再利用されるサントラ
究極の“ヒロインアクション”といえる作品、それは『デスプルーフ』である(笑)
特にラストの、3人の強面のヒロインたちに“タコ殴り”(「あしたのジョー2」の“チョムチョム”?)される変態(元)スタントマン・マイク(カートラッセル)の姿を観るにつけ、「不埒な(女の)敵を裁く」ヒロイン活劇の王道を行くような快作だ(笑)
今日もDVDでそのラストシーン(僅か3分足らず)を何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も…………観返しては、悦に入っていた。何故かカートラッセルに同世代同姓の悲哀を感じることなく楽しんでしまうのは不思議だが………
ところで、この作品に限らず、タランティーノ作品のBGMは(近年の『イングロリアス・バスターズ』に至るまで)、オマージュというか、過去の作品の楽曲がBGMとして用いられている。かの『デスプルーフ』でもその傾向は顕著で、中には、音源のサントラがそのまま(劇中の効果音と共に)用いられているケースもあるから驚きだ。
でもその殆どについてオリジナルを知らない者にとっては、ここで流れる曲とシーンとが脳裏に焼き付いてしまって、逆にオリジナルの方を観た時に違和感を覚えてしまうだろう。特に本作のように愉快な映画ならばなおさらだ。
本来、特定の映像に載せることを想定して創られるBGMだと思うが、それがこのようにいくつもの映像でいくつもの“顔”を持つことになる。それは嘆かわしいことなのか、それとも喜ばしいことなのか……?