神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『ルパンの娘劇場版』~タイムトラベルは“伝家の宝刀”~

 “フカキョン”こと深田恭子は実に魅力的な女優である(;^_^A デビュー作における不治の病の女子高生役の頃は、えらく背伸びして「こまっしゃくれた」演技を魅せていたが、歳を重ねるうちに、逆に、あたかも“ベンジャミンバトン”のごとく、あどけなさというか可愛らしさ(ある種カマトトぶりでもあるけどヾ(- -;)が増して来たようだ(;^_^A  しかも『ワイルド7』ではカッコいいライダースーツ姿を披露したり、実写劇場版『ヤッターマン』においては、全身ボンデージスーツに身を包み「悪女・ドロンジョ」を演じるなど、うんと“こっち側”の女優と認識している。

 

 

 そんな彼女が「キャッツアイ」よろしく、ボディーラインもあらわにキャットスーツに身を包み、怪盗一家の娘を演じる『ルパンの娘』には大いに期待したものだった。もっとも、地上波の連ドラ自体、まめに観賞する習慣が元々なかったことも災いして(一番“最近”観てたのは剛力彩芽の『女囚セブン』くらいか)、何話か録画したくらいで、結局殆どスルーしてしまった。

 

 

 だから、この『ルパンの娘』が劇場公開映画として封切られても、同様の『奥様は、取り扱い注意』のように勇んで観に行くこともなく、ようやく、もうすぐ公開が終了する12月初旬の5日に、「月に一度は劇場映画観賞」12月回として、“いつもの”イオンシネマ西風新都の「ハッピー55割引き」で観賞してきた。その感想を以下に記す。

 

※以下の文章にはネタバレも含みますから、ご注意してお読みください(;^_^A

 

 『ルパンの娘』の設定は、怪盗一家の娘・三雲華(深田恭子)と警察一家の長男・桜庭和馬(瀬戸康史)との愛という“ロミオとジュリエット”的展開なんだけれど、彼女らが無事結婚を遂げ、しかも愛娘まで設けていたところまで地上波ドラマの中で描かれていたかは、未見故預かり知る所ではない。また怪盗一家こと「Lの一族」には、華の“父親”である尊(渡部篤郎)の妹・玲がいたことも同様に既にドラマの段階で明らかにされていたかも知れない。こんな時は、とりあえず「観てきたつもり」で、どんな展開も「こういう話なんだ」と自分を納得させながら観るのに尽きる。そんなわけで、劇中如何に荒唐無稽な設定が登場しようと、予定調和な展開になろうとも「そういうもんなんだ」と自分に言い聞かせながら観続けた。ただ、そう思っても、やはり「これはちょっと無理があるだろう」という展開が随所に登場した。

 

 栗原類演じる華の“兄”の渉は、どうも発明の天才という設定らしいが、その発明品が常軌を逸しているというか、極めてリアリティーに欠けるものばかりなのだ。冒頭に登場する「惚れ薬」はともかく、「隠れ蓑」のように姿を消せるメカとか、大きさを自在に変えられて、しかもタイムトラベルが出来る“新型ビートル型”のデロリアン風車輛とかが登場するのは、ちょっとやり過ぎの感があった。はっきり言ってドラマ世界のリアリティーは皆無である。もともとSF映画として設定された作品ならいざいざ知らず、本来ならば地に足の着いたラブコメ風物語のはずなのに、そこだけ違和感を覚えてしまう。それでいてこれらのSF設定がドラマに深く関わっているようで関わっていない点も、観ていて非常に不安定だ。

 

 本作では、大道芸人(岡田義隆)と結婚して娘も誕生した玲が、その夫を酔っ払った愚連隊まがいの若者らに撲殺され、その恨みを晴らそうとしたものの、「一族から殺人者を出してはいけない」というL一族の掟によって、復讐すんでのところで尊の通報によって警察に逮捕される。その恨みからL一族を根絶やしにする、というのが、玲のなれの果てであるJOKERの究極の目標であるので、この復讐劇を根本から元に戻すために、三雲家の一族が芸人の夫が殺害される直前にタイムトラベルをして、その死を阻止する、というのが中盤のクライマックスだったりする。しかし、そうやって歴史を変えてしまった場合、もしかしたら華と最愛の夫・和馬は出会えなくなってしまうのではないか、という葛藤が後付けで渦巻く。そんなわけで、このタイムトラベルは、劇中いろんな意味で重要な役割を持つんだけれど、「ちょっと待て」って思いに駆られる。

