神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

2020年の掉尾に“2020年”を観た!

 今から10年前の2010年に、その年がタイトルになった『2010年』を観賞した。実は、かつて2001年を迎えた際、「本年中に絶対『2001年宇宙の旅』を観賞して“リアル2001年”を体験してやるんだ」と息まいたものの、折角DVDも持っていたのに、ついうっかり観そびれてしまった。そこで10年後の2010年にはその轍を踏むまいと、今度こそ年に合わせて『2001年~』の続編である『2010年』は必ず観ようと、早くから心に誓っていた。しかしながら、その作品はDVDレンタルショップになく、結局12月ギリギリにネット通販で作品を購入して、何とか“リアル2010年”観賞を実現した。

 

 そして、それから更に10年が経過した、もうすぐ終わろうとしている今年2020年には、やはり『ウルトラQ』第19話「2020年の挑戦」を観ておこうと思い立った。今年、やたらと「挑戦」って書いたのも、本作の存在があってのことだった。

 

 さて、今回は趣向を変えて、本来モノクロ作品である本作を、カラーライズ版で観賞した。勿論初めての試みである。あいにく本作は夜間シーンが多く、カラーライズの効果がいささか出にくい作品ではあるが、それでも実に新鮮に観賞させてもらった。

 

 

 齢500歳を数えるようになった未来の異星人ケムール人は、己の老朽化した肉体から、地球人の若い肉体に転移するべく、肉体の確保に2020年の未来から1965年の日本にやってくる。彼らは可燃性の謎の液体(『美女と液体人間』のような感じのもの)を使って、人間を次から次に消失させケムール星に転送していく。その魔手は、ついに主人公の万城目淳(佐原健二)にまで及んでしまった。一連の事件の目撃者でもある江戸川由利子(桜井浩子)に警視庁は敏腕刑事の宇田川(柳谷寛)を護衛をつけるものの、一瞬の隙をつかれて、由利子は行方不明になってしまう。宇田川の親友にして、今回の一件を小説『2020年の挑戦』したためた神田は、これはフィクションではなく、実際にケムール人との交信によって知った事実であると訴えたが、誰にも信じてもらえずキ〇〇イ病院に叩き込まれる羽目に(劇中本当にそんな台詞が出てくる)。彼の存在を知った一平(西城康彦)と、万城目の友人で航空自衛隊の幹部・天野は、早速退院した神田の下に向かうが、時すでに遅く、彼は消失の憂き目に遭っていた。しかし2人がそこで見つけたダイオードは、ケムール人撃退の決め手となる。

 

 

 

 

 その頃、意識を取り戻した由利子の許に、行方不明になったはずの万城目が現れる。しかしそれはすぐにケムール人の変装だと気づく。そこからケムール人と人類との攻防となるが、警官の銃弾に一度は倒れたはずのケムール人も、それがきっかけで50メートルほどの身長となり、目の前の遊園地で暴れまわる。しかし、一平と天野が神田の部屋で発見したダイオードを使って東京タワーに仕掛けたXチャンネル光波によって、ケムール人は悶絶の果てに消滅してしまう。

 

 

 変な話だが、本作では「これでは地上波放送は無理だろう」ってくらい放送禁止用語が飛び交っていた。これも「2020年」と謳いながらも1960年代当時の世相を感じさせる。それにしても、カラーライズされたのを観たからかもしれないが、着ぐるみとミニチュアによる、今となってはアナログ特撮ながら、30分のテレビドラマとしては信じられないくらい手の込んだ緻密な特撮であると改めて思い知らされた。まさに当時の好景気を象徴するような作りである。

 

 当時とは裏腹に、新型コロナウイルス禍によって経済が停滞してしまった今の世の中で本作を観賞すると、様々な感慨に包まれる。それこそ、ケムール人による「2020年の挑戦」とは、彼らが放った未知の新型コロナウイルス蔓延による人類滅亡だったのか、って思うくらいだ。そうなると、この物語は多いなる予言の作品であったといえることになる。脚本を務めた故・金城哲夫氏は、果たして今日の事態を知ったらどう思うだろう………