神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

1983年のカンヌに思いを馳せる………

 かの『スケバン刑事』が放映される2年前の1983年、今村昌平監督作品『楢山節考』が、カンヌ映画祭パルム・ドールを獲得した。本来ならばあのカンヌで邦画がグランプリを獲ったんだから手放しで喜んでもよさそうなものだったが、当時の日本人の多くがこの結果に戸惑いを感じたものだった。それというのも、当時同じ映画祭に出品された大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』こそパルム・ドールの本命といわれていたからだ。

 

 邦画といっても日本を含む4か国の合作映画だったが、それ故出演者もデウィッド・ボウイ(セリアズ)、トム・コンティ(ロレンス)と国際色豊かで、日本側の主演も世界的名声を誇る“教授”こと坂本龍一に、本作がきっかけか、後に映画監督としても名をはせるビートたけし(北野たけし)と、今考えてもなかなかの布陣。確かまだ若かりし頃の原田知世が「感動した!」と雑誌のインタビューでいってたっけ(;^_^A 作品内容も戦時中の極限化における倒錯を描くという、後に撮る『御法度』にも通ずるテーマ性を持ちながら、クライマックスはしっかり泣かせるという王道演出が光っていた。

 

 

 それに引き換え『楢山節考』の方は、未見ながら日本独特の「姥捨て」をテーマにした、いかにもな作品で、洗練された『戦メリ』には到底勝ち目がない、って思っていたし、それが妥当だとも思っていた。それが土壇場で『戦めり』をうっやってパルム・ドールを奪取したものだから驚いてしまった。「へえ、そんなに海外の審査員は日本の土着性に惹かれるのか」なんてうがった見方をしてしまったものだった。

 

 

 それが最近になって、日下部五朗著「シネマの極道 映画プロデューサー一代』の冒頭を読んで、その考え方は少し改まった。『楢山節考』のプロデューサーを務めた日下部氏は、実際にカンヌについて、マスメディアをはじめ皆『戦メリ』推しでハナから『楢山節考』は眼中にないかのごとき“完全アウェイ”状態から、必死に草の根的なロビー活動を展開し、何とか試写にそれなりの人員を動員し、公平な視点で両作品を審査してもらうように仕向ける涙ぐましい努力をしたのだそうだ。勿論彼の視点で書かれているという点を差し引いても、当時いかに『戦メリ』ばかりが持ち上げられていたかがうかがい知れて、初めて『楢山節考』の当時のパルム・ドール獲得を祝福する気になった。

 

 

 しかしながら、同時期に読んだ梶芽衣子著の「真実」の中で、もともと彼女が自分主演を希望して持ち込んだ『鬼龍院花子の生涯』の企画を、日下部氏が彼女に断りなく勝手に夏目雅子主演で映画化してしまった点を指摘していて、それに対して当の日下部氏は明確な返答をしないままでいることを知った。しかもどうも梶芽衣子の言い分の方に正統性があるようなので、『楢山節考』の記述では好意を持った彼の著の続きを読む気が失せて、そのまま今日に至ってしまっている。

 

 もっとも、「シネマの極道」を読んだことで、『楢山節考』に対する考え方が改まったのは事実で、かなりの感動作みたいなんで、いつかは観賞したい、という欲求が芽生えたのは事実だ。そんな『楢山節考』で、日下部氏と共にカンヌに乗り込み、共に涙ぐましいまでにロビー活動に勤しんだ坂本スミ子の訃報をこの度知った。かの著を読んだ後なんで、やはり感慨に耽ってしまう。私の坂本スミ子像は、短髪で眼鏡をかけたオバチャン。、それでいてエネルギッシュでまくしたてるような語り口の女優だったと認識している。おそらく当時のカンヌは、彼女にとって一世一代の晴れ舞台だったと思う。もっともその帰国直後に「大麻取締法違反」で捕まってしまうなど、ある意味「運のない」人だったのかもしれない。


 件の日下部五朗氏も今や世になく、彼女の息子役で主演を務めた緒形拳も鬼籍に入って久しい。対する『戦メリ』の大島渚監督もデウィッド・ボウイも既に天に召された。天国では仲良く、当時の思い出話に花を咲かせてほしい………合掌

 

坂本スミ子さん死去、84歳 ヒット曲「夜が明けて」や映画「楢山節考
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