神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

日プロ崩壊の70年代に思いを馳せて……

 自主映画人にはプロレスが好き、って風説があるらしいが、ご多分に漏れず私もプロレスファン(;^_^A もっとも最近はプロレス中継を観ることもほとんどないし、最近のプロレス事情も疎い。その分、20世紀までのプロレスにはそれなりに精通しているつもりだ(;^_^A まあ、最後に生でプロレスを観戦したのは、叔父貴といった佐伯区スポーツセンターでのWAR興行だったし(しかも天龍が鎖骨骨折で欠場の時で、メインイベントはアニマル浜口・北原・平井組vs冬木軍《冬木・邪道・外道》の6人タッグマッチだった……)

 

 そんな私も、プロレスに目覚めた頃は父親の仕事の都合で島根県に住んでおり、日テレの日プロの試合は観賞できず、専らTBSの「国際プロレス中継」しか観ることは叶わなかった。だから馬場も猪木も『タイガーマスク』のアニメでしか観たことがなく、自分にとってのヒーローはグレート草津でありサンダー杉山だった。アンドレ・ザ・ジャイアントも「モンスター・ロシモフ」時代しか知らなかった。

 しばらくして、島根県でも猪木の試合は観られるようになり、つい最近までこれは「新日本プロレス」の中継だったと思い込んでいたが、それは、日テレの日本プロレス中継にテレ朝(当時はNET)が割り込んだ時代の「ワールドプロレスリング」だったんだと、最近になって知った。やがてこれまた父親の転勤で広島に移り住み、そこでようやく馬場の出る「全日本プロレス」を観ることが叶い、『アタイガーマスク』でしか知らなかった馬場と猪木の生の姿両方テレビで鑑賞することが叶った。もっとも全日本の方は、最初は「8時だョ全員集合!」で、後には「人造人間キカイダー」「キカイダー01」「デビルマン」「キューティハニー」といったNETが仕掛ける“8時代の子供番組”の方に関心が向いたせいで、子供の頃はあまり観る機会がなかったけど……(;^_^A

 

 さて、これまた大人になるまで、てっきり力道山が興した日本プロレスがそのまま馬場の全日本になり、猪木一派だけが日プロを飛び出して新日本プロレスを興したと思い込んでいた。しかし、竹内宏介氏が執筆したゴングムック「プロレス醜聞(スキャンダル)100連発!!」や、ネットの「ミック博士の昭和プロレス研究室(http://www.showapuroresu.com/)を拝見したおかげで、新日本も全日本も、共に日本プロレスから独立して設立された団体であることを知った。

 

 1963年12月の力道山刺殺事件に端を発した日本プロレスの”お家騒動”は、一時は力道山夫人の百田敬子氏が社長として日本プロレスを引き継いだはずなのに、後に“トロイカ体制”といわれる豊登芳の里、遠藤、吉村によって追放の憂き目に遭い、彼らが日プロの実験を握る。しかし、野心に燃えすぎたために頓挫したが、猪木が仕掛けた”クーデター”や、「一団体2局中継」というありえない事態を上記の”ダラ幹”4人らが2局放映による放映権料の倍増に魅せられて認めてしまったことから、団体内に軋轢が生じ、やがて猪木の追放や馬場の独立、そして猪木・馬場が去った日プロの最後のエーズ・坂口征二のNET主導による猪木新日本への合流(それに伴うNETの新日本中継)によって、結局テレビ局から見捨てられた日プロは幕を閉じてしまう。もっともそんな日プロの選手は
、結局全日本に吸収合併されることになるんだから、子供の頃思っていた「日プロ=全日プロ」ってのも、全く間違っていたわけじゃなかった。

 

 

 そんなわけで、個人的に日プロが崩壊した1972~1973年の頃にとても興味を持っていて、当時のことが少しでも知りたいと常日頃思っていた。そんなわけで、今回の「Gスピリッツ56号」が「日本プロレス黄金時代余話」特集ということで大いに期待していたんだけれど、内容は本当に日プロの全盛期を回顧する内容で、いささか期待おはずれだった。

 

 まあ、1970年代の日プロ崩壊に伴う一連の“事件”も、今やどれだけの団体があるか把握できないくらい“カオス”の状態に陥っている、そして果てしない“離合集散”を続けている現在のプロレス界から比べたらよっぽど分かり易い状況だったけど、まだその渦中にいたレスラーたちが少なくとも“ガチンコ”で絡み合った当時の状況は、今考えるとこれもまた“古き良き”時代だったといえるのかもしれない(;^_^A