神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

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「近鉄球団」は死して「パシフィックリーグ」を留め「バファローズ」の名を残す

 

 先の日本シリーズで、圧倒的な強さを発揮して讀賣球団を凌駕した福岡ソフトバンクホークス。その圧倒的な勝ちっぷりに、セントラルとパシフィックの力の違いを指摘するコラムも多く読んだ。

 

 そんなパシフィックリーグも、かの2004年の“球団再編騒動”時には、正直なところ、その消滅を覚悟していた。既存球団の近鉄バファローズとオりックスブルーウェーブが合併するなどという非常識極まりない報道が巷を席巻したのは、確かその年の5月か6月だったと思う。それからあれよあれよという間に「パシフィックリーグ消滅」が既成事実の如く報道され、その年のオールスターは「これが最後」って雰囲気で開催された。そんな中、一矢報いてくれたのが、ヒーローインタビューで「これからはパリーグです!」と大いに語ってくれた日ハム・新庄剛志と、いきなり近鉄球団の買収に乗り出した当時ライブドア社長の堀江貴文だった。結局“ホリエモン”の近鉄買収も、新球団「仙台ライブドアフェニックス」もNPBの黒い野望によって叶わなかったが、彼の“傾奇者”といっていい行動がなければ、そして威勢のいい新庄の言動がなければ、間違いなくあの年にNPBは1リーグになっていたかと思うと、今の彼らの現状は差し置いても、「パシフィックリーグ」の恩人と、深く感謝する次第である。

 

 

 それ以来、今まで「人気のセ、実力のパ」と、半ば讀賣人気のセに叶わないと拗ねていたパシフィック各球団の“企業努力”にとって、地域密着の姿勢と共に、地上波讀賣球団全国ネットTV中継が悉くなくなったセントラルを人気・実力両面で確実に凌駕するようになった。何といっても各球団が「運命共同体」としていい意味で切磋琢磨しているところがいい。もっとも、昭和の時代にも、日本シリーズクラウンライターライオンズの応援団がスタンドでクラウンの旗を振って応援していたなど、その伝統は昔からあったんだけどね(;^_^A そこら辺りがセントラルとの決定的違いだろう。

 

 書道の級を持つ家内が、かつて書いてくれたパシフィックリーグ親会社の変遷一覧(;^_^A

 

 しかしながら、その代償として、1975年の後期優勝以来応援してきた、そして1976・1977・1981・1983と大阪まで旅行しフランチャイズ日本生命球場で応援しに行った大阪近鉄バファローズが消滅してしまったことは、今なお悔やまれる。もっとも、その球団名「バファローズ」の名は、たとえ“合併球団”とはいえ、図らずもオリックス球団のニックネームとして未だ残っている。近鉄バファローズとしての日本一は叶わなかったが、「オリックスバファローズ」として、2010年のセパ交流戦では「日本一」を実現できた。

 

 「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」という諺があるが、差し詰め「近鉄球団は死して『パシフィックリーグ』を留め『バファローズ』の名を残す」っていったところだろうか(;^_^A