神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

デジタル媒体は諸刃の剣

 スマホどころか“携帯電話デビュー”すらまだの私にとって「LINE」はまだ未知の世界である(;^_^A それ故、連絡には専ら電子メールを重用している。

 

 映画製作は「集団作業」なんで、お互いの連絡は欠かせない。かつては電話がその唯一の手段で、昭和の頃は頻繁に電話を使って(もちろん固定電話で)スタッフキャストとコミュニケーションを撮ってきた。それだけに、この「電子メール」という存在は画期的だった。実は今でも電話を使って顔も見えない相手とリアルタイムで連絡を取り合うのは苦手なもんで、こちらの要件を一方的に伝えられ、且つ相手を時間的に拘束する必要もない電子メールというものは非常に有難かった。

 

初めて使った電子メールはoutlookだったよ(;^_^A

 

 ただ昨今は、みなメールの受信媒体が携帯電話もしくはスマホになっているので、PCを立ち上げた時しかメールチェックをしない私のような人間は、非常に扱いにくい存在となってしまっているようだ。確かにみなこちらから送信したメールを、よほどのことがない限り瞬時に開いてくれるわけだから、同様のことを私に求めるのは当然だ。それ故心苦しい部分もある。

 

 ラインに関しては、それに似たような機能がFacebookメッセンジャーなどにあって、それも活用しているが、これまた外出中にはPCを一切開けないので、メールとさほど変わらない。一昔前までは私のような者は多くいたと思うが、今やすっかりマイノリティー。だからといってスマホ所持を強要されるのは、自分の信条もあって抵抗はあるが、その信条で、特に映画の現場ではスタッフに多大の迷惑と尽力を強要しているのも、逆に心苦しく思っている。まあ、いつかは所持しなければいけないと考えてはいるけど………

 

 それと、生のやり取りをしなくてもいい気安さが、逆に自分の思いをストレートに表現してしまう危うさも、電子メールにはある。当然ながらメールは文字の羅列のみ。少なくとも、直接面と向かっての会話や、電話でのやり取りさえ、そこに生の表情や声が介在しているので、各々の言葉をどのようなニュアンスで発しているのかをうかがうことが出来る。それに対して、無機質な言葉の羅列には、その意図も感情も計り知れない、ただただその言葉から読み取れる情報しかない。それ故、一つ一つの文言がそのまんま相手に自分にストレートに響いてしまう。「ああ、そんなつもりじゃなかったのに」なんてことは通用しない。だからこそ、文面は極めて慎重に言葉を選んで送信することにしている。

 

 同じようなことは、メールのみならず、このブログや日記といったSNSにも言えることで、私も何度か思いのままに書きなぐってしまった文面に、お叱りの返信をいただき、後になって深く反省することもしばしばあった。

 

 メールにしてもブログにしても、自分のタイミングで、自分の思いのままに主義主張が出来る手軽さがあるが、翻って、その一方的な吐露を日本語を理解できる世界中の人々に晒されている恐ろしさもある。こんなこと、当たり前すぎる話だ。

 

 それ故、メール・ブログへの記述に際しては細心の注意を払わなければいけないだろう………ってうまくまとめたいけれど、そう“綺麗事”のようにはいかないわが心の狭量さを呪うのみであるヾ(- -;)ヾ(- -;)

 

 というわけで、今日は「電子メールの日」なんだそうだ。