神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「キックの宮」の母校じゃないか!

 現在、俗に言う「夏の甲子園」に向けて、全国の高校球児が死力を振り絞って試合に臨んでいる。幸い我が母校は、今年度の広島県代表の有力候補の一つらしく、おかげさまで今日現在未だ勝ち進んではいる(;^_^A

 ところで、そんな全国高等学校野球選手権大会の各県大会の一つ、兵庫県大会に関して、次の記事が目についた。

創部百年の市神港、「最後の夏」終わる 主将「胸張る」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170713-00000093-asahi-spo

 報徳学園東洋大姫路滝川第二神港学園と、軒並み強豪が集う激戦区でもある兵庫県において、かつて春夏通じて15回も甲子園に出場し、うち2度の全国制覇を成し遂げた、創部100年を誇る神戸市立神港高校野球部が、学校統合による「閉部」で今大会が最後の大会となり、昨日の敗北で、遂に歴史に幕を閉じたそうである。

 私学の方の神港学園(かつての私神港)の方がより印象に残っていたが、確かに「市神港」の名を見たこともあった。そこでwikiで検索したところ……先に亡くなった故上田利治監督が率いて、憎らしいほど強かった阪急ブレーブスで、しかもかの1975年、ブレーブスにとっては悲願の「日本一」だったものの、その過程でプレーオフ近鉄バファローズを撃破し、日シリで初優勝に沸くカープを無敗で下した、その立役者といってもいい超新人・山口高志投手が、件の「市神港」のOBであることが判明した。思えば、その前年のドラフトで、いの一番のくじを引いたはずの近鉄が、当時の目玉だった山口投手を選ばず、敢えて同チームの控えだった福井を「将来性のため」と指名し、その結果二番くじで山口を獲得した阪急にこっぴどくやられた、って過去を考えても、当時の近鉄ファンだった私にとって、また阪急に日本一を奪われた地元広島人にとっても「山口高志」という名は“鬼門”だったりしたわけだけれど、彼も「市神港」卒だったとは………

 そして何より驚いたのは、その阪急から、山口高志と入れ替わる形で広島にトレードされ、その溢れる闘志からストッパー役に任命され、かの阪神戦で主審の理不尽なジャッジに「跳び蹴り」で応えた、俗に言う「キックの宮」こと宮本幸信投手も、この「市神港」の卒業生だったことだ。

イメージ 1

 そう考えると、この記事は俄然大きな意味を持ってくる。何はともあれ残念な歴史ながら、間接的に「キックの宮」を広島カープに招く発端を演出してくれた神戸市立神港高校野球部にエールを送りたい……




創部百年の市神港、「最後の夏」終わる 主将「胸張る」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170713-00000093-asahi-spo
(13日、高校野球兵庫大会 龍野北4―3市神港・神港橘)

イメージ 2

  兵庫大会2回戦で13日、学校統合のため「最後の夏」となった市神港が敗れた。創部100年で春夏15回の甲子園出場を誇る野球部の「最後の主将」を務めた山本は、「ここで野球ができて幸せでした」と振り返った。

  昨秋と今春の公式戦はすべてコールド負け。それでも夏の初戦は、OBも加わった熱のこもった応援を受け、本塁打2本などで完勝した。この日は八回までリードしたが、九回、連続スクイズで逆転されて、力尽きた。試合後、安田監督は「よくここまでついてきてくれた」と涙声に。山本は「今後の人生では市神港出身だと胸を張りたい」と前を向いた。