神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

被爆75周年の8月と原爆(反核)自主映画

 昨日の阪神讀賣戦で、阪神の選手の袖に「85周年」のステッカーを見つけ、確か今年創立70周年だった広島東洋カープのことを鑑みて、創世記に誕生した大阪タイガースと僅か15年の差しかないことに改めて驚いた。じつはもっともっと後になって誕生した球団だったと思っていたから。まあその15年て、その中に太平洋戦争もあって、期間は短くとも激動の(そして日本の価値観が180°変わるような)時代だった。

 そんな広島球団の誕生から僅か5年前の今日、広島の地に人類史上初めて原子爆弾が投下されたのである。

 

 丁度広島東洋カープセントラルリーグで初優勝した年、巷では「被爆30年」という言葉が躍っていた。当時小6だった私にとって「30年」という年月ははるか昔のように感じられたが、もはや「知命」を過ぎた年齢で考えると、投下から誕生まで生誕まで僅か18年しかたっておらず、若い人から見れば十分“ニアミス”な時期だったといえる。

 

 他県の大学に進学したのがきっかけで、より地元「広島」を強く意識するようになり、帰省時にはわざわざ今までろくにいったことのない原爆資料館に足繁く通ったりした。そして、その大学で映画制作を学び、帰省して初めて撮った作品が、吉田拓郎の歌にインスパイアされて企画した、原爆をテーマにした作品『いつも見ていたヒロシマ』だった。

 

 

 

 それから4年後の1991年に、再び「原爆」をテーマに、より大林宣彦監督の“尾道ファンタジー”を意識して撮ったのが、来る29日に広島市映像文化ライブラリー主催の「ひろしま映像ショーケーズ」で上映する『シューリンクス』である。昨今の新型コロナウイルス禍により3月の上映が延期になってしまったが、この8月に再開となり、奇しくも8.6の月に本作を広島の地で公開する機会を頂いた。

 

  

 

 今もいくつか、「ヒロシマ」「原爆」に関わる企画を胸に秘めているが、アマチュアとはいえ映画を撮る身としては。映画という手段を使って「反核」「平和」を訴えてことが使命だと考えている。最近は「広島」「反体制」を意識した映画が中心だが、いつかは平和都市広島にふさわしい映画を再び撮り上げてみたいと考えているし、1997年にBOXMANFILMとの共催で開催した反核平和自主映画上映会「平和の未熟児たち」以来の「反核」「平和」に特化した上映イベントもできれば企画したい。

 

 

 新型コロナウイルス禍がこんなところにも影響して、今年の平和式典は規模を縮小するようだ。もはや本来の精神よりも半ば”イベント”化した式典にはあまり興味がないが、そのあおりで灯篭流しまで中止になったのは残念だ。ただ、何はともあれ、いつまでも風化してはならない「原爆禍」ゆえ、何らかの形で継承していかなければならないだろう……

 

 今年75年目を迎えた「広島原爆の日」に思う………