神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

62年で5度の“メカゴジラ”

 今年もやってきました、11月3日!……てなわけで、今更ながら去る1954年11月3日に、初めて稀代の銀幕大スター「ゴジラ」がスクリーンデビューした、それから丁度62周年目が今日というわけだ。そこで、毎年恒例の「ゴジラ誕生日映画観賞会」で今年チョイスしたのが、かの“ゴジラ誕生20周年記念映画”『ゴジラ対メカゴジラ』だった。

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 初めて劇場観賞した映画が『ゴジラの息子』ということで、言うなれば「チャンピオンまつり」にどっぷり浸かった少年期を過ごした世代としては、確かに「ゴジラ」以外の余分な映画やテレビ番組を“前座”で延々と観させられる“チャンピオンまつり形態”には当時からうんざりはしていたものの、作品そのものにそんな不平不満は感じていなかったような気がする。そんなわけで、本作も観賞時はただただ「凄げ~!」とため息をつくばかりの内容で、特に劇場に行くまでその容姿を拝むことが出来なかった(確か上映された宝塚劇場の広島東宝前の看板もタイトル文字だけだったと思う)メカゴジラの勇姿にも心底惚れ込んだことを記憶している。

 オイルショックの煽りを受けたか、小6の頃に一旦ゴジラ映画が終わって、ウルトラも仮面ライダーも相次いで(一時)終了。時代は特撮からアニメへと明らかに推移していったため、我がゴジラ及び特撮体験はそこで中断、一時の熱狂は徐々に醒めていったものだった(尤も、それでも一応特撮をどこかで渇望してたようで、『惑星大戦争』や『宇宙からのメッセージ』や『地震列島』さえも欠かさず劇場で鑑賞していたけど……)。

 それが、確か高1の時だったか、この『ゴジラ対メカゴジラ』が急遽民放で放映されて、その音声をカセットテープに録音して、何度も聞き返したことで、再び特撮熱が蘇ってきた。しかし、その頃は特撮研究本の決定版(当時)の「大特撮」なんかも読んだりして、もう素直に“チャンピオンまつり”時代の作品を楽しめなくなってしまっていた。こと、この『ゴジラ対メカゴジラ』も、よく見れば設定が“お子様ランチ”で、徹底的な“予定調和”。そもそも宇宙人であるブラックホール第3惑星人同士の合い言葉が、何で日本語(英語のカタカナ表記?)の「アルファー」「ケンタウルス」だったりするのよ? 何で人間の科学者(宮島博士)にしかメカゴジラは修理できないのよ? 何で「さんふらわー」の寝室に侵入した第3惑星人は、置物だけ盗んでそこで寝ていた金城冴子(田島令子)の息の根を止めないのよ? 等々、突っ込みどころが満載だ。ある時期、そんなところがとても鼻について、余り楽しめなくなった時期があった。

 でも今は、東映プログラムピクチャーによって鍛えられたせいか、これらの“チャンピオンまつり”時代の作品を素直に受け入れられるようになってきた。だから今日の観賞も、初見の頃のように楽しめた。

 おそらくこんな“チャンピオンまつり”の対極をなすのが、ゴジラを悪役に再設定したvsゴジラシリーズではなく、まさに『シン・ゴジラ』だったと思う。そう思うとレジェンダリー版の『GODZILLA』はむしろ『ゴジラ対ムトー』って命名してもいいくらい“チャンピオンまつり”だったと思う。

 それにしても、当時は、まさか『ゴジラ対メカゴジラ』がその後2回もリメイクされ、しかも計5回もゴジラシリーズに出演するとは思ってもみなかったなぁ……(;^_^A