神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「新ヘドラ」の夢

 昭和ゴジラシリーズ真っ直中の少年期を迎えた私にとって、これら15作品の殆どは劇場やTVで観賞する機会に恵まれたが、その中で僅か3本ほど、ホームビデオが普及する大人になって初めて観た作品がある。それは『ゴジラの逆襲』『南海の大決闘』『ゴジラ対ヘドラ』の3作品だ。うち『逆襲』と『ヘドラ』はレンタルビデオで、そして最後に残った『南海』は当時のNHKBS2でようやく観賞が叶ったわけだが……まあ普通の怪獣映画だった『逆襲』『南海』と比べ、『ゴジラ対ヘドラ』は本当に異色で、この映画を理解する上では、当時の小学2年生で観るよりは社会人になっての初見で本当に良かったと思ったものだった。

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 物心ついてから「正義の味方ゴジラ」にすっかり慣れ親しんで、たまに『キングコング対ゴジラ』のリバイバル上映を観ても、街を蹂躙する“怖いゴジラ”と普段のゴジラは「別物」くらいに思っていた私だったので、その時リアルに観賞していたら、本作にどんな感想を持ったか……それ以前に、サイケで前衛的で、時折残酷で絶望的で。そしてブラックな笑いに満ちた本作を理解できなかったかも知れない。映画を観ないまでも、当時巷に溢れていた子供雑誌などで『ゴジラ対ヘドラ』のストーリーはある程度知っていたが、「とにかくゴジラが悲惨な目に遭いながらなんとかヘドラを倒す」ぐらいしか認識していなかったもの。

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 でもサイケで毒々しい「007のオープニング」といった様相の遊び感覚溢れるタイトルテロップシーンに始まり、画面大量分割による不可思議なカットや、シュールなヘドラのアニメを用いた説明シーン、「死のガスマスク」のシルエットが街の地図にすり替わるハッタリや、ヘドロ弾によって麻雀に興じるサラリーマンが生き埋め死したり、硫酸ミストによって人間が動物が白骨化する凄惨な映像にいたるまで、子供時代の浅はかな感性ではどうやっても抱えきれないほどの圧倒的な場面が、この作品には充ち満ちていた(確かサイケなバーで主人公の柴(柴本)俊夫がヤクをやっているようなシーンもあったような………)。きっとリアルタイムで観たら“トラウマ”になりそうなシーンばかり……でもそんな映像・映画の中に込められた批判精神は計り知れないほどだった(ゴジラ放射能火炎の逆噴射で空を飛ぶカットは、まあ趣味の悪い“冗談”ということで……(;^_^A)。

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 そんな“隠れた傑作”を撮ったのは坂野義光監督。ほぼ「本多猪四郎」「福田純」の名で占められた「ゴジラ映画監督」の中で、氏の存在は異彩だった。しかも氏が撮ったゴジラ映画はこの異色作である本作のみ。その後の消息も知れない、“謎の人物”だったが、近年、レジェンダリー版の『GOZILLA』が制作される際、日本(東宝)のブレーンとして参加していたことから。再び氏の活躍を知り、一時洋泉社刊の「特撮秘宝」でその名とコメント(記事)を拝見し、嬉しく思っていた。そんな矢先に今回の訃報を知り、大変衝撃を受けている。折角、ハリウッド版ゴジラの復活を機に、大いに活躍されるものと期待していたのに……

 いろいろ検索したところ、環境問題に造詣が深く『ゴジラ対ヘドラ』を撮るに至った坂野監督は、原発事故が起こった福島県沖から新たな“ヘドラ”が登場する企画を温めていたらしい。こういう骨太の批判精神に満ちた作品を、なんとか撮らせてあげたかったなぁ。そう思うと氏の訃報は口惜しくてならない。

 天国では、もう本多監督や福田監督に遠慮せず、ばんばん自分の思うままに「ゴジラ」を撮ってほしいと思うよ。今度は“円谷のオヤジさん”が特技監督でついてくれると思うよ………合掌


