神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

思い出のドルトムント電車

 昨日8月22日は「チンチン電車の日」ってことを知った。そこで普段からリアルタイムでかかわりのあるチンチン電車路面電車)への思いを少々……

 

 広島に住む者にとって、路面電車は身近な存在だ。とかく「原爆」「ヤクザ」(そして最近は「KAWAI」(# ゚Д゚)のような「負」のイメージの象徴がある広島にとって、路面電車カープやサンフィレッチェ、宮島、お好み焼き(“広島風”という表現を広島人は好まない!)といった、いい意味での象徴の一つだ。これは多少うがった見識かもしれないが、全国に未だ多くの路面電車が走っていながら、映画・ドラマなどの冒頭で路面電車が登場すれば、それが広島を表すアイコンになっているような気がする。ましてや「チンチン電車」という呼び方をすれば、ますますそんな気がしてしまう。

  

 そんな「チンチン電車」の思い出として強烈なのが、何といっても『西部警察』「広島市街パニック」における、広電宮島口付近での電車爆破に尽きる! 平和都市を標榜する広島市で“パニック”を起こすという企画者の豪胆ぶりには今更ながらあきれ返るが(いい意味でですよ(;^_^A)、路面電車をジャックして逃走する、という広島に特化した(要は宮島線という逃走劇にはうってつけの長い路線がある)アイディアのすばらしさに舌を巻いたものだった。それも、今ならばCG合成でお茶の濁すことができるが、当時それをミニチュアではなく実際の路面電車を爆破することによって表現するという、まさに映画のようなド派手なシーンを演出したことは、破壊された電車は可愛そうだが、広島人として誇らしい思いだったよ(;^_^A  まあ、実際宮島線には連接車両しか走らないので、単体の俗にいう「チンチン電車」があの時のように走行することは普通ではありえないんだけど、それ故、緊急事態感は出ていたかな?

 

 ここまでは多くの方が同様の意見を持たれると思うので、ここからは極めてパーソナルな話題を……1986年に広島に帰省し、その夏に帰って初めて撮ったのが、『いつも見ていたヒロシマ』という、反核平和をテーマにした8ミリ映画。物語は、広島へ路面電車の撮影で訪れた高校生が、不思議な少女と出会い、彼女に導かれるままに、路面電車廿日市・地御前の浜へ向かう、という内容だったんだけど、当然劇中、2人が路面電車に乗る、というシーンが出てくる。ご察しの通り、その少女ってのが被爆死した女学生の亡霊って設定なんだけど、そこで彼女が乗車時に戸惑い、それで謎解きのきっかけにさせようと、敢えて昔の路面電車らしからぬ車両を登場させようと思った。それを当時、ドイツのドルトムントから一両だけやってきた電車にしようと考えて、実際に台本の中にも登場させた。しかし一台しかない車両故、それがちょうど原爆ドーム前に停車するのを見計らって撮ることは難しいと考え、別の、国産の最新車両を代わりに登場させて、それも乗り込むシーンだけ撮影することになった。

 

 その後件のドルトムント電車は短い現役時代を終え、長く千田町の広電本社前に展示してあったんだけど、いつの間にかなくなっていた。それからしばらくして、広島市西区のもともと雑木林だった広大な土地が開発され、そこにイオンモール系列の「ジ・アウトレット広島」という巨大なショッピングモールが誕生し、そこへ初めて行った折、一角に憩いの場所のような空間があり、そこに何とドルトムント電車が展示されていた! 近づくことも可能で、そこで1986年の企画以来、32年の年月を経て、初めてこの「思い出」の電車と会うことができた。何とも感慨深い出来事だったが、その間、20本も映画を撮ることができたよ(;^_^A

 

 

 

 

 

 こちらは映画『いつも見ていたヒロシマ』のワンシーン。ちょうど件の電車から降りて、地御前の浜にたどり着いた場面だった。ちなみにテロップの「’87」ってのは、86年のロケを受けて、完パケが仕上がった年を指している。

 

 後は、2006年に“広島発ヒロインアクションムービー”シリーズ第一弾『令嬢探偵★モロボシアイ』の広島ロケがあった際、電車内のシーンも撮れないか、フィルムコミッションを通して調べてもらったところ、当時確か一路線間の貸し切りで確か8万円程度かかるといわれ、物語のそれほど重要なシーンではないため、そのシーンの撮影を辞めたことがあった。10年以上も前の話なんで、今ならどれくらいのレンタル料になるかわからないけど、今思えば電車の貸し切りで10万切るのは結構リーズナブルだったかもしれない。まあそれもこれもあくまで私のうろ覚えの域を出ないが……ヾ(- -;)

 

 もともとは路面電車とは縁遠い生活をしていたけれど、14年前に今の場所に引っ越してからは、すっと貴重な交通手段となった。昔は車両撮影のためにわざわざ出向いていた宮島線が、今や普通に利用する路線となったのは、何とも感慨深い(;^_^A