 

 先日、『仁義なき戦い完結編』における大友勝利のセリフについて言及したが、件の「牛のクソにも段々があるんで」の直前に、こんなセリフがある。「市岡よ、おまえ『杯』言うモンを軽うみとりゃせんか?    牛のクソにも段々があるんで! オドレとワシとは五寸かい!!」 こう宣って、“宍戸”大友は大暴れするんだけれど、この「『杯』言うモンを軽うみとりゃせんか?」の言い回しを使うならば、「昨今の邦画よ、お前ら『タイムトラベル』言うモンを軽うみとりゃせんか?」って思いなのだ。

 

 

 「タイムトラベル」とは、SF設定の中でも極めて「絵空事」に近い、言うなれば説得力の無い設定だ。それ故、この「絵空事」を劇中に持ち込むためには、極めて高度な、そしてよくひねった“ハッタリ”が必要だったりする。最近観た映画でも、『夏への扉』『サマーフィルムにのって』そして今回の『劇場版ルパンの娘』が、皆タイムトラベルが“肝”の映画だったが、その中でも、『夏への扉』はそれでもタイムマシンに一生懸命信憑性を持たせる演出がされていたし、『サマーフィルム~』の方は、未来人という“ズルい”設定で、力ずくで観客にタイムトラベルを認めさせた感があった。翻って、この『ルパンの娘』では、天才発明家の兄が開発したとさらりと流している。でも、ノーベル賞どころではない世紀の大発明を、こんな短期間で開発し、かつ何の臆面もなく使用する、ってのはいくら何でも安直すぎるのではないか。もしかしたら、ドラマシリーズの段階で、そんなハチャメチャな設定だったのかもしれないけれど、なんか雑というか無理さを感じたね。

 

 しかもそのタイムトラベルを駆使しても、(いつもの「タイムトラベル」モノの“お約束”かもしれないが)、結局歴史を動かすことは出来ず、タイムトラベルしたメンバーは、ことの成り行きを只見守るしかない。そしてタイムトラベルしてまで手に入れた情報は、別に時空を超えなくても得られそうなモノばかり(華の出生の秘密さえ)で、なんだかタイムトラベルモノの表層をかすった程度の重要度だった感が否めなかった。これは『サマーフィルムにのって』でも感じたが、こんな嘘くさいSF設定を入れるより、もっと地に足の着いた物語にしてほしかったな。実写による怪盗一家の物語ながら、アニメの『ルパン三世』を遙かに凌駕する荒唐無稽ぶりだったもの。

 

 映画全般に感じたのは、ハリウッド映画へのオマージュ。タイムマシンは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンそのものだったし、玲の容姿&境遇はホアキン・フェニックスの『JOKER』の世界観だった。それでいて城のシーンは『カリオストロの城』に雰囲気だったし、華の娘の動きは『鬼滅の刃』の炭次郎を彷彿させるなど、いろんな映画がない交ぜに絡んだような作品だった。探偵一家役の橋本環奈はえらく可愛かったな(;^_^A  讀賣ファンを公言して、広島の大手スーパー「ゆめタウン」のCMから降ろされちゃったようだけど、逆に全国区のCMやテレビ・映画に頻繁に出られるようになったのは“讀賣効果”かな(;^_^A

 

 それにしても、年齢を考えれば頷けるんだけど、もう深キョンも母親役が似合う女優になったんだ なぁって別の意味で感心(;^_^A  でも本来は、このようなかっこいいアクションを披露できる企画って、貴重なんだよなぁ(;^_^A  あ、そういえば、我らが藤岡弘、御大も出演してたんだよ!  それもクライマックスは大立ち回りを演じて!!(^^)