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 坂野義光さん(ばんの・よしみつ=映画監督)が7日、くも膜下出血で死去、86歳。通夜は14日午後6時、葬儀は15日午前11時から川崎市高津区下作延6の17の10の、くらしの友津田山総合斎場で。喪主は長男啓(けい)さん。

 愛媛県今治市生まれ。71年「ゴジラ対ヘドラ」で監督デビュー。米ハリウッドが手がけた「GODZILLA ゴジラ」(14年)でエグゼクティブプロデューサーを務めた。著書に「ゴジラを飛ばした男」。


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 高度成長時代に公害を批判したゴジラ映画を新たな形でよみがえらせようと目指す映画人がいる。一九七一年公開の「ゴジラ対ヘドラ」の監督坂野義光(ばんのよしみつ)さん(85)=川崎市多摩区。六年前、放射能汚染をもたらした福島第一原発事故を公害ととらえ、自然との調和を問う作品の実現に意欲を燃やす。 (小佐野慧太)

 「よくこんな所に住んでいられるなあ」。七〇年夏、撮影の下見で、静岡県富士市田子の浦港を訪れた坂野さんは驚いた。

 くすんだベージュ色のヘドロが浮かび、卵の腐った臭いがする。製紙会社の廃水などによる「富士公害」のさなかにあった時期だ。

 坂野さんは五五年に映画会社「東宝」に入社。看板作品「ゴジラ」のプロデューサーから、シリーズ十一作目の監督を持ち掛けられ、題材に選んだのが富士公害だった。

 七〇年は大阪万博が開かれた年でもある。展示施設の演出を担当した坂野さんは、仕事で東京とを行き来する間、東名高速から富士市の光景を見ていた。

 「煙突から黒煙がもうもうと上がり、昼でも薄暗かった」。万博のスローガン「人類の進歩と調和」をむなしく感じていた。

 作品には、核実験で生まれたゴジラが人類に恐怖をもたらす第一作のように、メッセージ性を込めた。

 ヘドラは宇宙の生命体と田子の浦のヘドロが結合して生まれた怪獣。ぎょろっとした目とドロドロの体を持つ。工場の煙を吸って硫酸の霧をまき散らし、人間を次々に白骨化させる。公害は恐ろしい社会悪だと、強烈なイメージで子どもたちに伝えた。

 公開から二年後、東名高速から見る富士市の煙突の煙は、排煙装置の改善で黒から白に変わった。

 「作品も一定の役割を果たせたのでは」。そう振り返る坂野さんだが、原発事故後の状況にはもどかしさを感じる。「問題に技術ですぐ対応するのが日本の文化のはず。原発なんて早くなくせばいい」

 坂野さんは事故からすぐ「新ヘドラ(仮称)」のシナリオに取り掛かった。新ヘドラ原発事故による放射能で福島の海から誕生する。テーマは原発が生んだ新ヘドラと「自然と調和して生きる日本人の価値観」の闘いだ。

 資金や権利の面で新ヘドラの映画化には厚い壁がある。「それでも、日本人の映画監督として実現させる義務がある」。坂野さんはシナリオを手に、熱く語った。

<富士公害> 1970年ごろの静岡県富士市には約150の製紙会社があり、大気汚染による気管支ぜんそく、悪臭などの公害をもたらした。中でも田子の浦港のヘドロ公害は70年5月、貨物船が汚泥に船底をとられ、立ち往生する騒ぎで全国に知れ渡った。工場専用の岳南(がくなん)排水路を伝って当時1日200万トンの未処理の廃水が垂れ流され、製紙かすなどがヘドロとして川や海を汚した。

<ばんの・よしみつ> 1931年、愛媛県生まれ。55年に東京大文学部を卒業し、東宝に入社。71年公開のゴジラシリーズ第11作「ゴジラ対ヘドラ」を監督。2000年に先端映像研究所(川崎市)を設立。14年公開のハリウッド版「GODZILLA」でエグゼクティブ・プロデューサーを務め、製作中のハリウッド版続編にも携わる。近著に「ゴジラを飛ばした男」(メディア・パル)。