神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

敢えて“歴史”に背を向けよ

 かの「眠れぬ夜」から一夜明けて……敗戦当初はネット上を賑わしていた広陵関係の記事も、いつの間にか潮が引くようにす~っと少なくなってしまい、せいぜい山本捕手のドラフト指名ネタぐらい。花咲関係の記事もポツポツで……すっかり夏の甲子園大会は“過去の出来事”になってしまったようだ。それよりも鈴木聖也の骨折の方が今とてつもなく大きな“事件”としてスポーツトピを騒がせているよヾ(--;)

 改めて、都合4回夏の甲子園で決勝コマを進めながら、母校・広陵はまたしても“深紅の大優勝旗”ならぬ、準優勝旗“コレクション”にまた新たな一本が加わる結果に終わってしまったが……もしかして、日本の高校野球部で一番“夏の優勝”を渇望しているのは広陵じゃないか、って思うくらいの飢餓感&残念感がまたすっと続くことになってしまった(ノ_-。)

 さて、今回の決勝敗退で、何か本当にもう金輪際夏の優勝なんて望めないんじゃないか、なんて絶望感に苛まれたりする。それこそ、当たり前すぎるし、且つ大いなる矛盾を抱えたことを敢えて書くけど、我が母校はそれこそ「いっぺん試しに優勝でもしないと、絶対優勝なんてできっこない」って思ってしまう。もしくは「優勝するためには広陵が『広陵じゃなくならなくならない』と無理」ってことも……それは上記の様に、広陵があまりにも夏の優勝を渇望しすぎているからではないか、って私は思う。

 思えば、27年の高松商業はともかく、67年の習志野も、07年の佐賀北も、そして今回の花咲徳栄も、広陵は「初決勝進出即初優勝」を献上している。それこそ半世紀で3校も。でも相手校は逆に「初進出」だから「優勝」できたんじゃないかな。広陵と違って変な気負いも悲壮感もないから。勢いでいったって感じで。

 そう思うと、もし広陵に夏の優勝の唯一の機会があったとすれば、それは27年の中等学校野球大会決勝だったんじゃないかって気がするね。調べると、この年の広陵か近来まれに見る強豪校だったらしい。中にはプロ野球セネターズに入団しながら、先の大戦で招集され中国で戦死した悲運の大選手もいたらしい。もしこの時、その最強と言われたチームで、勢いで決勝を勝ち抜いてくれたら、現在まで続く受難の“準優勝の悲劇”は避けられたかもしれない。といっても憶測だけど……(;^_^A

 で、いよいよここからが本題。これはあくまで私見だと断った上で……広陵が夏の優勝を勝ち取るためには、一度「広陵であることを忘れる」ことが重要なのではないか? 分かりやすく言えば、もう過去の負の歴史に縛られるな、ということである。考えてみれば、春の選抜大会では3度も優勝してるんでしょ? だから「サクラの広陵」って呼ばれるんじゃない。これだけで凄いことだ。春に特化してさ、夏まで欲張らなくてもいい。確かに春も夏も強い私学はいっぱいあるけど、「先ずは全国から名選手をかき集めて強力な野球部を力技でこしらえ」「甲子園でNHK全国ネットの電波を使って自校を大々的にPRし」「その知名度で今度は賢い優秀な生徒を集め」「徹底的な学習指導で進学率を高め」「文武両面で学校の総合的なビジネスを展開する」、智弁和歌山大阪桐蔭のような学校運営をしている訳じゃないんだから、今のままで十分だ。夏はオマケでいい。その分春は必死に頑張ればいいじゃん。

 要は、もう「何が何でも悲願の夏優勝を」とか「4度の夏決勝進出も勝てず悲運」とか「夏の“忘れ物”」とかって考えは棄てましょう、ってこと。確かに野球部・学校関係者のみならず、我々のようなOB(最近はOGも)も、夏の優勝を心から渇望する。それ故昨日のような敗北は耐えがたいほど辛い。しかし、現にプレイしている野球部員は、長くても3年間の歴史で野球に関わるわけである。そんな彼らに我々の“悲願”という目に見えないプレッシャーを背負わせたことは、敗北の悔しさ云々を言う前に、正直彼らに謝罪しなければならない位ではないか。実際そんなプレッシャーのない相手校が、毎回広陵から優勝を勝ち取っていってるじゃないか。

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 聞くところによると、中井監督は甲子園へ向かうバスの車中で、選手に10年前の決勝のVTRを観せていたそうである。監督なりに選手の気持ちを鼓舞したかったんだろうが、自分たちがまだ小学生の頃にあった殆ど記憶に無いような出来事をわざわざ見せつけて、彼らに無用な“業”やプレッシャーを背負わせた罪は大きいと思う。また今回はどうか知らないが、10年前のアルプスでは、しきりに「“春の広陵”と言われ続けていいか!」なんてシュプレヒコールが挙がっていたが、これとて、現役の生徒には関係ない、いらぬプレッシャーに過ぎなかったと思う。

 私の言動も含めて、この「夏の悲運」が“一人歩き”している感がある。そもそも、今でこそ往年の黄金期のようにコンスタントに夏の甲子園に出場しているが、私が高2の時の夏に出て以来、以後、かの西村ー白濱のバッテリーで翌春全国優勝した時の夏の出場まで21年間夏の大会で甲子園に出られなかったんだから。つまり67→07のうち半分以上は決勝どころか甲子園で戦う機会さえなかったことを考えると、そこまで「悲運」「悲運」と囃し立てることもない。正直、件の21年ぶりの夏の県大会優勝の方が、翌春の全国優勝より個人的には嬉しかったかも知れない(;^_^A その時の広陵野球部は、確かに「過去の栄光」の広陵ではなかったと思う。

 確かに「広陵」の“金看板”は相手に有効なプレッシャーを与える面もあると思うが、実際にプレーするのは“百数十年間の歴史」ではなく、リアルな現役高校生だ。そんな子らに「10年前の」「40年前の」「80年前の」“落とし物”を拾いに行かせるのはナンセンスだ。監督や学校関係者は勿論のこと、自分も含めて、広陵に関わるものの全てが、「我々の悲願」ではなく「母校の選手頑張れ」の視点で、今後甲子園で活躍する選手の姿を温かく見守れたら、いいんだろうなって思うね。もしそんな視点で今回の大会を見ることが出来たら、残念だけどもっと清々しく今回の結果を受け入れられたと思うよ。まあ、その為にはこちら自身がもっと精進しなくちゃならないけど……(;^_^A  もっともそんな“精進”が一番必要なのは、自分だったりするんだけれどヾ(--;)

 でも、そうなれば、もしかしたら逆説的に優勝の目もあるかもしれない(;^_^A