使命感
生まれて初めて、医者の言葉が“気休め”に聞こえたよ………
今を去ること先週の金曜日。それまでにも“広島発ヒロインアクションムービー”的に懐かしい再会があったり、この日は嬉しい来訪もあり、素敵なエールメッセージもあり、一度は地べたまで叩きのめされて失いかけた映画への情熱が再び甦り、そろそろ“捲土重来”を期して、との思いで帰宅したところ、思いがけない事態が待ち受けていた。
当初は翌週から始まる休日返上の喧噪直前ということもあって、精一杯家族サービスにいそしもうとしていたこの18・19日は、今後の対応及び準備で瞬く間に過ぎ、月曜日には市内の総合病院へ。もともと昨今の体調の不良を気にして先週金曜日に受診したところ、緊急入院という事態に陥ったのだが、その準備をしたためて、一緒に説明を受けたところ、厳しい数値という現実と、それとは裏腹に何ともオブラードに包んだような抽象的楽観論が交錯する説明に、気持ちは沈むばかり。病室に案内され、そこの廊下の窓から風景を見つめ、「この病院が一生忘れられない場所になるかも」と思うと胸が詰まった。
本当に偶然ながら、今週の月~木までは、仕事の関係上奇跡的に休むことが可能な週だったので、病院と幼い娘たちの世話をする日々が続いた。実は今日で“主夫”業3日目である。実際やってみて、ホント“仕事と家事を両立させている人”を心底尊敬できると思った。こんな生活を毎日続けられるなんて……私はもはやオーバーヒート状態だ。それでもとことん頑張るけど……娘たちのためだし……
今晩、娘の一人がついに“ママが恋しい”と泣き出してしまった。“この子を遺して”ではないが、もし厳しい現実がこの子らに降りかかった場合、もう私しか娘たちの後ろ盾になる者はいない。おぼろげながら“どうせオレが先にくたばるし……”と高をくくっていたが、急に命が惜しくなった。勿論娘たちのためだけど。
そう思うと、当ブログの趣旨と大いに反するが、もう映画なんて考えている暇はない。思えば、とかく映画の現場に行くのを渋る“アイツ”だったが、“アイツ”がいてくれたから、家庭不和があろうとも、私は映画を撮れた。もし“アイツ”がいなくなって私が娘たちの世話を続けなければならなくなったら、到底映画など撮れない。そんな不思議なアイロニーを今は感じている。
今は劇的且つ奇跡的な展開が待つことを祈るのみだが、これからは“自分”なんて考えず、娘たちや家族、職場のつながりだけを考えて生活していこう……というかそれしか私たち家族の生き残るすべはない。それを使命感として、割り切って生きていこう。それならば生きていくことが出来る。
ちなみに今の唯一の幸せは、多くの看護師にほほえみかけられる位かな。