神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

それは一枚の写真から始まった~『さびしんぼう』雑感~

 まだ「24時間丸ごと 映像の魔術師・大林宣彦」も「尾道三部作一挙放映」も始まっていないというのに、矢継ぎ早に『さびしんぼう』レビューを書き続けてしまったが、出来ればこれらの記事呼んでから、放映時に“追体験”して頂けたら幸いである。(仮に日本映画専門チャンネルが受信できなくても、大抵のレンタルショップには並んでいるので)。尤も、時にはネタバレもあるのでご注意を……(;^_^A

 この『さびしんぼう』が封切られたのは1985年。かれこれ32年も前のことである。当然、当時16歳のJKだった富田靖子も、今や御年48歳(!)……すっかり熟年期の女優になってしまった。その富田靖子は、劇中、マドンナの橘百合子と共に、主人公・井上ヒロキの母親・タツ子の高校時代の写真から飛び出した「田中タツ子」通称“さびしんぼう”を演じるんだけど、リアルな母親としてのタツ子を演じた藤田弓子の当時の年齢は、というと、何と40歳!! ようは、今の富田靖子は既に当時の藤田弓子の年齢を遥かに超えてしまっているのである。この事実はちょっとした衝撃だったよ……(゜Д゜)

 さて、本作において重要な役割を果たすのは、ヒロキでも百合子でもなく、実は母親のタツ子だったりする。つまり彼女の青春期の思い入れが、因果応報でこのドラマの登場人物を翻弄しているというか操っているといっても過言ではない。まさに「さびしんぼうタツ子」の高校時代、ショパンの「別れの曲」をピアノで弾くのが得意な同級生への初恋と失恋……その挫折感がある種の“トラウマ”となった挙げ句、無意識のうちに実の息子のヒロキへと仮託されていく(これってある種、かの『犬神家の一族』と根底は同じである(;^_^A) その思いは、ヒロキの父(そしてタツ子の夫)との見合いの席でも「ショパン、知ってます?」と図らずも質問したらしい行為にも現れている(ちなみにここで「ショパンなんて言われてもあんパンくらいしか思いつかない」云々とあるのだが、せめて「ショッぱいパン」くらい言ってほしかったな(;^_^A)。ただその一言で彼女に昔の失恋の匂いを感じ取ったヒロキの父は、それでもそれを引っくるめて彼女を愛そうと決意する。またヒロキ自身も、母の初恋の相手のように、「別れの曲」を引く百合子に恋心を抱き、結局(ドラマの展開としては)失恋してしまう。

 しかし……ラストで成人した僧侶の彼に寄り添い、彼に左側の顔を見せる妻が、もし後の百合子であったのならば、「高校2年生の田中タツ子」の十数年前に思い描いた恋の因果が、親子二代かけて成就したということになる。そうでなければ、境内の隣の部屋で「別れの曲」を引くヒロキの娘にまで“親子三代”に渡っての「業」が乗り写ってしまう……ヾ(--;)

 それにしても、本作って全て写真の中の「田中タツ子」が巧妙に“演出”した恋愛ドラマに思えてならない。作品の冒頭、境内の大掃除でふと舞い上がって人知れず転がってしまった一枚の写真が仕組んだ、カメラ少年の身に降りかかった不思議なファンタジー。それでいて全編を包むのは、ショパンの甘く切ない旋律。これこそ、映像に傾倒しながらピアノも嗜んでいた、かつての大林少年の真骨頂といっていい作品なのだと思う。

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 ちなみに、劇中、田中タツ子はヒロキに恋心を抱いているような、それ故百合子に嫉妬しているようなそぶりを見せるが、彼女がヒロキの母親である現・井上タツ子の過去の姿であると自覚しているのならば、これは極めていびつでねじれた、禁断の恋の感情になってしまう。だから、あの雨中の階段のクライマックスシーンは、ヒロキが百合子とタツ子の2人を失ったというよりも、一時的な失恋劇をきっかけに最終的にヒロキと百合子が結ばれる、そのプロローグを見届けた安堵感でタツ子は身を引く、と捉えた方がいいような気がする。尤も、そう思うと最後の別れにタブーを犯して未来の息子・ヒロキに抱きしめられるタツ子がいっそう切なく思われる。