「ゴラク」の中の「反核平和」
子供の頃は戦争も原爆も遠い過去のようなイメージでしか捉えていなかったが、思えば終戦から20年も経過していない頃に生を受けていたわけだから、今72周年を迎えたことを考えると、そんな昔のことではなかった、長い人生を考えれば20年なんてあっという間の時間だ、なんてことを考えると、正直ゾッとする。確かにまだ子供の頃は、元安川沿いにはバラックが建ち並び、 福屋デパートの前には決まって軍服姿で土下座したまま物乞いをする、片足を失った“傷痍軍人”がいたことを記憶している。
インディーズながら「映画」という表現手段を手に入れてから、私も他の広島の表現人と同様、映画を通して「ヒロシマ」に関わったこともある。でもそれは、月並みな「被曝ファンタジー」であり、「映像は間接的で主張は直接的」な作品ばかり撮ってきた。“死者と生者との時空を超えた遭遇”“夢半ばに死んで行かざるを得なかった廣嶋の若者の無念”そんな形でしか、「原爆」というテーマと向き合えなかった。もっとも、それでもこのテーマに関わったことはよかった、って思ってるけど……
それが最近は「B級ゴラク」に特化するようになって、以前のような“ファンタジー”作品とはすっかり疎遠になってしまった。ただ今度は、逆に笑い飛ばせるような予定調和の映画に、声高にならないまでも「反核」「平和」「政治批判」を盛り込んでいけないかって考えるようになった。いわば「ブラックユーモア」の手法で「反核平和」を訴えるような作品が出来ないだろうか、という製作技法だ。
