神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「映画愛」というベクトル故…… 『ニュー・シネマ・パラダイス』再考

 この度初めて『ニュー・シネマ・パラダイス ディレクターズ・カット版』を観た。今まで観てきたバージョンよりも51分も尺が長い、3時間近くもあるかなりの長編になっている。

 

※以後は既に『ニュー・シネマ・パラダイス』をご覧になっていることを前提に書きますので、細かなネタバレはご容赦を……

 

 『ニュー・シネマ・パラダイス』といえば、“涙腺のスイッチ”が至る所に仕掛けられた作品だ。とはいっても、角川春樹監督のように、緻密に計算された仕掛け、というよりも、『ルパン三世カリオストロの城』に近い、じわ~っとこみあげてくるような演出だ。中でも、父のように慕っていた元映写技師・アルフレードの死を知った、主人公の著名な映画監督となったサルヴァトーレが、30年ぶりに故郷の村に帰ってきてから以降、ラストに至るまでの展開が、延々“涙腺のスイッチ”のリレーになっていて、波のように涙がこみあげてくる。葬列の中、サルヴァトーレ(トト)がアルフレードの妻から彼からいかに思慕されていたかを聞かされるシーン、母との語らいのシーン、多くの懐かしい面々との再会、とりわけパラダイス座支配人・スパッカフィーコとのつかの間の会話のシーン、そして遂に解体されるパラダイス座のシーン、といった場面の一つ一つがわが胸を打つ。そして、ラストの、アルフレードが託した古びたフィルムをサルヴァトーレが試写室で観賞するシーンの、司祭の“検閲”によって失われていた、アルフレードとの思い出が詰まった数多の当時の映画群のキス・ラビシーンの“洪水”に「まんまとしてやられた!」との思いと感動の渦で、気持ちよい涙を流させてくれる。何度も何度も観、そして暗記するくらいそれらのシーンもセリフも覚えているのに、あたかも“パブロフの犬”の如く、気が付けば涙を流してしまうのでる。

 

 

 今回の『~ディレクターズ・カット版』観賞時も、当然ながらあのエンリオ・モリコーネの旋律がこれでもかと流れる中、サルヴァトーレが飛行機でシチリア島に降り立って以降、葬列のシーンに至るまで、我が涙腺は緩みっぱなしだったが、今回初見となった、彼がかつて狂おしいまでに愛し合ったエレナとそっくりの女性を見つけ、やがてその母親となっていたエレナと再会する一連のシーンを観ているうちに、いつの間にか涙は引いてしまった。劇場版では、青春期のいたりのようにサイドストーリー的に描かれていた、青年期のサルヴァトーレとエレナとの恋愛の後日談が、実はもともと撮影されていて、それが「ディレクターズ・カット版」で復活したわけなんだけれど、この実に感動的な場面であるはずの一連のシーンが、何だか作品世界のいい流れを削いでしまった感が否めないのである。

 

 「劇場版」でも、天真爛漫な幼少期のトト、映画監督として成功しすっかり老成しながら、それ故故郷のシーンで時折魅せる当時の面影が秀逸だった中年期のサルヴァトーレに対し、青年期の彼は、どちらかといえは恋愛に溺れ且つ怯え、不器用な姿を露呈していて、観ていて何とも痛々しかった。故郷でエレナとの再会を予感させ始めてからのサルヴァトーレは、まるでその青年期の彼が乗り移ったかのように、急におどおどしながら、それでいてストーカーまがいの行為の果てにエレナの居場所を探り当て、彼女に不器用な電話をかける。本来ならば、故郷のシーンは、齢を重ねて成長したサルヴァトーレの眼を通して、時の流れをいやがうえにも感じさせながら、同時に郷愁を情感たっぷりに描きながら流れていくところに感動があったのに、この青年に戻ったかのようなサルヴァトーレの姿は、それまでの“郷愁”の念に、結果掉を指してしまったような気がする。

 

 

 ストーリーとしては、中盤の謎であったエレナとのすれ違いの理由が明確化され、夢のような再会で二人の思いが成就する(とはいってもサルヴァトーレはその後も未練たらたらだったけど……)から、ぞんな意味では幸せな場面なんだけど、本作を「限りない映画愛」というベクトルで考えた場合、ちょっとこの一連のシーンは異質な感じがした。

 

 本作は当初、この「ディレクターズ・カット版」に近い形で本国公開され、興行的に振るわなかったため、現行の「劇場版」に再編集(短縮)され、国際的に高い評価を挙げてヒットしたと聞く。この再編集は監督自らが行ったというが、一度完成された作品を再編集するのは、監督にとっても断腸の思いだっただろう。しかし、今回両編集版を見比べて感じたのは、時としてそんな再編集が、逆に功を奏することもあるのだということ。確かに「ディレクターズ・カット版」でエレナとの愛の決着を見届けられたのはよかったが、次どちらが観たいか、っていったら、やはり「劇場版」だと答えてしまいそうだ。

 

 そう考えると、再編集に踏み切ったプロデューサーも監督自身も先見の明があったといえるかもしれない。