神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『海辺の映画館-キネマの玉手箱』~声高且つストレートな平和の希求を映画にこめて~

 かの『異人たちとの夏』を大林宣彦監督のトークショーも交えて広島映像文化ライブラリーで観賞した翌々日の昨日、今度は“約束の地”NTTクレドホールにて、「広島国際映画祭2019」のトリを務める、大林宣彦監督の最新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』を観賞してきた。もちろん上映後の大林監督のトークイベントも見聞するために。

 

 

 

 さて、先週末の横川シネマ!!「松竹アクション傑作選」で開催されたトークショーの中で、奥山和由プロデューサー自身が「何だか分からないが兎に角素晴らしい作品」と絶賛していただけあって(あの時の言葉が、本作を観賞する最大のきっかけになった!)、今回の上映を心待ちにしていたんだけど、実際観賞ししてみると『海辺の映画館-キネマの玉手箱』はその愛くるしいタイトルとは裏腹に、3時間余りの長尺の中に監督の反戦への思いが愚直なまでにストレート且つ強烈に描かれた、全編パワーみなぎる渾身の作品だった。

 

 物語は、閉館を迎えた尾道の老舗映画館が、最後に戦争映画のオールナイト上映を行うことになり、そこに集まった観客の中の3人の男が、映画の世界に飲み込まれたセーラー服姿の謎の少女・希子を救い出すべく、同様に映画の世界に飲み込まれていき、映画で描かれた数多の戦争シーンの中から彼女を捜し求める。それも「龍馬暗殺」「戊辰戦争」「西南の役」「日中戦争沖縄戦の悲劇」そして「原爆投下直前の廣嶋」に至るまで、時系列もぐちゃぐちゃに、それでも大河ドラマの如く展開していく。劇中、希子は「近藤勇に仕える女中」「八路軍民兵を親に持つ中国人娘」「女郎屋の小娘」「沖縄の娘」そして「『さくら隊』のメンバー」と目まぐるしく立場が移り変わっていき、3人の男たちも侍だったり兵隊だったり学生だったり、と、シチュエーション毎に様変わりし、常に戦場の渦中で戦乱のうねりに翻弄されていく。そこら辺りがあまりにも激しい展開なので、最初はそれについて行くのが精一杯で、内容が飲み込めてきたのは「沖縄編」辺りだったかな……

 

 しかも、これは一緒に観賞していた方が指摘していたことなんだけど、反戦を訴えつつ、その手段としての戦闘シーンがダイナミックに描かれているパラドックスに満ちた映画で、事実3人が中国人娘(希子)を助けて日本軍・八路軍双方から追われる銃撃戦の妙や、戊辰戦争における「娘子隊」の官軍との戦闘シーンなど、まさにアクション映画さながら。とりわけ「娘子隊」の場面で、成海璃子が長刀持って戦う姿は良質のヒロインアクションに見えてしまうから不思議だ。成海璃子といえば、「女郎」編での主人公の男の一人とのラブロマンスが儚くて泣けてくる演技だった。しかもその結果処女を失い、売り物にならないと女郎屋でSM紛いの激しいリンチを受けるなど、彼女の持つ清純なイメージからかけ離れた体当たり演技を披露してくれた。彼女は『少女たちの羅針盤』で広島県福山市ロケにも来てるし、ある種「広島ゆかり」の女優さんだ。そういえば彼女と、近年の大林監督の“ミューズ”といえる常盤貴子が、希子も交えて、劇中役柄を変えながら何度も何度も出演しているところも本作の特徴だった。

 

 それにしても、本作を観て、今まで「日中戦争での蛮行」と「沖縄戦」と「原爆」を同一軸で描いた作品があっただろうか、なんてふと思ってしまった。日本の“加害”である「日中戦争」と、“加害”と“被害”がクロスオーバーする「沖縄戦」、そして“被害”の側面が色濃い「原爆投下」を同じ次元で描いてこそ、胸を張って世界に反戦平和を訴えられるのではないか。そんな点で本作の中で刺激的な実験が成された、と思ったね。そんな中、好々爺のイメージしか沸かない笹野高史が、「沖縄戦」編でウチナーの人々を“口減らし”と称して片っ端から殺し、且つ女性をバンバン犯しまくる鬼畜のようなヤマトの日本軍人を演じていたのが衝撃的だったよ。これは『胎児が密猟する時』の山谷初男に匹敵するくらいの豹変演技だったな(;^_^A

 

 クライマックスの「原爆投下直前の廣嶋」におけるサスペンスフルな展開には舌を巻いた。ここで3人は「さくら隊」と遭遇。しかもその時が1945年の8月の廣嶋と知ってから、何とか彼女らを被曝の惨禍から救おうと涙ぐましい抵抗を試みる。これがタランティーノ監督ならば、『イングロリアル・バスターズ』のヒットラーしかり、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のシャロン・テートしかり、“歴史修正”しちゃうんだろうけど、戦争の悲劇を訴えたい大林監督がそんな裏技をするわけもなく、結局「さくら隊」の一員となっていた希子だけを何とか始発の列車で福山に向かわせることに成功する。しかしそれと入れ替わるように今度は“本物”の希子がセーラー服姿で8月6日の廣嶋に訪れ、3人の一人と映画館以来の再会を果たすが、その刹那廣嶋に投下された原子爆弾は炸裂する。そこで彼女の正体は、かの原爆の熱戦と閃光で階段に焼き付けられた「人間の影」であることが明かされる。彼女の存在(正体)もそうだが、この過程で、それまでバラバラのようにみえた各エピソードが繊細に繋がり合っていく構成の妙には圧倒された。ちなみに、個人的には、吉田玲演じる希子がセーラー服着て福本渡船に乗る姿が『さびしんぼう』の富田靖子を彷彿させて、それだけで胸がいっぱいになってしまったなぁ(;^_^A

 

 ところでこの作品において、前半の「龍馬暗殺」「戊辰戦争」「西南の役」といった維新前後の件では、「長州」が執拗にヒールのように言及されている。確かに維新の激動期に土佐は龍馬と中岡を暗殺で失い、薩摩の大久保も暗殺、西郷は逆賊の汚名を着て自害と、当時の世はいつの間にか長州の天下となった。伊藤は後にハルピンで暗殺されたが、それ以外の表だった長州の要人は健在だった。それに対して大林監督は“陰謀説”まで匂わせるが、この徹底ぶりは、その「長州」出身の、日本を戦前の国家にしようと画策する為政者に対する当てつけのように思えてならない。そうなると、ダウンタウンの松本を始め所属芸人に為政者の“メシ友”を抱える吉本興業がよく本作に出資したな、なんて思ってしまう。もしかしたら完成品を観て頭を抱えてるんじゃないかな。

 

 そうは言うものの、流石に3時間の長尺は長かった。奥山プロデューサーは、ツイッターでこれは特別編で、4月からの公開版は2時間程度の尺、って言及しているようだ。それはそれで良いと思うけど、もしそうなった場合もこの長尺版はDVDか何かで観賞可能な状況を造ってほしいな。

 

 兎に角、声高な反戦思想に包まれた本作。これも戦争体験をしている世代だからこそ描ける作品だと思う。それ故、若い世代も、語り部から戦争体験を聞かせてもらう思いで、是非本作を観てほしいと願ったね。

 

もう新聞などで解禁になったようで……“TT”こと常盤貴子も主演の吉田玲も上映に華を添えていました(^^)