神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「自分のすることを愛せ」~by『ニュー・シネマ・パラダイス』~

 初の“ディレクターズ・カット版”とはなったが、久しぶりに『ニュー・シネマ・パラダイス』を観賞して、思いがけず、実に素晴らしいセリフに出会えた。

 

 これは、劇中、青年となったトト(サルヴァトーレ)が、エレナとのすれ違いによる失恋の果てに、父のように慕う盲目の元映写技師・アルフレードの勧めで、故郷のシチリア島の村を離れてローマに旅立つ際、アルフレードからかけられる、

 

「自分のすることを愛せ」

 

という言葉だ。このセリフを聴いた(知った)瞬間、石弓にでも弾かれたような(by『羅生門』)、衝撃という感動を覚えた。それこそこのセリフだけで感涙にむせびそうなくらい……(;^_^A

 

 

 このセリフには、アルフレードのトトに対する限りない慈愛に満ちている。確かにこの時、トトはエレナとの狂おしいまでの恋愛の果てに、唐突に挫折を味わう。それまでの彼の感情が痛々しいまでに描かれていただけに、その絶望感は観ていて手に取るようにわかる。だからアルフレードの意見に従いながら、彼は逃げるように故郷の村を後にする。それ故、アルフレードの言葉は、そんなトトの心の迷いを払拭させてくれるばかりでなく、彼の前途の全てを肯定してやろうというアルフレードの愛情を感じさせる名セリフだ。もし最も信頼でき且つ慕う相手から、このような子k賭場をかけられたら、どんなに幸せだろう。たとえそれが、かの『追想』で、復讐鬼と化してナチの兵士を次々謀殺し、挙句ナチの将校を火炎放射器で鏡越しに焼き殺したフィリップ・ノワレが演じたアルフレードだとしても(;^_^A

 

  

 

 自分の生き方に自信が持てないと、時として自分の行動の全てを否定してしまいがちである。「こんなことして何になる」とか「自分のやっていることは間違っていないか」などど考えてしまうこともしばしばである。しかし、本当のところ、法に触れることや他者を傷つけたり迷惑をかけたりすることでない限り、己の望むことを行うことに何も問題はない。他方、それには誰かの評価を自然に求めてしまうからこそ、その評価に一喜一憂したり、また評価を恐れた挙句、自分のすることが「愛せなく」なってしまうのである。

 

 私も個人的には映画を撮っていて、トトもやがてローマで映画監督となる。そんなわけで、インディーズ監督ぶぜいながら、とこか彼に共感を覚えるのである(;^_^A  映画を撮っていれば、当然常に評価を意識してしまう。そしてそんな評価はなかなか得られないものだ。当然当初は、彼も挫折感に苛まれたことであろう。でも、そんな彼にとって、アルフレードの「自分のすることを愛せ」は、どれだけ心の拠り所になったことだろう。否、映画のみならず、その後の彼の人生にとって、どれだけ支えになったことだろう。

 

 この言葉は、要は「自分を信じろ」ってことなんだろうけど、とかく「自分を信じる(=自信)」って、言うは易きだが結構高いハードルだ。しかし「自分のすること」を「愛する」ことなら出来る。もし、そこまで慮ってこのセリフをアルフレードに言わせたのであれば、脚本も務めたジュゼッペ・トルナトーレ監督の慧眼の素晴らしさを称えるしかない。個人的には若くして父親を失い、また“父のように思慕する”ような年配男性に巡り合えなかった身としては、とても羨ましいシーンだし、もし同じようなシチュエーションに出会えたならば、もっと違った人生が歩めたんじゃないか、ってちょっぴり妄想してしまう(;^_^A

 

 でも、せっかくこんな名台詞に出会えたんだから、今はしんどい生活が続いているけど、今後仕掛けていくであろう「自分のすること」を、せめて自分だけでも「愛して」、少しでも前向きに生きていきたいと思う。