神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「ゴラク」の中の「反核平和」

 今年は戦後72周年を迎える。同様に明日8月6日は、人類に初めて核兵器が投下されてから72年目の「原爆の日」を迎える。

 子供の頃は戦争も原爆も遠い過去のようなイメージでしか捉えていなかったが、思えば終戦から20年も経過していない頃に生を受けていたわけだから、今72周年を迎えたことを考えると、そんな昔のことではなかった、長い人生を考えれば20年なんてあっという間の時間だ、なんてことを考えると、正直ゾッとする。確かにまだ子供の頃は、元安川沿いにはバラックが建ち並び、 福屋デパートの前には決まって軍服姿で土下座したまま物乞いをする、片足を失った“傷痍軍人”がいたことを記憶している。

 毎年この時期を迎えると、やたら広島の街は慌ただしくなり、ウヨク共の“コンボイ”がまたぞろ街中を闊歩して、雰囲気をいっそう悪くする。イデオロギーがどうであれ、この時期の広島の喧噪は大嫌いだ。

 インディーズながら「映画」という表現手段を手に入れてから、私も他の広島の表現人と同様、映画を通して「ヒロシマ」に関わったこともある。でもそれは、月並みな「被曝ファンタジー」であり、「映像は間接的で主張は直接的」な作品ばかり撮ってきた。“死者と生者との時空を超えた遭遇”“夢半ばに死んで行かざるを得なかった廣嶋の若者の無念”そんな形でしか、「原爆」というテーマと向き合えなかった。もっとも、それでもこのテーマに関わったことはよかった、って思ってるけど……

 それが最近は「B級ゴラク」に特化するようになって、以前のような“ファンタジー”作品とはすっかり疎遠になってしまった。ただ今度は、逆に笑い飛ばせるような予定調和の映画に、声高にならないまでも「反核」「平和」「政治批判」を盛り込んでいけないかって考えるようになった。いわば「ブラックユーモア」の手法で「反核平和」を訴えるような作品が出来ないだろうか、という製作技法だ。

 そんな意味では、自身も体内被曝を体験している“ゴジさん”こと長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』こそ、その方面に於ける一番の作品だと思う。

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