよふん“ど”のかわをわたれ」だったりするヾ(--;)