神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

やっぱり「ストロング小林」

 小学生時代、島根県に住んでいた私にとって、プロレスといえば「国際プロレス」だった。それは民放が2局しかなかった故、日テレ系の「日本プロレス中継」が放送されず、唯一観戦できたのがTBS系(当時)の「国際プロレス中継」だったからだ。だが当時は、グレート草津サンダー杉山がメインで、らマイティ井上アニマル浜口寺西勇マッハ隼人剛竜馬も阿修羅原もほとんど記憶に残っていない。ただ金網デスマッチは観た記憶があるので、ラッシャー木村は観たことがあったのだろう。それと、モンスターロシモフはその頃から知っていたので、彼が「アンドレジャイアント」と改名していた時には違和感を覚えたものだった。

 

 

 そんなわけで、覆面太郎ことストロング小林のことも当時は知らなかった。むしろ、1973年より父の転勤に伴って3年ぶりに広島に引っ越して、当時UHTと呼ばれていた現広島ホームテレビで視聴が可能になった新日本プロレスで、坂口征二と組んで北米タッグ王者に君臨していた時のストロング小林の印象の方が強い。

 

 後に、故竹内健二氏の著によって、彼が国際プロレスのTBS放映が打ち切りになった窮地に、国際を捨てて「果たし合い」の美名のもとに新日に移籍した旨を知り、彼の無責任な態度に憤慨したものだが、さらに後になって、国際時代、実力も伴わないのにやたら“権力”を振りかざしていたグレート草津に冷遇されたことが移籍のきっかけになったことを知り、多少なりとも彼に同情するようになった。

 

 

 子供心にストロング小林を観て感じたのは、「猪木に似てるなあ」って感慨。もっともその猪木を極めて武骨に大雑把にしたような容姿が、ストロング小林のイメージだった。後に頭をスキンヘッドにし、奇しくも最近CSの時代劇専門チャンネルで放映されたばかりの『伊賀忍法帖』に「金剛」役として俳優デビューし、それが縁で一時リングネームを「ストロング金剛」に改めた時期もあったが、私にとっては永遠に「ストロング小林」だった。

 

 そんな小林氏が、実は昨年の大晦日に逝去されていたそうだ。享年81歳。きっと波乱に富んだ人生だったろうが、国際のエースとして、新日本の重鎮として、そしてタレントとして活躍していた人生は、実に有意義だったと思いたい。そしてあの世では、、まず国際の吉村社長と和解してほしいね。それから馬場や大木、木村らと派手にやり合ってほしい………合掌

 

 それにしても、元新日本の猪木や坂口が存命というのは、ある種驚異的と言えるし、それ故その存命記録を今後うんと伸ばしてほしいものだ。

 

 


ストロング小林さん死去 覆面、日本人対決、タレント転向…プロレスの隆盛を築いたパイオニア
https://news.yahoo.co.jp/articles/32d3c7f2f8ce809b12231a9c8ab0f962f3ae852c