神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「ザ・グレート・カブキ」は高千穂明久

 去る20日は「歌舞伎の日」だったそうだが、プロレスファンとしては、「歌舞伎」といえば勿論「ザ・グレート・カブキ」!!(;^_^A 彼の存在なくしては、後の「ケンドーナガサキ」も「ミスターポーゴ」も「ざ・グレート・ムタ」も誕生しなかったといっていい、アメリカマット界で反日感情をあおるステレオタイプの日本人レスラーからの脱却を果たした、まさに“東洋の神秘”の先駆けだった。

 

 そんな「ザ・グレート・カブキ」の正体が、今や崩壊して半世紀が経とうとしている“力道山”ゆかりの日本プロレスにおいて、最後にUNヘビー級のベルトを巻いて、且つNETによる日プロ最後のテレビ中継の“トリ”を務める羽目になった高千穂明久であることを知る者は、今やどれくらいいるだろう……(っていうか、「ザ・グレート・カブキ」自体知ってる?ヾ(- -;)

 

 昭和プロレス史に大変興味を持っているが、本当に物心ついてプロレスを理解しながら感染したのは70年代後半。それ故その前の力道山の死から始まる、その妻・百田敬子氏の日プロ継承と、豊登芳の里遠藤幸吉吉村道明といった“ダラ幹”トロイカ体制による追放劇、そして分裂による東京プロレス国際プロレスの誕生、東プロ猪木の日プロ復帰とクーデター騒動による解雇劇に端を発した新日本プロレスの誕生、日テレとNETとの“代理戦争”に巻き込まれての馬場独立(全日本プロレス旗揚げ)、そして日プロ・坂口と新日・猪木との合流によるNETの日プロ中継打ち切りによる日プロ崩壊へと続く、昭和39~43年までの日本プロレス界の醜聞に、今とても関心を持っている。

 

 経営難でありながら、新日との合併を頑なに拒否した“ダラ幹”と大木金太郎一派は、当時の大エースだった坂口征二ら合併推進派を追い出し、その結果唯一の収入源といっていい放映料を払い続けたNETに見放され、一気に崩壊を遂げてしまう。しかしそんな事態にも相変わらず高をくくっていた彼らは、対バレンタイン戦で坂口が半ば“放棄”したUNヘビーのベルトを高千穂に奪取させ(ここら辺の目論見やいきさつが、まさにプロレス=予定調和のショーであることを露呈している)、坂口に替わる新UN王者として売り込もうとしていた。要は大エースの坂口の代わりは高千穂で務まるという甘すぎる考えだ。しかしその栄えある戴冠のシーンが、日プロを崩壊に導いたNET放映終了の狼煙だったわけだ。

 

 

 その後、高千穂は全日本プロレス所属となり、海外に遠征、その後全日プロとアメリカを行き来しながら、1981年に「ザ・グレート・カブキ」に変身、くさび帷子のコスチュームとヌンチャクというアイテム、そして毒霧というギミックを有して大ブレイク、日本に凱旋した。しかしファイトスタイルは違っても、得意のアッパーブローは健在で、その後も長く活躍した。

 

 私は全日時代の高千穂明久は知っていたが、当初はカブキ=高千穂とはわからなかった。今思えばすぐにわかりそうなものだけど(;^_^A

 

 いずれにしても、日プロ崩壊について書かれる際、頭に包帯を巻いた大木金太郎が、社長の芳の里と日プロ選手の面々、そして百田敬子氏と並んで“ギブアップ”の記者会見をしている写真と共に、決まってNET最後の中継における、UNベルトを巻いた高千穂の笑顔の写真が決まって記載される。この高千穂の笑顔と、その直後に訪れる日プロ崩壊の悲劇とのコントラストが、いつ見ても何とも切ない。