神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

NPB2リーグ分裂時の2つの「P」球団

 新型コロナウイルスの影響で、今年のNPBは日本シリーズを含め、先月下旬の11月25日まで続いた。それもソフトバンクが圧倒的な“力業”で讀賣を4タテでねじ伏せたからこの日に終わったわけで、もし第7戦までもつれ込んでいたら、それこそ12月直前の29日まで試合が続いたことになった。いくら双方ともドーム球場を使うからといって、もしその上2試合でも引き分けになろうものならば、師走までプロ野球、なんて事態にもなりかねなかったよ(;^_^A

 

 さて、今回のシリーズ1、2戦の舞台になった“大阪ドーム(京セラドーム大阪)”に、かの大阪近鉄地元最終戦観賞に訪れた際、記念にドームロビーに飾られたオブジェを片っ端からカメラに収めたんだけど、その中に、1950年の近鉄球団創立時のニックネーム「パールズ」時代のユニフォームが飾られていた。

 

 

 そもそも、球団創設時に、近鉄電車の路線が伊勢志摩にも伸びていることから、当地の名産品「真珠」(=パール)をニックネームにした、というのがいきさつだ。何ともお上品なニックネームである。だが、創立後しばらく低迷てしまい、「そもそも“パールズ”なんて可愛らしいニックネームなんかつけてるから勝てないんだ」とばかりに、讀賣で「猛牛」と呼ばれた闘将・千葉茂を監督に招聘した際、彼の名にちなんで球団名を「バッファロー」に改名、やがて「バファローズ」として、近鉄球団消滅まで、そして合併球団の新たなニックネームとして、現在も受け継がれている。もっとも、“真珠”から”猛牛”なんて、その落差は実に甚だしい(;^_^A

 

 ところで、件の「近鉄パールズ」は、ホームのキャップに「P]のアルファベットがあしらわれていたが(ビジターはKとPの合わせマーク)、同様にキャップにPのマークをあしらった球団が、1950年の2リーグ分裂時にもう一球団あった。その名も「西日本パイレーツ」。僅か1年で消滅の憂き目に遭った“幻の球団”である。

 

 

 そもそも親会社の西日本新聞は、地元に誕生した西鉄クリッパーズの共同経営者になる予定だったが、自社の全国紙の九州販拡のためには巨人と対戦するセントラルの球団が九州にほしいと考えた讀賣新聞社の強硬な働きかけによって、単独の球団運営を余儀なくされてしまった。そして誕生したのが「西日本パイレーツ」である。しかし、そんなにわか仕立ての球団故、すぐに運営は逼迫し、結局一年限りで解散。めぼしい選手は讀賣に横取りされ、残った選手は西鉄球団に移籍し、それがきっかけで、西鉄も球団名を「クリッパーズ」から「ライオンズ」に改め、その末裔である「埼玉西武ライオンズ」までそのニックネームは継承されている。

 

 両球団に共通するのは、一度も「日本一」を経験しないまま消滅したことと、親会社に振り回された挙句の消滅という点だ。それにしても、2リーグ創成期に二つの「P」球団が存在し、その双方が消滅や球団名変更によって、その「P」を短命に終わらせたことは、何とも興味深い。

 

 そういえば、「西日本パイレーツ」の歴史を知ってか知らずか、江口寿史氏の傑作野球漫画『すすめパイレーツ』に「千葉パイレーツ」なる球団が登場することの影響からか、ロッテオリオンズ川崎球場から現在の千葉マリンスタジアム(ZOZOマリン?)にフランチャイズを移転する際、公募した新ニックネームの中でも「パイレーツ」がダントツ人気だったらしい(;^_^A